第30話 龍の過去は未来に<3>
龍と化したアルフが夢魔を討ち、研究所を守った日の翌日。
ミラとその夫のロバン、そして息子のアルフは、ファロン博士に呼ばれ彼女の研究室を訪れていた。
「どうしたんですか、博士。改まって『話がある』だなんて」
ミラたち三人は木製の椅子に腰掛け、本棚の前に立つリン・ファロン博士を見る。対する博士は、本棚に立ち並ぶ研究書の背表紙を眺めながら、「ちょっと思いついたことがあってな」と返した。
「その前に……ロバン。体はもう、なんともないのかい?」
昨日の昼のことだ。悪魔の襲撃を受けた際、ロバンを含めた男性研究員たちはみな、サキュイラの呪いを受けて昏睡させられたのだ。
彼らが目を覚ましたのは、今朝の明け方になってからのことだった。
「はい。大丈夫です。ですが……アルフが龍に変化したというのは、本当なんですか」
ロバンは緑の瞳で、隣に腰掛ける息子を見つめた。
まだロバンの腰すら追い越さない背丈の、幼い子。この子が龍に変化する力を持ち、しかもその血が「龍神王の秘宝」だったなんて。……到底、信じられない。
「ああ、本当だよ。あたいもミラも……他の女たちも、ちゃんと見たさ。アルフレッドが龍に変化して、サキュイラを喰うところも。アルフレッドの血が、ミラの傷を癒すところも」
隣に座るアルフが、5歳とは思えない表情でロバンを見上げてくる。
息子の琥珀の瞳も、さらさらとした黒い髪も。まったく両親に似なかったのは、彼が龍神王の生まれ変わりだったからなのだろうか。
「――アルフレッド。お前はいつから、自分が龍だと知っていたんだい?」
こちらを向いた博士が、とんがり帽子の下に隠した黒い瞳を鈍く光らせる。
「母さんのお腹の中にいるときから――知ってた。ずっと声がしてたんだ。『お前は龍神王の生まれ変わりだ。永劫の輪廻に乗って、再びこの世界にやってきたのだ』って」
息子の言葉に、ミラとロバンは驚いて目を見開く。これまで5年の時を一緒に過ごして、アルフがそんな素振りを見せたことなど一度も無かったからだ。
「ずっと声がするだけで、その意味をよく分かってなかった。――でも昨日、母さんが夢魔に襲われたのを見て、やっと理解できたんだ。僕は『龍』だってこと。そして、僕に流れる『血』の使い方を」
どんな傷もたちどころに治す、奇跡の血。それが、アルフに流れる龍神王の秘宝の正体なのだ。
「なんという……宿命なんだろう」
ロバンは目を閉じ、独り言ちる。
彼らが"アルフレッド"と名付けた息子の身体には、本当にアルカナが宿っていたのだ。
「僕は――この身体で、この血で、リサ・ディール王女を守るために生まれてきたんだ」
右手の拳を握りしめたアルフが、窓の外を見やる。彼が向いているのは北――かつて、ディール城があった方角だ。
「どうして、リサ王女を……?」
10年前に没した王女の名前が出てきて、ミラは戸惑う。
リサ・ディールは、男ばかり生まれる王家に誕生した二人目の女性だ。同い年のリサ王女が成人して民の前に姿を現すのを、ミラは楽しみにしていた。
しかし王女は16歳のとき、復活した魔神王によって、ディール城もろとも滅ぼされてしまったのだ。
「リサ王女は、リファ・ディールの生まれ変わりだ。彼女の魔力は強大で、龍すら凌駕する。もし王女が『暁光の杖』を手にすれば、悪魔族を根絶やしにすることすら夢じゃない。だから復活した魔神王は、真っ先に王女と杖を滅ぼしたんだ」
息子によって明かされた衝撃の事実に、ミラとロバンは絶句する。
「じゃあ、10年前にリサ王女が亡くならず、王家の山に入って『暁光の杖』を手にできていたなら……。この世界は今、こんなことにならずに済んだの……?」
「……うん。もし僕が、王女と同じ時代に生まれていたなら……彼女と杖を、守ることができたのに」
琥珀の瞳を悔しげに歪ませる息子を、ミラは両腕で抱きしめた。
「泣かないで。リサ王女はもう、亡くなってしまったけれど。その代わり、あたしたちにできることを探そうよ」
「そうだよ、アルフ。王女はもう、この世界にはいないんだ。時を巻き戻さない限りは……」
そこまで言い、ロバンははっと、何かに気づいたかのように言葉を止めた。
「時を、巻き戻す……」
そう呟き、彼は震える瞳で、目の前に立つリン・ファロンを見る。
「……まさか、博士。『思いついたこと』って……」
どうか否定してほしい。そんなロバンの祈りも虚しく、こちらを見る博士は、青い髪を揺らして「話が早くて助かるよ」と頷いた。
「――この世界を、悪魔から救うために。アルフレッドには過去のディール王国に戻って、リサ・ディール王女と『暁光の杖』を守ってもらいたい」
博士の提案に、室内の空気が一瞬、凍ったように時を止めた。息子を抱きしめるミラの手が、じわじわと冷えていく。
「ディール大森林の魔石鉱で、大規模な魔力爆発を発生させる。アルフレッドには、その際生じる時空の『ゆらぎ』に飛び込み、時間を旅行してほしいんだ」
淡々と話すファロンだが、その声は若干揺れていた。
彼女にとって、アルフは孫のような存在だ。「偉大なる科学者」と呼ばれ尊敬されてきた女性も、人間らしい葛藤をすることはあるらしい。
「龍の肉体を持つアルフレッドなら、魔力爆発の衝撃にも時間旅行にかかる重力にも、きっと耐えられる。この任務を達成できるのは、この世でお前たちの息子だけだ――」
矢継ぎ早に話す博士の声を、ミラが「待ってください!」と遮った。
「博士の時間旅行理論は、あくまで仮説のはずです。『ゆらぎ』に飛び込んで時空を自由に移動できる保証なんて、どこにもない!」
博士が上司だということも忘れ、ミラは目の前の女性に食ってかかる。妻の瞳に涙が浮かぶのを、ロバンは唇を噛みしめながら見つめた。
「それに、もし時間旅行に成功して、この子が過去のディール王国に辿り着いたとしても。――魔神王を倒して世界が平和になれば、この子の存在は……」
堪えきれなかった涙が一筋、ミラの頬を流れ、アルフの手の甲にぽとりと落ちる。
博士の言う通り、龍の生まれ変わりであるアルフなら、過去に跳んで王国を救うことができるのかもしれない。
――だが、それはあまりにも……残酷な任務だ。
本棚の前に立つファロン博士は、目の前の親子から決して目を逸らさなかった。
「……ああ。あたいは今、とんでもなく非情な提案をしている。……過去の世界に跳躍したアルフレッドが、リサ王女を守り、みごと悪魔を倒したら。お前たちの息子はきっと、この世界から姿を消してしまうだろう。その理由は、聡いお前たちならちゃんと理解しているはずだ」
――アルフが過去に戻り、悪魔を倒せば、世界から彼の存在が消える。
ここにいる四人はみな、その理由を理解していた。理解しているからこそ……口にしたくなかった。
突きつけられた残酷な選択を前に、親子は何も言えずに佇む。重い沈黙が漂う室内の空気は、あまりに暗い。窓から差す昼の光が場違いなくらいには。
「……僕、やるよ」
重苦しい部屋の静寂を破ったのは、アルフレッドだった。
決意を漲らせる息子の肩を、ミラとロバンは焦ったように掴む。
「アルフ、ちゃんと分かっているのかい? たとえこの作戦に成功したとしても、お前の存在は……」
ロバンは息子の顔を覗きこみ、必死にそう諭すが、アルフの瞳は揺るぎない意志を灯らせていた。
「分かってるよ。でも、このままこの時代で暮らしてたって、遅かれ早かれ悪魔に食いつくされてしまう。ならば僕は、提示された可能性に賭けたい。そのために、僕一人の存在が犠牲になったって構わないよ」
迷いなくそう言い切るアルフは5歳に見えないどころか、その場にいる大人たちより遥かに年を取った存在のようだ。
ミラとロバンは、そんな息子のことがとても誇らしく……切なかった。
「ありがとう……アルフレッド。お前は、あたいが出会った中で最も勇敢な人間だ」
こちらに歩いてきたファロン博士が屈み、アルフの頬にそっと触れる。
――リン・ファロンがその生涯で泣いたのは、後にも先にもこれきりだった。
◇ ◇ ◇
それから、数週間後。
アルフの旅立ちの日がついにやってきた。
身支度を終えたアルフは研究所の入り口に立ち、見送りに出てきてくれた所員たちと言葉を交わす。ある者は目頭を熱くして激励の言葉を、ある者はアルフの健康を祈る言葉をくれた。
――みんなと会うのは、これで最後になる。そう思うと、流石にこみ上げてくるものがあった。
研究所を出発したアルフと両親、そしてファロン博士を含めた四人は、数度にわたる魔獣の襲撃を撃退しつつ、ディール大森林の入り口に到着する。
「あたいたちが付き添えるのは、ここまでだ。あんたがこれから起こす魔力爆発の範囲は、森一帯だと想定されるからね」
博士はそう言うと、前方に広がる広大な森林に目をやった。
あの森を北へ抜けると、ディール城の跡地がある。10年前に滅んでしまった悲劇の王城には、王女や兵士……たくさんの人々が暮らしていたのだろう。
「そいつの使い方は、もう覚えたかい?」
ファロンは、アルフが背中に担いでいる銃のような装置を指差した。これは、リン・ファロンが長年かけて開発した、魔石から魔力を吸い取って移動させる道具だ。
「そいつを使えば、魔石から魔石へ、魔力を移し替えることができる。森林の中央にある魔石鉱に到着したら、できるだけ巨大な石を選んで、そいつで魔力を注いでやってくれ。石がデカければデカいほど、爆発の規模も大きくなるからね」
博士と任務の確認をしたアルフは、神妙な面持ちで頷いた。
研究所だけじゃない。残された人類の希望が、アルフの背中に託されているのだ。何があっても失敗するわけにはいかない。
「こんなに辛い運命を背負わせて、本当にごめんなさい。母さんたちのこと、許してくれなくていい。だからどうか、忘れないでいてね」
隣に立つミラの瞳を見つめ、アルフは必死に首を振った。
運命なんかじゃない。親や博士に強制されたわけでもない。
過去に跳び、世界を救う――これは、自分の意志で選んだことなのだ。たとえその先に、残酷な結末が待っているのだとしても。
「お前と一緒に酒を飲む日を楽しみにしていたけど……それも叶わないんだね」
膝立ちになったロバンの瞳と目が合う。父は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ううん。僕、過去の世界で必ず父さんのことを見つけ出すよ。そして、若い父さんとお酒を飲み比べる。龍はお酒に強いから、きっと僕が勝つよ」
アルフが笑ってそう言うと、必死に泣くのを堪えていたロバンの瞳が歪み、透明な涙が零れ落ちた。
「ああ。約束だよ」
ロバンは微笑むと、持っていた銀のサーベルをアルフに手渡す。
「お前の行く道にはきっと、険しい困難が待ち構えているだろう。くじけそうなとき、どうかこの剣を見て、思い出してくれ。お前の父と母は、お前を心から愛していると」
渡されたサーベルの刀身に刻まれた文字を読み、アルフは思わず、目の奥を熱くする。
――"最愛の息子、アルフレッドに捧ぐ。父 ロバン・ロノワール 母 ミラより"
この先の過去に、なにが待ち受けていようとも。
この剣が、この言葉があれば、全て乗り越えられると思った。
「僕たちはまたいつか、きっとどこかで巡り会う。だからそのときまで、どうか――」
――どうか、元気で。僕たちの息子、アルフレッドよ……。
父と母、そして博士の愛情を胸いっぱいに受け。
アルフレッドはひとり、大森林の中へと歩き出した。




