第五章 黄金の雛鳥⑥
駐屯地内の執務室に戻ったトゥレンは、胃のあたりを押さえながら大きな溜息をついていた。
帰りの馬車でまた乗り物酔いをした影響だけではない。このたびの皇后と聖女の対面における一連の動きが、彼の精神を削っていたのである。
特に極めつきは、彼の主君の一言だった。
聖女の中庭散策の後、戻ってきたレックスは不意に神妙な顔で尋ねてきた。
「トゥレン」
「何か」
「俺はヘリオスと似ているか?」
その問いに、トゥレンは一瞬呼吸を止めた。
「…………いいえ、全く」
「そうか、ならいい」
表情はいつもと変わらないのに明らかに異常な様子の主君に、トゥレンは珍しく苦言を呈した。
「殿下、あの聖女の非合理的な発言を考慮に入れる必要はございませんよ」
実際には「殿下とあのヘリオスを同一視するなど不届き千万、そのような馬鹿げた発言を真に受けるべきではない」と言いたいところを必死にこらえ、トゥレンは主君に諫言する。
その押し殺した激情を察してか、レックスは唇をかすかに歪めた。
「すでに聞いていたか」
「殿下の身の回りについては、些細なことでも必ず報告させるよう万事調えております。無論、今はあの聖女たちにも常に護衛と監視の兵は配置済みです」
つまりそれは私生活が筒抜けであるということだが、レックスはそれについては当然とわきまえ動じなかった。むしろ臣下の手腕に感心したように返す。
「相変わらず抜かりのないことだ」
「すでに一度出し抜かれましたからね。同じ過ちのないように監視と警備は強化しております」
主語はなくとも、彼が出し抜かれた相手は明白である。狡猾な敵の顔を思い出したように、レックスは苦い顔をする。
「ヘリオスか……まだ子供だと侮っていたのを完全に逆手に取られたな。おまえですら手玉に取られるとは」
「あの王子に関しては申し開きのしようもございません」
謝罪を述べるトゥレンの顔は、乗り物酔いの時より青ざめている。声も体も強張らせる補佐官の様子に、レックスは小さく息をついた。
「責めているわけではない。今後は決して侮らず、皇后以上に警戒すべきということだ」
「……骨身に染みております」
トゥレンは苦々しい声でそう答えた。その押し出した声のあまりの硬さに、レックスは珍しく宥めるような口ぶりで告げてきた。
「トゥレン。おまえはヘリオスのことになるとずいぶん感情的になるな」
「そのようなことはございません」
「おまえにしては珍しい。それほど出し抜かれたことが尾を引いているのか」
「子供だからと不覚を取ったことは事実です。ですので今まで以上に警戒を強めているだけですが、それを感情的と仰せられましても」
明らかに感情的に否定するトゥレンの台詞に、レックスは苦笑を浮かべた。
「いや、咎めているわけではない。警戒はこれまで通り最大限続けろ」
「心得ております。ですので、殿下もあの王子のことにこれ以上深入りなさいませんよう」
トゥレンはそう念を押した。これ以上、主君の主君らしからぬ言動など見たくなかったのである。
「わかっている」
レックスの短い返答はいつも通りではあったが、得も言われぬ不安に駆られ、トゥレンは脳内でヘリオスの511回目の処刑を済ませながら、さらに対策を強化すべきだと心に決めた。
トゥレンが真っ先に取り掛かった対策は、その元凶の一人に釘を刺すことだった。
「アウレリア殿下。アレクシス殿下への発言には充分お気をつけいただきたいのですが」
しかし、彼の意図は伝わる前に遮られてしまった。
「あ、それ」
「……は?」
「だから、その殿下って呼び方。私はもう王女でも何でもないんだし、そんな敬称つけなくていいわよ」
アウレリアの言葉はトゥレンの頭脳の動きを一時的に凍結させた。
彼にとって身分や規範は絶対的な価値を持つ行動指針なのである。それを平然と歪めてくるこの少女の発言は、もはや理解不能であった。
無論、彼はアウレリアに対して敬意など微塵も抱いていない。それでも形式上は守るべき上下関係をたやすく壊され、苦渋の末に彼は呼称を妥協した。
「…………では、アウレリア殿」
「まあそれでいいわ」
「………………でしたら先ほどの件に戻らせていただきますが、アレクシス殿下への発言には重々お気を付けください」
再び本題に立ち戻ったが、アウレリアにはまるで通じていなかった。
「発言って?」
「ですから、殿下とヘリオス王子を安易に並べるような――」
その言葉に、アウレリアは思わず叫んだ。
「えっ!? 嘘、あなたまで聞いてたの!?」
彼女としては、今頃になって自分がレックスに八つ当たりしたことを多少恥じていたのである。それをこの口うるさい補佐官にまで見られていたのかと思い、つい反応してしまったのだ。
「同盟とはいえあなたは虜囚も同然なのですよ。常に監視の目があることはお忘れなく」
だが、トゥレンはアウレリアの恥じらいなどお構いなく、現在の境遇を思い知らせようと冷たく告げる。彼にとって情動で動く女子供は危険因子でしかない。しかもこの少女は情動の塊なのだ。これ以上、主君を惑わせるようなことは阻まねばならなかった。
それなのに、この少女はさらに意味不明なことを尋ねてきた。
「つまり、あなたもレックス王子がヘリオスと似てるって思ってるわけ?」
「どこが似ていると!?」
アウレリアのとんでもない発言に、トゥレンは珍しく声を荒げた。しかし彼女は気にせず続ける。
「まあ確かに見た目は全然似てないけどね。でも人を人とも思ってなくて、自分が自由に利用できると自然に思ってるところはそっくりじゃない?」
トゥレンは思わず絶句した。
――この女は何を言っている?
その思考に全身が硬直させられていた。彼女の台詞のすべてを彼の頭脳が拒絶する。思わず荒くなる呼吸を精神統一して整えてから、彼はできるだけ平静に言葉を返した。
「殿下はこの国の病理を根本から直そうと邁進しておられるのです。単に支配欲に駆られた子供と同一視するのは不敬ですよ」
「……病理?」
その一語はアウレリアに理解できるはずもなかった。つい余計なことを言ったと我に返り、トゥレンは短く告げる。
「それはあなたの知る必要のないことです」
それ以上の会話は不要とばかりに強引に打ち切って、トゥレンは一礼するとその場を足早に立ち去った。
両陣営が合流し、いよいよ始まった第二部の最初の章はここで終了です。
再び鳥籠に囚われたアウレリアはこの先どう羽を手に入れるのか?
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