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レイス・クロニクル  作者: たゆんたゆん
第二幕 峰越え
114/220

第112話 戸惑い

 

 『ラク、デン来れるかい?』


 気が付くと眷属精霊の名を口走っていたーー。


 (まばた)きする程の短い時間で直径30㎝くらいのぱりぱりと放電する淡紫に光る球と、淡く虹色に光る球が目の前に現れる。その淡く光る球の中に居るのはゴリラとシロナガスクジラだ。


 『やっとオレの出番だーっ! ウホ』『御呼びにより参上しました』


 滅紫色(けしむらさきいろ)の毛並みをした手のひらサイズのゴリラと、同じくらいの大きさのシロナガスクジラがふわふわと浮かんで嬉しそうに第一声を漏らしていた。どちらも背中に神様(エレクトラ)彷彿(ほうふつ)させる小さな翼がある。機能というより装飾美という感じだ。十精霊(デカグラム)全員の背中にあるんだけど、それ要るのか? と毎回思ってしまう。


 『来て早々悪いけど、仕事を頼めるかい?』


 『良いぜ! ウホ』『喜んで』


 両極端だな。ゴリラ姿のデンは熱い感じに胸板をどんと叩いて身を乗り出してくるけど、ラクの方は冷静だ。ある意味良いコンビなのかも知れないな。


 『ラクには何処かで戦闘が行われている場所の、あるいは馬車が急いで走っている音を拾ってもらいたんだ。頼める?』


 『お任せ下さい』


 『デンには、ラクが教えてくれた場所に移動して僕が行くまで幼い女の子を護ってもらいたい。一緒に奇しい奴が居ても殺しちゃダメだよ? 聞きたいことがあるから』


 『分かったぜ! ウホ』


 毎度思うけど、語尾に何かしら付くのね……。付く子と付かいない子が居る基準はよくわからないけど、まぁ気にしたら負けか。僕の頼みを聞いてシロナガスクジラ(ラク)が頭上をゆっくり旋回し始めた。生霊(レイス)としての存在に利点はあるものの、大きな街の捜索なんて出来る訳がない。しかも緊急性が高い時なんて尚更だ。移動速度も雷の精霊であるデンに勝てるはずもない。なら、素直に頼った方が効率が良いし実際的だよな。()ぶ理由になるし。


 『ルイ様、南南東の大通りを大きな馬車が移動しています。口を何かで塞がれているのでしょう、よく聞き取れませんが幼い女の子の声のような気がします』


 『それだ! デン、頼む!』


 『ルイ様、オレに任せろ! ウホ』


 パリっと静電気が弾けたような音を残して、ゴリラ(デン)の姿は消えていた。早いな。


 『後を追うよ。ラクも付いて来て』


 『(かしこ)まりました』


 峰の上に見えていた雨雲が気が付くと街の上にまで覆いかぶさっていた。ゴロゴロと雷鳴の音もしている。肉体が有れば多分雨が降る前の独特な酸っぱい臭いを()いでいたことだろう。ぽつ、ぽつっと雨粒が街の屋根を濡らし始めた。




             ◇




 『見つけたぜ。ウホ』


 バリッと強めの放電が雨の中に起きる。ルイと別れて南南東にやって来たデンが淡紫色の光を(まと)って眼下を走る馬車を見下ろしていた。雨粒がデンの体をすり抜けて地表に落ちてゆく。


 『ルイ様は殺すなって言ってたな。サクッと仕事を済ませるぜ!ウホ』

 

 再びバチっと音がしたと思った瞬間、そこにデンの姿はなかった。


 南南東の大通りを街の外に向かって走らせる馬車の御者席には強面(こわもて)の男たちが2人腰掛け、1人が手綱を握って残る1人が時々馬車の(ほろ)を盾にして後ろを気にしている。追われているのか、それとも逃げているのか定かではない。


 「どうやら()けたようだぜ」


 「へ、ちょろいもんだ。」


 「んんーーーーっ!」


 御者席の後ろから(ほろ)越しに幼いくぐもった声が聞こえるも、男たちが気にする様子はない。


 「よくも“三の頭”から逃げ出せたもんだぜ」


 「港に相当やばい奴が居たってことか? 何にせよ、これで俺達も幹部だな!」


 「違いない!」


 下品な笑い声を撒き散らしながらガラガラと馬車の車輪が石畳を噛む音と振動で男たちの体が揺れているも、スピードを緩める気はないようだ。だがーー。


 「「ギャァァァッ!!」」


 突然叫び声を上げて2人は落車したのだった。同時に馬車も急ブレーキを掛けたように止まる。


 『手間かけさせるなよな。お前たちもいい子だ。良く止まったぞ。ウホ』


 その原因はすぐに判明した。馬車の前に淡紫色の光を(まと)った手のひらサイズのゴリラ(デン)が浮かんでいたのだ。無論、男たちは気絶して落車したままなのでデンに気付くはずもない。そもそも人の眼には見えない存在が精霊なので何が起きたのかさえ分からないまま気を失ってるはずだ。逆に動物たちは精霊を知覚することが可能だと言われている。もしそうならば、デンが眼の前に現れた事で止まった馬たちの判断に説明が付く。


 『ルイ様に知らせないとな! ウホ』


 デンはそう一瞬男たちに眼を落とすもすぐに視線を雨が降る空に向けて、(こぶし)を掲げるのだった。バリバリッっとそこから稲妻が曇天に向かって昇り立つーー。




             ◇




 僕の見間違いでなければ今、街から雨雲に向かって稲妻が昇った。デンだ。そこだな。


 5分も経たずに大通りの真ん中で立ち往生をしている馬車を見つけることが出来た。人気が少ないことと、雨が降ってることが幸いして誰も眼の前の状況に気付いていない。それはそれで好都合なんだけどな。


 『ルイ様、やったぜ! ビリビリってさせたけど殺してない。ウホ』


 眼の前にデンがすぅっと移動してきて自分の胸を嬉しそうに叩いている。うん、ゴリラだね。


 『助かったよ、デン。ありがとう。悪いけど、女の子に気付かれないように近づいて、ビリっと気絶させてくれるかい? ラクはもう少し付き合ってくれると助かるんだけど』


 『お安い御用だぜ! ウホ』『問題ありません』


 僕の頼みを聞いてデンの姿がパリッという音と共に消えたかと思うと、馬車の(ほろ)の中から「んーーっ!」って声が短く聞こえた。上手くやってくれたようだ。これからすることは見せたくないからな。


 「【実体化(サブスタンティション)】。まずは、こいつらを馬車に積んで尋問できそうな所に移動だな。よっと」


 馬車の左隣で【実体化】して眼の前に無残に寝転がってる男たちを1人ずつ馬車の後ろから荷台に放り込む。なるだけクリス姫に当たらないように気をつけるけど、男たちの方は知ったこっちゃない。それからアイテムボックスからロープを取り出し両手両足を体の前で逆くの字の姿勢になるよう縛る。こんなもんか。


 『さてと、ラク、人気が少なくてこの馬車が入れそうな裏路地に案内してくれるかい?』


 『それならばこちらです』


 お!? もう見つけてたのか? 優秀だね。


 『ルイ様、オレは? 何かすることあるのか? ウホ』


 『ああ、それなら眷属のナハトアに(つなぎ)を付けてくれるかい? クリス姫を保護したから迎えに来てって。案内してもらえると助かる』


 『分かったぜ! ちょっと言ってくる! ウホ』


 御者席に座り手綱を持った(ところ)でデンが眼の前にすっと降りできた。このまま一緒にいても暇だろうから、(ことづ)けと案内を頼むとまたバチっと音を発して見えなくなる。本当、あっという間の移動だな。雷属性って眷属の中で最速じゃないのか?


 そんなことを考えながら馬に(むち)を当ててラクの案内通りに馬車を動かす。


 5分は馬車を走らせただろうか。袋小路ではないにしても薄暗い裏路地に馬車を止めて幌の中に移動する。まだ3人とも気を失っているようだ。さてとーー。


 『ラク、この女の子に音が届かないようにして、男たちは声も音も出せないようにしてくれるかい?』


 『簡単です。いつでも御随意に』


 『え? あ、もう? 早いね』


 『ありがとうございます』


 何をどうしたのかもわからないけど、僕の希望通りの状態になっているらしい。いや〜これってチートスキルだよね? 人の事言えないのは(わきま)えてるつもりだけど、ウチの眷属たちはちょっと異常だ。良い意味で。起こすのは1人で良いか。懐からオペ道具の包を取り出し、その中からペンチを選ぶ。うん、前にはなかった道具だね。ここ1年で大分僕がリクエストした通りのものがかなり揃ったんだ。このペンチもその1つ。何するかって? 痛いことさーー。


 『ラク、僕の声は聞こえるよね?』


 『問題ありません』


 それを確認して一番外に近い処で惨めな格好になっている男の髪を掴んで座らせる。引っ張られる痛みで眼が覚めるだろうと思ったからだけど予定通りだ。パクパクと口を水面に空気を水に上がった魚のように動かすが何も聞こえない。


 「状況が飲み込めてないようだから、手短に説明する。お前の声は封じた。けど僕の声は聞こえるようにしてある。どういうことか分かるか? 分かれば1度(うなず)け。分からなければ首を振ると良い」


 「ーーーーーーーー」


 男は頷きも首を振ることもせずに、青筋を立てて捲し立るが僕には聞こえない。さて、始めるかな。社会の治療だと割りきろう。ちょっと自分が怖いけど大分異世界(こっち)の考え方に馴染んできたのか? (おもむ)ろにしゃがんで男の左の靴を脱がす。ソックスは履いてない。臭いな……。


 「話が出来ないと困るのは僕じゃないんだよ?」


 「ーーーーーーーー」


 ペンチを男の足の親指へすっと近づけて挟み素早く引く。当然痛みで仰け反るよな。爪を引き抜いたんだから。


 「【治癒(ヒール)】。さて、質問に答えたくなったら聞こえるように(・・・・・・・)教えてね?」


 「ーーーーーーーー」


 それから十数回引き抜いては癒やすという好意を繰り返した。黙々と爪だけを見て。ふと顔を上げて男の顔を見ると(なみだ)と鼻水と(よだれ)でぐしゃぐしゃになっていた。


 「【治癒(ヒール)】。あらら、酷い顔だね。何か話したくなった?」


 「ーーーーーーーー」


 その問を待ってましたと言わんばかりに男が頭を上下に振る。自分の身に起きている事を状況を理解したのだろう。一言で言えば心が折れたのさ。いや、僕が折ったと言ったほうが良いな。


 『ラン、僕と彼だけしか話せない、聞こえない空間を作ってくれるかい』


 『畏まりました』


 手のひら大のシロナガスクジラ(ラン)が僕の頭上をくるりと一周する。


 「さ、今この状況は僕とお前の2人だけしか声が漏れない空間だ。時間もないから手短に聞くよ。話せないとさっきの治療を(・・・・・)繰り返さなくちゃいけなくなる。分かった?」


 「な、何が聞きたい?」


 「聞きたい?」


 「あ、いえ、何でも聞いて下さい」


 「お前はケルベロス(・・・・・)に属した時に契約書にサインしたのかい?」


 下手に探りを入れずに直球で聞いてみることにした。恐らく間違っていないだろうという直感でだ。


 「いや、してない。あ、してません。するのは幹部になった時です」


 なる程ね。末端まで支配するには組織が大きくなり過ぎてるということか。慣れない敬語で答えようとする男の言葉を聞きながら思いを巡らせる。何をどう聞くか……。


 「それで、お前は何処に属してるんだ?」


 「俺、いえ、わた、わたしたちは“爪”です」


 「爪? “牙”じゃないのか?」


 「牙は西側の奴らで、東は爪なんです」


 へぇ。考えてあるんだな。


 「じゃあ、港湾都市を襲った船団と頭はなんだ?」


 「あ、あの船団は“三の(かしら)”のもので、わたしたちとはか、か、関係ありません」


 “三の頭”か。ケルベロスの頭の数に掛けてるという事だな。用心すべきはそこではなくーー。


 「“眼”と“耳”は今何処に居る?」


 「っ!?」


 この質問に明らかに動揺したな。何故それを知ってるのか!? という顔だ。消去法だよな。爪と牙があり、(かしら)が3つあるとすれば、諜報と監視の部署が必ずあるはず。どれぐらい大きな組織なのかは想像できないが、“右腕”“左腕”みたいな末端組織や武闘専門組織みたいなのがあっても可怪しくはないだろうな。


 「知ってるようだな。まぁ、下っ端が特定できる訳もないか。ゲルベロスであるという見分けるにはどうしてる?」


 存在があるという確証だけ得られれば今日は(おん)の字だ。それよりもハンドサインなり、身分証明のバッチがあるならそっちを知ってる方が今は役立つはず。


 「や、焼き印が体の何処かに押されている」


 焼き印か。それだと服を脱がすかハプニングで破けない限り見ることは難しいな。


 「なる程な。考えたものだ。質問を変えるぞ? “一の頭”と“二の頭”の名前をっ!!!?」


 そう質問を口にした瞬間、足元からゾクッとする殺気を感じて御者席側に飛び退(ずさ)る。明らかにこの中の人間を狙ったものだと分かるものだが、僕の眼には干涸(ひか)らびてゆく男たちから眼が離せないでいた。一瞬何が起きたのか整理できかなったんだよな。驚きを隠せないままその様子を凝視していると聞き慣れた声が鼓膜を震わせるのだった。


 『それ以上はダメ』『ごめんなさいねぇ〜』


 「ナディアにホノカ!? おいおい、その契約(・・・・)は組織に関わる者全ての漏洩阻止も含まれてるのかよ!? 厄介な……」


 『ルイ様、呼んできたぜ! ウホ』


 バチっと音を立ててデンが現れた。まぁナハトアを呼べば一緒に来る訳で、これは仕方ないな。


 『デン、ありがとう。お礼に僕の魔力を吸っていっていいよ。あ、ラクはもう少し付き合ってくれるかな?』


 『オレはこれで終わりかよ!? でも呼んでくれて嬉しかったよ、ルイ様! ウホ』


 デンはそう言うと僕の肩にそっと触れてパチっと消えるのだった。思ったほど吸われなかったな。それにしても、契約状態にあるナディアとホノカは厄介だな。どうせ契約について聞いても教えてくれないんだろうし。


 『はい、問題ありません』


 考え事をしている僕の頭の上を手のひらサイズのシロナガスクジラ(ラク)が嬉しそうに回遊している。そこにーー。


 「ルイ様!?」「ご主人様!?」


 ナディアとドーラがやって来た。まだジルケたちとは合流出来てないということか。ナディアとホノカは男たちを始末して召喚具に戻ったみたいだ。気不味かったのか? 2人は冥府(めいふ)の手だけ床下から差し込んだようで、眼の前に干涸らびた男たちの死体が転がっている。このままっていうのもまずいよな。


 「ああ、ナハトア、ドーラ助かったよ。馬車を大通りに回してくれるかい? クリス姫を起こすから」


 「「はい」」


 幌の縁を(めく)って2人が顔を(のぞ)かせたので、クリス姫を指差して無事であることを知らせておく。ん? 死体? さっさとアイテムボックスに収納したよ。山越えする時に適当な所で投げておけばいいからね。ゲルベロス、ナディアとホノカの契約、山越え、問題が有り過ぎるよな。


 「クリス姫。大丈夫ですか? 起きて下さい」


 『ラクは、ナハトアにクリス姫を探してる声の所へ案内してくれるかい?』


 『お任せ下さい』


 猿轡(さるぐつわ)と手足を縛っていたロープを解いて幼い体を揺する。デンに気絶させてもらったから僕のしてたことは知らないだろうから、助けに来たということだけ分かればね。(ひずめ)と車輪が石畳を噛む音がして小さな振動が床から伝わってくる。動き出したな。


 「ん……」


 「良かった。クリス姫。もう大丈夫ですよ。何処か痛いところとかありませんか?」


 「ルイ……様?」


 「はいはい。街を出る前に追いつけて良かったです。ジルケたちに大きな顔が出来ますから」


 そう(おど)けてみせたんだけど、安堵感と先程までの恐怖がごちゃまぜになったんだろう。見る間に(つぶら)双眸(そうぼう)に泪が湛えられていき、決壊した。彼女の前にゆっくり膝を着いて優しく抱き寄せる。いっぱい泣いたほうが良い。


 「ーーーー」


 「怖かったですね。もう大丈夫。僕たち以外は誰も居ませんからいっぱい泣いてもいいですよ」


 「ーーうっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」


 とんとんと柔らかく背中を叩きながら、さてどうしたものかと小さく悩む僕。サーシャくらいの歳であればある程度あやす自身はあるけど、それより小さい子は手に余るというか苦手なんだよな。実際問題、小児科の実習の時は最悪の印象しか残らなかったし……。ここからどうすればいいんだ?


 誰かおしえてくれーーーーーーーー!




             ◇




 同時刻、サフィーロ王国王都カエルレウス南門内側。


 「あ〜〜、うぁ〜〜」


 まだ言葉として声を発せない女児の顔を撫でながらエトは困ったように(つぶや)く。


 「やれやれ、どうにか王都に戻ってきましたが、どうやらわたしもルイ様のお節介が伝染(うつ)ってしまったようですねーー」


 いつも冷静沈着の老紳士が狼狽(うろた)え、そわそわしていたーー。


 理由は簡単だ。エト自身、幼子に免疫がないのだから。リーゼの父に仕える様になった時はまだリーゼは存在もしていなかった。なので、幼いリーゼに接する機会はこれまでの時間を考えると多くあったはずなのだが、エト自身避けていたのである。


 執事としての仕事に子守は含まれていなかったと言ったほうがエトの擁護にはなるかも知れない。基本貴族は子育てを侍女に任せるのだ。乳母教育制度と言い換えてもいいだろう。人であれ、魔族であれその違いは微々たるものだ。


 自分の子が居らず、主人の子にもあまり触れていない老人が、乳離れしたばかりの女児を抱えているのだ、動揺しない方が可怪しいだろう。


 「とはいっても、このままだと問題がありますし。一先ず詰め所で教えていただいた孤児院に行ってみるとしますか」


 「あ〜〜。ゔぁ〜〜」


 「ふふふ。(ひげ)がそんなに珍しいですかな?」


 再び馬上の人となったエトの腕に抱かられた女児は泣き(わめ)くこともなく、楽しげにエトの口髭を触っていた。これまで口髭は剃っていたのだが、これを期に伸ばしてみようと思ってるのでさほど長さはない。ジョリジョリとした手触りが楽しいのだろう。


 眼を細めながら農耕用の輓曳馬(ばんえいば)の腹を軽く蹴り、街並みを進み始める。時折大きな影に覆われて視線を上げる通行人が驚いてバランスを崩すのを馬上から詫びながら進むこと四半刻(30分)。古ぼけた寺院のような建物が見えてきた。


 「ここが孤児院のようですね。おや?」


 ふと視線を孤児院の建つ敷地に目を向けると何やら言い争っているような声が聞こえてくる。


 「ですから、お金は必ずお支払いします! もう少しだけ待って頂けませんか!」


 「あのな、ばあさん。俺らも慈善事業してるんじゃねぇんだよ。借りたら返す、当たり前の事を言ってるだけだろうが!」


 「っ! それでもここで子どもたちを養うためにはお金が必要なんです!」


 「いいかい。俺達は貸さないって言ってるんじゃないんだ。まず返してくれ、そうしたら貸してやる、そう言ってるんだぞ? どっちが我儘(わがまま)言ってるか後ろの子どもでも分かる話だぜ」


 「仰ってることは良く分かります! でもここでする仕事の収入ではお返しするだけの額が貯まらないのです」


 「それはばあさんたちの都合で俺達の都合じゃねぇだろ。筋違いってもんだ」


 3人の男たちと修道服のような紺のワンピースに紺の頭覆い(ケープ)、胸元から髪までをしっかり覆い隠す頭巾(ウインプル)を身に着けた中年の女性の姿がエトの眼に映る。女性の方は生活が苦しいのだろう、身長の割りにかなり()せているようだ。


 「ふむ。あの男たちは……」


 エトには見覚えがあった。


 1年ほど前、今はエレクタニアに居るベルント親子が移住する事案(きっかけ)に絡んでいた高利貸(ローンシャーク)たちだったはず。


 「さてさて、真っ当に生活するというお話だったのですがね。事と次第によりますが、話を聞いてみなければなりませんか」


 手綱を右に振ってエトは孤児院の敷地にゆっくりと乗り込む。最初に気付いたのは男たちと向き合う形になっていた痩身(そうしん)の女性だった。


 「あっ!?」


 「ん?」「何だ?」「なぁっ!?」


 「1年振りですか。皆さんお揃いで何をしておいでなのでしょう?」


 「あ、あんたはあん時の!?」「げぇっ!」「マジかよ!」


 「あゔぁ〜〜」


 只でさえ巨体である輓曳馬の背から見下された男たちが思わずよろめく。男たちもエトの顔を覚えていたのだ。いや、忘れられなかったと言ったほうが良いだろう。女児はそんな緊迫した雰囲気など気に求めず、エトの髭と戯れている。それが男たちの眼には奇異に映ったのも無理もないことだ。男たちが見ている前でエトが優雅に馬から地に降り立つのであった。


 「御婦人」


 「は、はい!」


 「関係のない者がしゃしゃり出てしまい申し訳ありません。ただこの男たちとは浅からぬ仲でございまして、話を聞かせていただけるのでしたらお力になれるかも知れません」


 「な!?」「おいおいおい」「マジかよ……」


 「え、あ、そうですか……」


 全く面識のないエトにいきなり事情を話せと言われ状況が飲み込まないでいた女性だったが、やがてエトと戯れる女児の存在で心を許したのか、ポツリポツリ話し始めるのだった。ゆっくりとそして覚悟を決めたように。


 エトの予想通りここは孤児院であった。建物の管理も満足に出来ないまま30人を超える子どもたちを養ってきたという。孤児院の収入は寄付と簡単な裁縫の手伝いだ。年長の孤児たちも畑仕事を手伝いに出ることがあってもお金ではなく野菜をもらってくることが多い。それはそれで助かるのだが、孤児院を維持するためにはお金が足らないのが現状なのだ。そのために男たちからお金を借りたものの期日までに纏まったお金が集まらなかったということらしい。


 「なる程、経緯はよく分かりました。それで幾ら借りてらっしゃるのですかな?」


 「金貨10枚ほど……」


 「それで利はどのくらい?」


 「付けてねえよ」


 「は?」


 「だから付けてねぇって言ってるだろうがよ」「こんな所から利息まで取れるかってんだ」「真っ当な仕事してんだって」


 「これはこれは、歳のせいか耳が遠くなったようです」


 「「「おい!」」」


 「ふふふ。失礼しました。あの時(・・・・)の言葉をもうお忘れになったのかと心配しましたが、杞憂だったようですな。申し訳ありません」


 男たちの突っ込みに微笑みながらエトは軽く頭を下げるのだった。そんな中でも女児は平然としている。その様子に孤児院の女性は違和感を憶えるのだった。


 「けっ! 誰が忘れるかってんだ」「死んだかと思ったもんな」「マジやばかったぜ」


 「それならば、明日もう一度ここに来て頂けませんかな? 悪いように致しません。ここで貴方たちに遭ったのも何かの縁でしょう。お互いが儲けになる話をしたいものです」


 「違いねぇ! おい、行くぞ」「明日来るぜ!」「あばよ!」


 男たちが悪態をつくこともなく、その場を去るのを見送って修道女のような格好をした女性がエトに頭を下げる。表情は強張(こわば)っているようだ。男たちの仲間かも!? という疑念が拭えないのだから。


 「あの、ありがとうございました!」


 「いえいえ、たまたまこちらに用があっただけですから」


 「といいますと?」


 「はい、実は3日程前にこの子の両親たちが野盗に襲われている処に出喰わしましてね。助けに入ったのですが少し遅かったようで、この子しか息がなかったのです。わたしは子どもを育てた経験がないのでこちらで面倒を見て頂ければと足を運んだ次第です」


 「まぁそうでしたか。宜しゅうございます。お預かりいたしましょう。その子も懐いているようですし宜しければ一晩如何(いかが)ですか?」


 「それは助かります。では、冒険者ギルドで登録をして戻ってきますのでその間お願いできますかな?」


 「はい」


 エトの言葉に女性は二つ返事で答えるのだった。彼女自身よく分からなかったのだが、そのまま子どもを預けて戻ってこない者が多い中で、この紳士は信じられると感じてしまったのだ。それは彼の腕に抱かれている幼子の雰囲気の所為かもしれない。老紳士に全幅の信頼を寄せる眼差しを見てしまったのだからーー。


 「それでは宜しくお願いします」


 「ゔっ、ゔぁあ」


 女性に預けようと腕を伸ばすと女児は身動(みじろ)ぎして嫌がる。


 「あらあら、離れたく無いのかしら? さぁおいでなさい」


 「ゔ、うわぁぁぁぁ〜〜〜〜ん!!」


 女性の腕に抱かれた瞬間、それまでとても穏やかった女児が大声で泣き出したのだ。修羅場の跡から拾い上げた時も、道中魔物を(ほふ)る時も、そして今の遣り取りの中でさえ泣かなかったこの子が。どうすれば良いのか分からず狼狽(うろた)えているエトを余所に、女性は泣き(わめい)ている女児の左右の耳の回りで指を鳴らし始めた。先程の違和感を払拭するために。


 「一体何を……」


 「やはり思った通りですわ。この子は耳を患っています。生まれつきかもしれませんが、耳が聞こえないのです。ですから、先程の大人たちの大きな声でも怯えることがなかったのも説明がつきます」


 「ーー耳が……聞こえない?」


 「ええ、でもどういう訳か貴方の腕の中は安心するようですわね」


 微笑みながら女性から戻された女児はまた機嫌よくエトの髭で戯れ始めた。その顔を見詰めるが、眼が合うとその泪に濡れた顔が(ほころ)ぶ。一体どうすればいいというのだ? そんな思いがエトの中に駆け巡っていた。


 「一体どうすれば良いのでしょう?」


 それが言葉となって誰に問うともなく空中に漂い出る。


 「ご一緒に動かれるのが一番ですよ。分からないことが在ればわたしたちがお手伝いいたしましょう」


 「一体どうすればーー」


 女性の声はエトの耳に届いていなかった。しかしこれが後に親しい者たちから“子連れの紳士”と呼ばれ、相対する者たちから“子連れの死神”と恐れられる老冒険者の第一歩であったーー。







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