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【第一部終了】黄金のアウレリア  作者: 北峰
第二部 黄金の雛鳥

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第五章 黄金の雛鳥③

 第一軍団駐屯地から王宮までの距離はさほど遠くはない。だが、貴人の移動に徒歩などありえず、ここは当然のこと王室用の特別仕立ての馬車が使用された。


 ただし、本来最も乗るべき身分のレックス本人は閉鎖的で足も遅い馬車を好まず、自分の馬で先に王宮へ移動してしまった。結果、馬車にはアウレリア、トゥレン、ミリアの三人が乗り、ユリウスは護衛として馬を並走させることとなった。


 キフィサ砦から捕虜として移送された時の荷馬車とは異なり、座席も扉も見事に設えられた馬車の中、三人の間には不規則な揺れとともに異様な空気が流れていた。


「ねえ……大丈夫なの?」


 アウレリアは心配げに声をかける。しかしトゥレンは無用とばかりに顔を背けて手を振った。


「大丈夫です……ご心配なく……っぷ」

「いや最後全然大丈夫じゃなかったよね!? 本当に大丈夫なの!?」

「慣れておりますので結構です」

「慣れてるって……」


 呆然としたままアウレリアは隣のミリアに視線を投げる。それを受け、ミリアは腕を組んだまま溜息をついた。


「乗り物酔いは個人差が大きいけど、ここまでひどい人は初めて見たね。あんた、馬車はよく乗るんじゃないの? いつもこんな風に死にかけてるわけ?」


 もはや隠しようもない。顔面蒼白で今にも吐き出しそうな表情を見れば、馬車の揺れで酔っていることなど誰の目にも明らかだった。

 トゥレンの最大の弱点――それがこの乗り物酔いである。


 彼が西セルディア遠征に随従しなかったのは、王都の留守番を任されたからだけではない。移動ができないという単純な理由であった。


 馬に乗ればすぐに吐く。馬車でも輿(こし)でも同じく吐く。しかも女子供以下の貧弱な体力ゆえ、徒歩移動ではすぐに倒れるというありさま。そのため、彼はすべての軍略を用意できる頭脳を持ちながら、戦場には決して立てない陰の軍師にならざるを得なかったのである。ゆえにヘリオス監禁時の二週間の王宮通勤は、政治的にだけでなく身体的にも文字通り命懸けであった。


 そして今、たかだか目と鼻の先にある王宮への馬車移動でさえ、彼は精神統一して吐き気と懸命に戦っていた。


「……ご心配いただかなくて結構です」

「こっちもこの密室で吐かれても困るんだよね」


 トゥレンの悪あがきにミリアが冷たく返すと、アウレリアは不意に叫んだ。


「えっ、たらいある!?」


 先日、船旅で仲良くなった戦友こと盥を思い出し、アウレリアは馬車内をきょろきょろと見回した。その無遠慮な態度にトゥレンはさらに苛立ちをつのらせる。


「ですから大丈夫と申し上げているでしょう!」


 そう叫んだ彼の口の中に、突如として草のようなものがねじ込まれた。反射的に噛むと、口の中に甘苦いような味が広がり、彼は思わず顔をしかめた。


「い、いったい何を――」

「いいから、それ噛んでな。少しは酔いが収まるから」


 ミリアがトゥレンの口に押し込んだのは、短く切られたフェンネルの葉であった。酔い止めに効く薬草で、噛むことで嘔吐感を和らげる効果を得られる。

 船でさんざんな目に遭っていたアウレリアがまた馬車でも酔わないよう、ミリアが事前に軍医から分けてもらってきていたのであった。


「まさかこっちの補佐官さんに使うことになるとはね。でもまあ、アウレリアが無事で良かったよ。嫁姑対面の前に吐いてたら目も当てられないからね」


 その言葉に、アウレリアは思い出したようにぽつりとつぶやいた。


「……何で私、婚約者になんてなったんだろう」


 この同盟関係の偽装として婚約者候補になったことはすでに聞かされている。だが、そもそもなぜ最初に求婚されたのか、国中の誰もが知っていた事実を、当の本人はいまだに知らなかったのである。


「レックス王子は私と結婚したかったわけじゃないんでしょう? それなのに何で求婚なんかしてきたの?」


 それに答えるべき補佐官が死にかけているため、代わりに答えたのはミリアだった。


「私が聞いてるのは、西の王家がその求婚を断ったから東が攻め込んだって話だよ。つまり、もともと断らせるために求婚したってことなんじゃないの? 戦争するための口実として」

「そんな……何でそんなこと……」


 一般人のミリアでさえ、だいたいの裏事情は読めてしまう。それほどあからさまな口実だったが、世事から意図的に遠ざけて育てられてきたアウレリアにとって、にわかには信じがたい内容だった。


「気に入らないのでしたら、いつでも同盟を解消していただいて構いませんよ。こちらとしては特段、条件に挙げられたエピオナに配慮すべき理由もありませんからね」


 フェンネルを丁寧に噛み砕きながら、トゥレンはいつもの調子でそう告げる。

 だが彼の冷徹な発言は、ここではいつもより重みを持たなかった。


「ちゃんと口は動く程度には回復してきたみたいだね」


 ミリアに茶化されて、トゥレンは憮然とする。


「ですから慣れていると――」

「弱みを見せたくなくて今までやせ我慢してたわけ? 酔い止めくらい、言えばいつでも処方してあげるよ。私は医者だからね」

「医師……? ああ、それでエピオナの条件を盛ったわけですか」


 ミリアが医師を名乗ったことで、トゥレンはようやく合点がいった。

 彼らがなぜかエピオナの焼け跡をうろついていて捕まったこと。

 その中に医師を名乗る娘がいたこと。


 すなわち、この娘こそがエピオナの生き残りの医師であり、あの同盟締結の際の「エピオナ人の保護と死者の埋葬」の条件を盛り込ませたのだろうと彼は思ったのである。

 だが、ミリアは表情を消して首を振った。


「あれは私が言ったんじゃない。この子が自分で考えた条件だよ」


 ミリアは決して政治に口を挟もうとしない。それは自分の領分ではないと彼女は自覚している。

 だからあの条件も、アウレリアがエピオナで見て、感じて、自ら考えて出した結果なのだ。


 目も耳も塞がれ、羽をもがれて籠に閉じ込められてきた少女が、自分の足で歩き始めようとしている――そのことがわかるからこそ、ミリアは彼女を支えはしても決して誘導しようとはしないのであった。


「ほら、減らず口叩いてる暇があったらちゃんと噛みな」


 ミリアはさらにフェンネルをねじ込んで、トゥレンの口を物理的に封じ込めた。

トゥレン、最大の秘密が明らかになりました。

今まで遠隔地にいなかったのは、すべてこの乗り物酔いのせいです。

戦地に立てない軍師、それがトゥレン。

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