第六章 沈黙の叡智④
ミリアたちは焼け跡の調査へ行き、兵たちの埋葬作業もまだ始まらず、ただ待機しているのに飽きたのか、テオがまた元気よくアウレリアに話しかけてきた。
「聖女様は殿下といつ結婚するんすか!?」
トゥレンが同席していたらその場で首を絞めかねない、不躾な質問をテオは平然と投げた。
「え!?」
簡易天幕の下で果皮入り水を飲んでいたアウレリアは、その問題発言に思わず杯を取り落としそうになった。
「あの殿下が聖女様と結ばれるなんて、俺、すっごい感動っす!」
「いや、あの、私は正式な婚約者ってわけじゃないし……」
アウレリアは動揺しながら訂正しようとしたが、テオの耳には入らなかった。
「でも、殿下は聖女様と結婚するために西に攻め入ったんすよね? 殿下がそんな情熱的な人だったなんて、びっくりしました!」
「それは……そういうわけじゃ……」
イアスは無言、ユリウスとミリアは不在。ここでテオのおしゃべりを止める人間は存在しなかった。それどころか、まだ殿下のことを知らないだろうから自分がその良さを教えてあげようという善意で余計にしゃべり続ける。
「殿下は本当に凄い人なんすよ! 十六歳で総司令になってから十年間ずっと戦場に立って負けなしで! それでいて俺たちみたいな平民にもすっごい優しいっす!」
「や、優しい!?」
その単語にアウレリアは目を見開いた。
優しい?
誰が?
あの、いつも不機嫌そうに眉間に皺を寄せて不穏な空気をまき散らし、他人を駒扱いする失礼な王子が?
優しいの一語があまりに結びつかなすぎて、アウレリアの思考は硬直する。だが、テオは今こそ布教の好機とばかりに嬉々として身を乗り出してきた。
「確かに殿下は黙って立ってたら大きいし迫力あって怖いかもしれないっすけど、本当は凄い優しいんすよ! 俺の家は殿下のお陰で食べていけてますし!」
テオは目を輝かせて語り始める。
彼は大家族の生まれで、下に弟妹が八人もいる長男だった。親の稼ぎだけでは食べていけない貧しい平民で、彼が十六で入団してからその支度金と給金を仕送りすることで一家が食いつないでいるのである。
ヴァルクレウス王国軍は臨時で兵の徴発を行うこともあるが、基本的には志願制。入団時の支度金、毎月の給与の他、軍功により各種手当、戦没者には弔慰金、さらには一定年数勤めれば退職金まで支給される。これだけ待遇が手厚ければ兵士を目指す者が殺到するのは当然であった。
「でも、お金だけじゃないっすよ! 俺、軍に入って字も習ったし! 実家に帰ったらうちの弟たちにも教えてやれますから!」
王国軍では命令系統を徹底するため、入団した新兵には必ず文字、地図、簡単な計算を教えている。そのため退役後に地元で私塾を開く者も少なくなかった。
テオの語りは止まらない。災害があれば必ず軍が駆けつけ、復旧工事を行う。平時には訓練と併せて農業も行い、兵糧の確保も怠らない……それらの情報を一気に流されてもアウレリアには付いていけなかった。
一通り語り終えると、彼はアウレリアに熱意をぶつけてきた。
「まじで凄いっすよね!? 殿下、最高っすよね!?」
「えっと……それ、軍でやってるの……? 王様はどうしてるの……?」
共感以前に疑問の方が湧き、アウレリアは戸惑う。
先日の対面でも皇后だけが玉座に座り、国王は不在だった。そもそもテオが語る施策の数々も本来は王の務めのはずである。それなのになぜか王子がすべて実行していることに彼女は違和感を覚えずにはいられなかったのだ。
「陛下はずっと寝込んでて出てこないんすよ。だから殿下がずっと苦労されてます」
そう答えるテオから急に先ほどの元気が消える。そこには本来国民を守るべき王への失望の色がはっきりと表れていた。
「だから殿下は十年も皇后の横暴に耐え続けてるんすよ! 俺だったら我慢できなくてぶっ飛ばしちゃうのに、殿下は我慢しててまじで凄いっす!」
「十年……?」
「そうっすよ! 殿下がいまだに王太子になれないのは、全部あの皇后が十年間邪魔し続けてるせいっす!」
前情報が一切なく困惑するアウレリアに、テオは自分の知る少ない知識を懸命に披露した。
王子の継母である王妃が突然「皇后」を自称し、その権限を利用して王子が王太子となることを十年間阻止し続けているということ。
今はたとえ総司令として軍を掌握していても、ただの王子のままでは皇后の上には立てないということを。
「……皇后って何なの?」
アウレリアは根本的な疑問を口にした。これまで「皇后と王子が敵対している」ということだけは聞かされていたが、その「皇后」が何かは誰も教えてはくれなかったのだ。
もともと東西セルディア王国には王妃はいても皇后は存在しない。彼女としては、王妃のようなものというぼんやりとした認識しか持たないまま、本人と対面までしていたのである。
「よくわからないっすけど、教皇の位も持ってるらしくて、簡単には手が出せないらしいっす。それに宰相も前の教皇も骨抜きらしくって、まじでやばいんすよ!」
神権と王権の二重権力、統治権と統帥権の差異、国内勢力の力関係といったことをテオは知らない。ただ何となく皇后は危ない、王子は抑圧されているという大雑把な感想でしか把握していない。
主にトゥレンが巧みに情報統制し、軍内の皇后への敵意が表出しないように調整していたということもある。万が一にも皇后打倒の声が外部に漏れれば、それを理由に廃嫡されかねない。こうしたテオのような軽率な若者が大声で皇后を排除しろと言い出しかねないため、特にトゥレンが軍内の統制に苦慮しているのである。
「殿下がこのまま王になれないなんてありえないっす! 聖女様、どうか殿下と結婚して神のご加護を与えてくださいね! 俺、応援してるんで!」
「あ、あのね、テオ、私は……」
テオは完全にアウレリアを殿下の未来の妻と思い込んでいる。何とか誤解を解こうとアウレリアが言いよどんでいると、彼はさらに満面の笑みを向けてきた。
「聖女様が来てくれて、本当に良かったっす!」
何の屈託もなく喜ばれては、アウレリアはそれ以上何も言えなくなってしまった。
テオが相手を年下だと思うと子供扱いしがちなのは、この弟妹8人抱えた長男のせいだったりします。
そのせいでミリアに怒られたわけですが……




