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女王の龍は暁光に舞う  作者: 瀬尾ゆすら
終章 時間の分かれ道
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第37話 因果の歪み、消える君

 悪魔を倒し迎えた夜に、戦士たちは喜びに沸き上がっていた。


 魔法科学研究所の面々は感情を爆発させ、「酒だ!」「朝まで飲むぞ!」などと言いながら、肩を組み笑いあっている。

 王城から派遣された兵士たちは、互いの功を称えあい、静かな歓喜に打ち震えていた。


 ――そして。

 魔神王を討った勇者リサと、その龍アルフレッドは。

 多くの人間に迎えられ、今まさに黄昏の塔の最上階に降り立たんとしていた。

 

「リサ!」


 濁流のように押しかける人混みの間をぬって、リサの一番の親友が姿を現す。


「ミラ!」

「ほんとにほんとに、かっこよかった!」


 少女たちが抱きあって喜ぶのを、夜空に浮かぶ月と星が祝福する。リサの肩口に顔をうずめるミラは、涙声だった。

 王女はそんな友の背中にぎゅっと腕を回し、「ありがとう」と呟く。


「ミラたちがいてくれたからだよ」


 春のはじめのこと。父の遺言に従い、王家の真実を求める旅に出た。その旅路の途中で得た大好きな仲間たちは、リサにとってかけがえのない財産だ。

 ミラやロバン、そして博士がいなければ。「魔神王を倒し未来を変える」なんて大それたこと、きっと成し遂げられなかっただろう。


「王女様、素晴らしいご活躍でした」


 ミラから離れ、こちらに近づいてきたサウードと向き合う。彼の目は少し潤んでいた。

 いつも冷静で堅物な彼が涙ぐんでいるのを見たのは、これが初めてだ。


「わたしを信じて、わたしの行く道を守ってくれて、本当にありがとう」


 頭一つ分背の高い従者の瞳を見上げ、リサは心からの感謝を述べた。

 いついかなる時も、サウードはその身をていして王女の前を守ってくれた。彼がいたから、リサは安心して悪魔に立ち向かえたのだ。


「私は……あなたにお仕えしていることを、心の底から誇りに思います」


 跪いたサウードが嵌めていた白い手袋を外し、こちらに右手を差し出してくる。リサ王女は柔らかく微笑み、その甲に唇をつけた。

 大好きな父と、自分自身に。深い忠誠を捧げてくれる彼を誇りに思うのは、むしろリサの方だ。


「龍を従え、悪魔を討った聖女。この世界の誰も、あなたが女王になることに異論はありませんよ」


 こちらを見上げる優しい瞳に、思わず泣いてしまいそうになる。


 なんだかまだ、実感が湧かない。それでもリサは、確かに成し遂げた。偉大なる魔女リファ・ディールの遺志を継ぎ、この世界から悪魔を消し去ったのだ。

 時を越えて逢いにきてくれた、アルフレッド(アルカナを宿す者)と共に。


 ――そうだ。アルフにも感謝を伝えなければ。

 旅の始めから終わりまで支えてくれた、王女の幼馴染み。リサにとって、誰よりも特別な人。


「アルフ!? その身体――どうしたんだい!?」


 その時、ロバンの焦った声が聞こえて、リサははっと背後を振り返った。


 黄昏の塔の、最上階で。石造りの床に立つアルフの姿を見て、リサは思わず持っていた杖を手放す。

 

「アルフ……!?」


 寒い夜風が吹き、王女の肌を冷たく撫でる。


 ――人間に戻ったアルフの身体は、淡い光を発しながら薄く透けていた。


「どうしたの、アルフ!?」


 複雑な表情を浮かべるアルフのもとへ、リサは勢いよく駆け寄る。抱きしめようと伸ばした手は、彼の身体をすり抜けてしまった。

 周囲の人々は驚き、ざわつきながら二人の様子を見つめる。


「どうなってるの……?」


 アルフの身体に起こった異変に、王女はひたすらに混乱していた。


 一方のアルフは焦りも驚きもせず、優しい眼差しでリサを見つめる。

 ――そう。彼はあらかじめ、こうなることを知っていた。王家の山でサキュイラと対峙し、自身に流れる「龍の血」を思い出したあの瞬間から。


「ここでお別れだ、リサ」


 唐突に告げられた別れの言葉に、リサは呆然とアルフを見つめた。

 

「俺は、この先の未来で生きられない」

「どういうこと……?」


 状況をよく飲み込めていないのか、目の前に立つ王女の表情が氷のように硬く強張る。そうしている間にもアルフから発される輝きは増し、彼の身体はどんどん透けていく。


「俺は『悪魔に殺されてしまったリサを救おう』と考え、未来の世界からこの時代にやってきた。そんな俺が、もしこの時代のリサを救えば――因果関係に矛盾が生じて、この時空から消滅させられてしまうんだ」


 突然こんなことを告げられても、理解し納得するのは苦しいだろう。それよりも王女は、幼い頃から想い続けた幼馴染みとの別れが刻一刻と迫っていることに、動揺しているようだった。


「みんなは、知っていたの……?」


 震える瞳で、リサは周囲に立つ仲間たちを見回す。


「うん……」


 ミラもロバンも、ファロン博士もサウードも。そこにいる仲間たちはみな悔しげに唇を震わせ、アルフレッド(アルカナを宿す者)との離別を受け入れていた。


「わたしだけが、知らなかったの……?」


 泣きそうになりながら拳を握りしめるリサの背中に、ファロン博士がそっと触れる。


「アルフレッドに辛い役目を負わせたのは、未来のあたいなんだ。だからどうか、彼を責めないでやってくれ」


 耐えきれずに涙を流すリサを直視できず、ロバンは俯いた。


「……アルフが消えずに済む方法、ずっと考えてた。でも、思いつかなかった。ごめん……」


 リサと、アルフ。二人がどんな感情で繋がっているか、旅を経て痛いほど知っている仲間たちは、皮肉な運命に頬を濡らす。


 悪魔の消えた夜空の下、王女や両親のすすり泣く声だけが哀しく響き渡っていた。


 あまりに辛い別れの場に、アルフの視界はじわりと滲む。

 ――もう会えないのだ。生真面目な友人にも、酒を呑み交わし笑いあった父にも、どんな時も明るく聡明だった母にも、憧れの博士にも。

 そして、誰よりも大切な美しき王女にも。


 涙が零れてしまわぬよう、アルフは天を仰ぎ、透けた手のひらを夜闇に翳す。


 残酷な真実を伝えれば、リサを苦しめてしまうと思っていた。でもそれは間違いだったのかもしれない。

 リサ・ディールはもう、甘く優しい嘘に酔うような、弱い娘ではないのだから。 


 白く輝くアルフの身体は非情なほどにゆっくりと透け、春の空気に溶けていく。


「……リサ。約束、守れなくてすまない」


 泣きじゃくるリサを見つめ、アルフはずっと気にかかっていたことを口にした。

 「リサが女王になる姿を、いつかアルフに見せる」。二人で交わした茜色の約束を果たせないことだけが、アルフの心残りだった。

 贖罪のために王女の涙を拭おうとしても、この透ける手では彼女の頬に触れることすらできない。


「嫌だ……! 行かないで!」


 大粒の涙を流し、リサはアルフに縋りつく。けれどその両手は、彼の身体に触れることなくすり抜けていってしまう。


 リサがはぐれてしまわぬよう、旅の途中、幾度となく繋いだ手。

 二人の手は離れ、今はもう触れることすら叶わなくなった。


「……リサ」


 覚悟していたはずの結末なのに、胸が張り裂けそうになる。


 悪魔のいなくなった未来を生きてみたかった。いつかリサが女王になり、マエル皇太子と結婚して家庭を持つ姿を見ていたかった。

 ――でも、この願いは決して叶わないのだ。

 

 身体から発される光が一層強くなる。もう、別れの時だ。


「泣くな。ずっとそばにいる」


 アルフは微笑むと、両耳につけていた月長石のピアスを外し、リサに手渡した。


「女王になれ、リサ」


 光の強さはどんどん増し、ついに目の前すら見えなくなる。


「アルフ」


 その姿が見えなくなる直前、リサは愛おしい龍の名を呼んだ。


「わたし、きっとあなたに逢いにいくわ。あなたがわたしに逢いにきてくれたみたいに、どんな場所でも、どんな姿になっても――!」


 アルフは王女の言葉に応えるかのように頷き、ゆっくりと瞳を閉じた。

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