第九章 神の変容④
セラ教はもともと太陽を崇める習慣から宗教として発展したものである。
そして太陽を象徴する金髪金眼の聖女伝説が信仰されるようになってから、信徒たちは金色に近い髪や瞳の人間を珍重するようになっていった。
やがて定着したのが「聖別の儀」であった。
生まれた子供は村の教会で必ず祝福と聖別を受ける。聖別とは、名前とともに確認された髪と瞳の色を登録する制度。
これにより、神性の高い色――金に近い色合いを持つ子供は観察対象となる。成長してもその色味を失わなければ、ゆくゆくは教会で出世することも、または「金色の血」を求める貴族の養子や妻妾になる道も開けるのだ。
それゆえに平民、特に貧しい家庭では子供の色だけで将来の出世が狙えるとあって、なりふり構わなくなるのは当然の流れであった。
いつしか髪の脱色や染色の薬剤、もしくは瞳の色を変えるという目薬が世に蔓延するようになっていった。幼い子供にも親が容赦なく使用するため、薬剤により重度の障害を持つ事件が後を絶たなかった。
『聖女の涙』などと称される危険な薬剤には禁令が出されたが、その程度で収まるはずもない。やがては民衆だけでなく、より高価で危険な薬が貴族階級にまで侵食するようになったのである。
私室に戻ったヘリオスは、再び長椅子にねそべって葡萄の実を齧りながら、侍女たちの話を聞いていた。
「へえ、そんな薬を使わなきゃいけないなんて大変なんだね」
目にもまばゆい金色の髪と王族の血を持つ彼は、完全に他人事の感想を口にする。
「でも、髪の色なんて変えてもすぐばれちゃうんじゃない?」
「もちろんでございます。ですから金色の子が差し出されても、しばらくは教会にとどめ置かれ、伸びてくる髪の色を確認しているのです」
十日も待てば地毛の色などすぐに露見する。一時的な脱色ではさすがに誤魔化しきれないが、ならば永久に髪色を変えられると謳った危険な薬剤がさらに広まることになったのである。
その薬剤とは、人体を傷つける酸液が主成分。当然のこと、皮膚は爛れてぼろぼろになってしまう。
それでも人は、万に一つの奇跡にすがろうとする。
ルシアもその一人として『聖女の涙』を求め、己の髪と瞳を変えようとした。そして、さらに肌の色まで変えようと、自分の顔にも塗った結果、無惨に赤黒く爛れてしまったのである。
「ねえ、その皮膚の傷に効く薬って何かない?」
「それは……あるにはありますが、すぐに治るようなものでは……」
ヘリオスの質問に、侍女は戸惑った。そのような薬があれば、とうに王女に献上されていたはずである。それがないからこそルシアは顔の傷を隠して引きこもっているのだ。
だが、ヘリオスは侍女の言葉に首を振った。
「いいんだよ、ちょっとでも良くなればそれだけで充分だから」
悪戯っぽく微笑むと、彼は食べ終えた葡萄の茎を侍女の方へ軽く放り投げた。
翌日、ヘリオスは再びルシアの私室を訪ねた。
「ルシア様。お顔に塗るお薬をお持ちしました」
昨日の狂乱ぶりなど全く気にも留めず、ヘリオスは優しげな声音で語りかける。
「さあ、痛くないですよ。塗りましょう?」
そう呼びかけると、天蓋の向こうから震える声が返ってきた。
「……おまえのような美しい者に、私の気持ちなどわかるはずがないわ」
ヘリオスは黒髪の鬘で偽装はしているが、その顔までは隠しようがない。昨日の揉み合いの際に見た「侍女ティニア」の美貌は、たとえ一瞬でもルシアの記憶に強烈に焼きついていたのである。
どれだけ髪色を誤魔化し、侍女に扮したとしても、「神の寵児」とまで呼ばれるその美しさは、もともと自分を醜いと信じるルシアを打ちのめした。
だが、そんな彼女にヘリオスはこともなげに告げる。
「人の顔なんて仮面と同じですよ」
天蓋のわずかな隙間から覗く白い仮面を見やりながら、ヘリオスは薄い笑みを浮かべた。
「どうせ誰も裏の顔なんて見ていませんから。好きに言わせておけばいいんですよ」
美しく彫られた仮面のような顔で、ヘリオスはそう告げる。
ただの慰めだけではない、彼にとっての真理の一端を。
「そんなこと……できるわけないでしょう! おまえは知らないのよ! お母様から穢れた子と捨てられ、人々から神に見放された忌み子と呼ばれ、蔑まれ続けてきた者の気持ちなんて!」
ルシアは再び叫び始めた。他人の冷たい視線に押しつぶされてきた彼女にとって、他人を気にするなという言葉はかえって鋭い棘となる。
それでも、ヘリオスはルシアの激情をなだめようとはしなかった。
「もちろん、知りません」
ひとたびそう突き放すと、彼は天蓋をゆっくりとつまみ上げる。
傷つけられ、寝台の上で呆然とするルシアを覗き込むと、彼は柔らかな声音で再び語りかけた。
「ですから、私はあなたのことが知りたいんです。どうか仮面を外していただけませんか? もっとあなたのそばに近づかせてください」
そう告げると、ヘリオスはルシアの仮面にそっと手を伸ばす。
いつものルシアなら、仮面に手をかけられたら激しく抵抗するはずだった。だが、今は寝台に座り込んだまま身動き一つできず、ただなすがままにされていた。
耳元の留め具が外され、ルシアの素顔が露わになる。
昨日、一瞬だけ見た時の記憶以上に顔面の爛れは相当深刻だった。
薬剤に侵食された皮膚は変色し、傷と膿にまみれ、常人ならば思わず目を背けるほどの惨状だった。
それでもヘリオスは平然と見つめ、持参した薬壺から軟膏を指で掬い取り、丁寧にルシアの顔に塗り始めた。
「どうして……そこまでするの……? 気味悪くはないの……?」
ルシアは戸惑いながらそう訊くのが精一杯だった。
だが、彼女を優しく癒す「侍女ティニア」は微笑んだまま首を振る。
「ただの傷を恐れたりはしませんよ」
そう言うと、ヘリオスはそっとルシアの手を自身の両手で包み込むと、吐息がかかるほど近づいて懇願するように語りかけた。
「ルシア様、私はあなたの味方です。どうか私を信じていただけませんか?」
温かく握りしめる手のひらの熱。
薬を塗りこめる柔らかな指先の感触。
それは、物心ついてから初めてルシアが受ける、他人からのいたわりだった。
そのことが彼女の胸の奥に火を灯し、熱となって全身を襲う。気づいた時には、彼女は塗ったばかりの薬を洗い落とすほどの涙を流していた。
抑えきれない嗚咽をぶつけるように、ルシアは目の前の侍女の体にすがりつき、ただひたすら泣き続けた。
美容系商品の健康被害は現代でもちょくちょくありますからね。
美を求めるのはリスクと隣り合わせなのかもしれません。




