第四章 灼熱の魔女②
「……ここまで来ればひとまず大丈夫でしょう」
全速力で走らせていた馬を止め、ユリウスはそう口にした。
小柄な少女二人を含むとはいえ、三人乗りで長距離を走らせるのはさすがに負担が大きすぎる。ある程度の距離を稼いだら馬を休ませる必要があった。
街道から見えにくい木陰に入り、三人は休息を取ることにした。ユリウスは救出した赤毛の少女の体を下ろして岩の上に座らせてやると、彼女はまずそうな顔で口の中のぼろ布を吐き出した。
「あー気持ち悪かった。いや、本当に死ぬかと思ったわ。助けてくれてありがとう」
どこか緊迫感のない台詞が彼女の第一声だった。
「お兄さん、弓うまいんだね。バシバシ当ててかっこよかったよ」
「そ、それはどうも……」
ユリウスはアウレリア以外の少女と会話した経験が極端に少ない。面と向かって褒められ、少し居心地悪そうな返事をした。
「お兄ちゃんったら照れてるの?」
「そういうわけでは――……」
人前なのでアウレリアは兄妹設定に戻り、兄をからかう。そのせいでユリウスはさらに動揺した。そんな二人のやり取りを、少女は面白そうに眺めていた。
「へえ、あんたたち兄妹なの?」
「うん、私のお兄ちゃん」
自慢の兄ですと言いたげに、アウレリアは誇らしげにユリウスの背中を叩いた。
「妹さんもありがとうね。あの煙はあんたの方でしょ?」
「私はお兄ちゃんに言われた通りにやっただけだよ」
あの時、ユリウスは風上を確認してアウレリアに短く指示を与えた。逃亡時の道具として持っていた煙玉を渡し、彼の合図で広場を攪乱させたのである。
「へえ、お兄さん凄いんだね。あんな煙を出せるなんて」
その言葉に、ユリウスは少しだけ引っかかった。確かにあれは普通の焚火の煙ではない。マクシムが事前に用意した、白苔灰や灰鉱粉を混ぜ合わせ、地面にぶつけるだけで煙幕を発生させる特注製の煙玉なのだ。
製法まで知っているとは思わないが、一目で普通の煙ではないと判断できるこの少女は何者なのか――アウレリアの知らないところで、彼は当初より警戒心を強めた。
「……妹が助けたいと言ったから助けただけだ。なぜ君は殺されかけてたんだ?」
少し声音の変わったユリウスの質問に、少女は目を細めた。
「――あんたたちはさ、秘密を守れる?」
「状況によるな」
ユリウスは短く答える。彼の警戒心に気づいたのか、少女は小さく溜息をついた。
「そりゃそうよね。まあ、助けてもらったからには話すけど……ねえ、エピオナって知ってる?」
「エピオナ……?」
「東の領内の自治都市だろう?」
その地名に対する知識は「兄妹」で大きく異なっていた。
「そう……もしかしたらまだ聞いてないのかもしれないね。先月、エピオナは滅亡したんだ。文字通り灰になった。私はその生き残りなんだよ」
「――滅亡!?」
この言葉には二人とも同時に驚きの声を上げた。まさか自分たちの国と同時期に滅亡していた場所があったなどと、逃亡中の彼らは想像もしていなかったのだ。
「まあ、西も仲良く滅ぼされたから、それどころじゃないかもしれないけどね。セラーナが陥されてる裏で、エピオナは焼き討ちされてたんだよ」
「何で!? 焼き討ちなんてどうして――」
「私にもわからないよ。だってその前日までそんな予兆はなかったんだから。最近はだんだん東の教会が口うるさく改宗を押し付けてくるなとは思ってたけど、まさか突然予告もなく焼かれるなんて誰も思わないよ」
少女の声はどこか乾いていた。それは悲嘆や絶望ではなく、世の理不尽さへの諦観のようでもあった。
「そうだとして――この村とは無関係なんじゃないのか? ここは西の領内だぞ。東の教会の影響はないはずだ」
滅亡の情報に驚きはしても、ユリウスは慎重に質問を続ける。
東西セルディアは同じセラ教を信仰してはいるが、その教義は国家が分裂してからの三百年間で独自に変質している。自治を認められた都市に改宗を押し付けたり、まして焼き討ちするような暴挙は西セルディアではまず見られない。
そしてその都市の生き残りを西領内の村人が火炙りにするなど、とても彼の常識では考えられなかったのだ。
「まあね、それはまた別の話。私は東の領内だとエピオナの生き残りとして殺されるかもしれないから、西に逃げてきてたの。その道中にあの村を通りかかった時、一人の子供を治療しようとしたら、魔女だ何だと騒がれて――あとはご覧の通りだよ」
「治療?」
アウレリアが聞き返すと、少女は薄く微笑んだ。
「そう、私は医者だからね」
「エピオナの医師か……」
エピオナは軍事や交易上の要衝ではないが、特殊な地域ゆえに大陸ではよく知られた通り名がある。それこそが「医療都市」エピオナ――古代の叡智が息づく伝統の地であった。
古都とはいえ、医療や科学の技術は常に最先端を目指し、信仰に傾倒していったセルディアよりも高い水準の知識が受け継がれていたのである。
そのエピオナ出身の医師ならば、あの煙玉が特殊な成分だと察しがつくのも当然だろうとユリウスは合点がいった。
「子供を助けてあげようとしたのに火炙りにするだなんて……」
「そもそも、その子供の症状もおかしかったんだけどね」
少女は忌まわしき村で起きたことを掻い摘んで説明した。
彼女が通りかかった村はどこか陰鬱で、店も宿もなさそうなため、当初は素通りしようと思っていた。そんな矢先、彼女の目の前で一人の子供が突然倒れたのである。家族が気づくよりも先に彼女は慌てて駆け寄り、症状を診た。
体の痙攣、浅い呼吸、瞳孔の散大――そのすべてが示すのは、ただの病気の兆候ではない。それどころか、彼女が逃げ出した東の国内で何度も見てきたものと一致していたのである。
彼女は子供の体に鼻を近づけ、注意深く匂いを嗅ぐ。そこへようやく子供の母親と思われる女がやってきた。
「ちょっとあんた! うちの子に何するんだい!?」
その女の体からは、さらに強い香りが発せられていた。そこで彼女は確信に至ったのだ。
「何かしたのはあんたの方でしょうが! こんな小さい子供に何を嗅がせたんだよ! これはその急性中毒だよ!」
「嗅がせたって……これのこと言ってるのかい……?」
母親は懐から小さな袋を取り出した。凝った薔薇の刺繍が施されたその袋から、途端に独特のむせ返るような香りが発せられる。
「その香袋……何でこんな西の辺鄙な村に……いや、そんなことよりさっさとそいつを捨てなさい! どうせ家の中で香も焚いてるんでしょ!? 早くやめないと」
「馬鹿なことを言うな! これは神様に近づくための大事な香なんだよ! そんなことよりうちの子から離れろ!」
母親の目は怒りに燃えていた。少女から我が子を奪い取って抱きかかえ、触れさせないようにと威嚇する。
「ちょっと、その子の治療しないと命の危険も――」
まだ何ら治療はできていない。子供の症状から見てすぐにも応急処置しなければ命に関わってしまう。だが、もはや母親は聞く耳を持たなかった。
「みんな、来ておくれ! この女――魔女だ! うちの子を呪い殺そうとしてる!」
母親の叫び声に、近隣の村人たちが一斉に集まってきた。敵意に満ちた目で少女の華奢な腕をねじり上げて拘束する。
「違う! 何すんだ、離せ!」
こうして少女は縛られ、村外れの納屋に放り込まれ、しまいには火炙りにされるところだったのだ。
少女が説明し終わると、ユリウスは首を傾げた。
「吸っただけで倒れるような危険な香……? そんなものが東側には広まってるのか?」
「ここ十年くらいかな、教会のお偉いさんたちが熱心に勧めてるみたいだね。もちろん吸っただけで倒れることは滅多にないけど、体の小さい子供が一気に吸うと急性中毒を起こすことがあるんだ」
「あんな辺鄙な村になぜ東の香が……?」
「さあ、それは私にはわからない。それに……」
そう言いかけたところで、少女の体がぐらりと揺れた。そして、そのまま地面に倒れ込んだ。
「ちょっと、大丈夫!? まさかあなたまで――」
アウレリアが慌てて少女の体を揺さぶると、うめき声の代わりに腹から盛大な音が鳴り響いた。
「え……?」
ぎゅうううううという間の抜けた音色に思わずアウレリアは虚を突かれる。
「ごめん……何か食べ物……ない……?」
地面に突っ伏したまま、少女は情けない声で恵みを求めた。
エピオナに関しては、ep.11 第二章 灰色の王子⑦で触れています。名前だけしか出ていませんが……




