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女王の龍は暁光に舞う  作者: 瀬尾ゆすら
第6章 龍の目覚め
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第25話 杖に眠る魔女

 ディール山の参道は、軍による定期的な整備がなされている。それでも、標高の高い山を一日中歩き続けるとなると、なかなか体に堪える。


「やっと着いた……」


 日が沈み、月が空を支配する夜。

 リサ・ディール王女はついに、王家の山の頂に到着した。


「あれが、リファさまのお眠りになる神殿……」


 山頂から伸びる長い石階段の先に、白い神殿が(そび)え立っている。あの内部には、王家の祖先リファ・ディールの墓と、「暁光の杖」があるはずだ。


「……あたし、この日のこと、一生忘れないだろうなぁ」


 アルフの背後で、ミラが呟く。いつもは半袖のジャケットから両腕をむき出しにしている彼女だが、この寒空の下ではさすがに外套を羽織っていた。


 辺りにはまだ僅かに雪が残っており、吐き出す息は白く輝く。


「僕も。今日のことは、一生の誇りにするよ」


 ロバンの言葉に、アルフも心の中で同意した。

 リサ王女が神聖なる山を登頂した瞬間を、見届けられたこと。そのことを心の底から誇りに思った。


「……月が綺麗ね」


 隣にいるリサが上空を見上げ、アルフもそれにつられる。

 漆黒の空に煌々と輝く、明るい満月。自分たちが海抜の高い場所にいるせいなのか、夜空に浮かぶそれはいつもよりも巨大に見える。


「王女様。……どうぞ中へ」


 神殿の階段下に集った兵士たちが、リサを中へ促す。 王女は頷き、一つ息を吸うと、石でできた階段を上るため一歩目を踏み出した。


◇ ◇ ◇


 石階段を上り終えた一行は、リサ王女を先頭にして、神殿の内部に足を踏み入れる。


「すごい……」


 そこに広がった光景に、ロバンが辺りをきょろきょろと見上げながら感嘆の声を洩らした。


 天井も、床も。全てが白い大理石でできた、美しい神殿。周囲には巨大な柱が何本も立ち並び、建物全体を覆うように支えている。柱の隙間からは幾筋もの月光が差していた。


「あそこに……リファさまが……」


 中央の床は一段高くなっており、そこに黄金の棺が横たわっていた。屋根のおかげで雨ざらしになることは避けられているが、柱の隙間から入りこむ風によって、多少の汚れや劣化が見受けられる。

 しかし、それでも美しい棺だ。建国の魔女が眠るのにふさわしい場所といえよう。 


「お父さまも、ここで王位継承の儀をなさったのね……」


 前方にいるリサの表情は見えない。けれどアルフには、彼女が涙を堪えているのが分かった。


 柱の隙間をぬって入り込んできた冷たい風が、王女の銀髪をふわりと揺らす。


 リサは棺の前まで歩を進めると、その場に跪き、龍神教の手印を結んで祈りを捧げた。少し遅れて、サウードたち兵士や、ミラとロバンもそれに倣う。アルフも慌ててその場にしゃがんだ。


「……偉大なるディールの祖、リファさま。わたしはあなたの末裔、リサ・ディールです。悪魔を倒すため、あなたがお作りになった杖の力をお借りしたく、ここに参りました」


 透き通った王女の声が、冷たく澄んだ神殿の空気を揺らす。その声はきっと、目の前に眠る彼女の先祖にも届いたことだろう。


 リサは立ち上がると、迷うことなく棺に近寄った。棺の蓋にはくぼみが彫られており、そこに杖が納められている。


「これが……暁光の杖……」


 その杖のあまりの美しさに、リサはただただ圧倒されていた。

 伝説の通り黄金色をした、細身の杖。先端は丸くなっており、大きな虹色の魔石が埋め込まれている。魔石の周囲には龍の翼のような装飾が施されていた。


 ――父も、祖父も、曾祖父も。歴代の王たちはみな、この杖に触れたのだ。


 数百年続く王家の歴史が宿る、神聖な杖。


 リサは息を整え、瞳を閉じる。少しのあいだ、神殿の沈黙に身を委ね――そして瞳を開き、おそるおそる黄金の杖に手を触れた。


 ――その刹那、今宵の月光よりも遥かに眩しい光が、杖の魔石から発される。


「王女様!」


 サウードの声が飛ぶが、辺りは白色に包まれ何も見えない。あまりの眩しさに目を閉じたアルフが、次に目を開けたとき――彼は目の前の光景を疑った。


 暁光の杖を手にしたリサの、すぐ目の前。リファ・ディールが眠る黄金の棺の上に、長い髪をした老女がふよふよと浮かんでいたのだ。


「あれは……!?」


 その場にいた誰もが驚き、硬直したまま老女を見上げる。


 女性の銀髪は腰まであり、体には白いローブを身に纏っていた。体全体が青白く発光していて、向こう側の景色が透けて見える。

 老女の姿を見たアルフたちの脳裏に()ぎったは、まったく同じ単語だった。「幽霊」、と――。

 

「……この杖を手にした者よ。これは、魔石に宿した私、リファ・ディールの幻影です」


 そんな彼らを見透かしたかのように、老女は口を開き、言葉を発した。声を張っているわけではないのに遠くまで届きそうな、凛とした声色だ。


「リファさま……!?」


 透けた老女の正体を知ったリサは、棺の上に浮かぶ彼女と、手に持った黄金の杖を交互に見やる。


「この杖は、手にした者の魔力を増幅させ、悪魔の呪いから人を守ることを可能にします。私は、私の子孫がこの杖を手にし、魔神王を滅ぼしてくれることを望んでいます」


 幻影のリファはまるで、遠くの空を見つめているかのようだった。こちらと意思疎通が図れるわけではなく、今アルフたちが見ているのはあくまで、彼女が生前に残した「映像」だということだろうか。


「しかし、魔神王の力は強大です。龍神王が命をかけても、封印するだけにとどまりました」


 その場にいる者たちの驚きをよそに、リファの幻影は言葉を続ける。アルフはというと、以前遺跡で彼女の壁画を見たときと同じような、妙な感覚に襲われていた。


 ――その天の川のような銀髪も、緑柱石のような瞳も。どこか懐かしく、胸がかき乱されるのだ。


「いつか、彼の――龍神王のかけた封印が、破られるかもしれない。そう思った私は、魔神王に打ち勝つための研究に生涯を捧げました。この杖は、その研究の集大成です」


 リファの瞳が光る。老齢になっても決して折れず、死の間際まで悪魔に勝つ術を模索し続けた、強い瞳が。


「……私の血族は魔神王の『呪い』を受け、女が生まれることはありません」


 先祖の幻影が告げた衝撃の事実に、リサははっと目を見開く。両手で杖を握りしめながら、父の遺した言葉を思い返した。大好きな父が、死の直前に語った言葉を。


「私の『永劫の輪廻』は、魔神王によって断ち切られたのです。強い魔力を持つ私が、決して生まれ変わることのないように」


 リファの言葉に、父の遺言が重なる。


 ――"王家にずっと男ばかり生まれていたことも、女子が突然生まれたことにも――理由がある"


「それでも私は、未来の奇跡に賭けます。もしもこの先、ディール家に女が生まれることがあれば。その人物は私の生まれ変わりで、強い魔力を持つことでしょう」


 ――"リサ、お前はディールの人間として、すべての謎を解き明かす義務がある。そのために――お前に、女王になってほしい"


 目の前を覆っていた(もや)が、一気に晴れた気がした。


 今この時、王家の謎は解き明かされ、この国に一筋の光が差す。その光は、リサ王女を真っ直ぐに照らしていた。王族に現れた二人目の女であり、偉大なる魔女の生まれ変わりである、リサ・ディールを。


「リサちゃんが……、リファ様の生まれ変わり……」


 確かめるように、ロバンがそう呟く。明かされた王家の真実に、その場にいる誰もが驚愕し、高揚していた。


 魔女の言葉は更に続く。


「――そして、もうひとつ。もし魔神王を倒したいと思うのなら、『龍神王の秘宝(アルカナ)』を求めなさい」


 「龍神王の秘宝(アルカナ)」。それは、ミラが探し求めている伝説の財宝の名だ。


「龍神王は死の間際、私に言いました。『どんな不可能も可能にする奇跡を、この世界に遺した』と」


 神殿の静寂に、リファの声だけが響き渡る。


「龍族の歴史を知る書物や人間は、すべて悪魔に滅ぼされてしまいました。だから詳細は不明です。――ですが、アルカナは必ず、この世界のどこかに存在します。彼が私にそう約束したのですから」


 そう告げると、老齢の魔女は一瞬、過去を懐かしむような表情をした。過ぎ去りし若い日々を追憶する彼女の瞳に、アルフの胸はどくりと高鳴る。


「私からの言葉はここまでです。……どうか、未来に生きる私の生まれ変わりが、この地を覆う闇を振り払わんことを」


 リファは目を閉じ、龍神教の手印を結んだ。青白く光る彼女の体はどんどん薄れ、その存在が消えていく。


「リファさま」


 消えかかる魔女を見上げながら、リサは前世の自分の名を呼んだ。


「……わたしは、生まれました」


 まるで、王女のその呟きに応えるかのように。

 リファ・ディールが、優しく微笑んだ……気がした。

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