第23話 王女の責務
中央には、エヴァンに跨るアルフとリサ。その周囲を馬に乗った兵士たちが取り囲み、勢いよく駆けていく。
街道を歩く旅人や行商人たちは、近代的な乗り物に乗った男女を軍人たちが守護するその光景に、いったい何事なのかと驚いていた。
――"エネルモアから城までは、約2日かかります"
アルフの腰に腕を回しながら、リサは、今朝エネルモアを発つ前に聞いたサウードの言葉を思い返す。
――"エネルモア山脈を突っ切れば1日で到着できますが、魔獣に遭遇する可能性もあります。王女様の安全を第一に考えて、街道沿いを進みます"
「魔獣」という言葉を聞き、リサは、数日前に森で出会ったノノの姿を思い出した。ミラに麻酔銃を撃たれたあの猫は、彼女の部下たちによって研究所へ運ばれたが、その後どうしているのだろうか。
「城を出て、ミラとロバンに出会って。遺跡に行って、サキュイラが生きてたことを知って……。わたしたち、この数日間でずいぶんと遠くまで来たよね」
背中越しに、リサはアルフに語りかける。エヴァンを運転するアルフは、彼女の意見に賛同して「ああ」と頷いた。
「城に戻って、ディール山を登って、暁光の杖を手にすれば。きっと、お父さまの遺言の意味を理解できるはずだわ」
そう言うとリサは、前方に続く街道と平原を見渡した。
ここから北にある城の、さらに北にあるディール山。その姿は、ここからではまだ見えない。
けれど自分たちは確実に、「王家の真実」に近づいている。
◇ ◇ ◇
エネルモアを発った一行は、夜を迎えた。
サウードの提案で、街道から少し外れたところにある野営地に滞在し、夜を明かすことにした。
兵士たちが宿泊用のテントを組むのを手伝い、魔法を唱えて火起こしをする。そんなリサに、サウードは何度も「座っていてください」と懇願したが、王女はそれを笑ってかわした。
――そして、全員が食事を終え、ほっと一息ついた頃。
サウード率いる兵士たちは剣の稽古を行い、ミラは焚き火を明かりに銃の手入れをしている。そこから少し離れたところに、木に繋がれた馬の毛並みを優しく撫でる、ロバンの姿を見つけた。
「ロバンは馬の扱いに慣れているのね」
振り向いたロバンは、リサの言葉ににっこりと微笑む。
今日一日中、リサたちの隣を走っていたロバンだが、乗馬にはかなり慣れている様子だった。
「うん。僕、研究所で働く前は国じゅうをさすらってて、馬に乗ることも多かったんだ」
ロバンの過去を知ったリサは、青緑の瞳をきらきらさせた。
「ロバン、旅人さんだったの!?」
「そうなんだ。北はヒダルゴから南はエネルモアまで、色んな場所に行っては、龍族についての情報収集をしていたんだよ」
龍族。かつて悪魔から人間たちを救ってくれた、リサたちの神の名だ。強く逞しい伝説上の生物はディール人の憧れであり、ロバンも龍に魅了されたうちの一人なのだろう。
「とは言っても、龍族の歴史書の多数は、悪魔族によって燃やされてしまったからね。僕の旅が行き詰まるのも早かった。路頭に迷った末にファロン博士と出会って。必死に頼みこんで、研究所専属の医者として、どうにか働かせてもらえることになったんだよ」
仲間の過去を知れて、リサは新鮮な気持ちになる。それに、ロバンと二人きりで言葉を交わすのはこれが初めてだ。
彼との心の距離を縮められた気がして、リサは嬉しさに顔を綻ばせる。
「ふらふらしていた期間が長かったから、気がついたら25歳になってしまっていたよ。実家の両親には『早く孫の顔が見たい』なんて言われるし、本当に勘弁してほしいね」
とは言っても、ロバンの見た目はとても25歳には見えない。長い金髪に中性的な顔立ちをしているから、十代後半の女性だと言われても信じてしまいそうだ。
「結婚の予定はないの? ……たとえば、ミラとか」
「どうしてミラの名前が出てくるんだい?」
即座に問い返され、リサはぎくりとする。
「もしかしてリサちゃんも、アルフのサーベルのこと、知ってるのかい?」
それとなく尋ねたつもりが、あっさりばれてしまった。
おそらくロバンも、アルフに見せてもらったのだろう。「最愛の息子、アルフレッドに捧ぐ。父 ロバン・ロノワール 母 ミラより」――アルフの持つサーベルに書かれた、あの文字を。
「あいにく、僕とミラはそんな関係じゃないよ。年だって9歳も離れているしね」
馬の手入れを終えたロバンは、肩を竦めてリサに向き直る。その緑の瞳は少し困っていた。
――やっぱりロバンとミラは、アルフの両親ではないのだろうか。
「……でもね。これからの未来がどうなるかは、誰にも分からないよ」
そう言うとロバンは、内緒話をするように声をひそめる。
「ちょっとしたことがきっかけで、未来は大きく変わる。無数にある未来の中で、僕とミラが結婚し、子どもを授かっている世界もあるかもしれないね」
少し不思議で難しい話だったけれど、リサにもなんとなく理解できた。
すべてのことには理由がある。だから、アルフと二人が出会ったことにも理由がある。その理由は、きっと――リサたちの旅のどこかで、見つかる気がするのだ。
「リサちゃんはマエル皇太子との結婚について、どう考えているんだい?」
「リサちゃん」と呼ばれるたび、王女はそれを咎めるどころか、嬉しそうに頬を緩める。
「この旅が終わったら、彼にきちんとわたしの気持ちをお伝えしようと思っているの。『わたしは女王になりたいから、あなたには王婿としてディール家に入ってもらうことになります』と」
夜空に浮かぶ眩しい月を見上げ、これまでに何度も逢瀬を重ねてきた同盟国の皇子を思う。
「それを許していただけたら、結婚することになると思うわ。同盟を大切にしたいのはお互い同じでしょうし」
皇太子の前で、リサはいつも淑やかな娘を演じていた。だから、そんなリサが「女王になりたい」なんて言った日には、彼は驚きのあまり腰を抜かすかもしれない。
「とてもお優しいお方だから、わたしの発言が国際問題に発展する、なんてことはないと思うけれど……。でもきっと、びっくりさせてしまうでしょうね」
そう苦笑すると、リサは、少し離れた草むらに座ってエヴァンの整備をするアルフレッド・ティンバーリアに視線をやった。
――まだ自分が、幼い少女だった頃。
リサは思い描いていた。いつか彼と、夫婦になる夢を。
しかし、現在のリサはもう、知ってしまっている。
――王女は、結婚相手を選べない。
例えば、ロバンたちが研究所で働き、日々発明に勤しんでいるのと同じように。リサがマエル皇太子と結婚することは、王族である彼女に課せられた「仕事」のようなものだ。
「リサちゃん……」
ロバンは一瞬、何か言いたげに口を開くが、すぐにそれをやめてしまった。
リサが、城を抜け出すお供にアルフを選んだ。その理由にきっと誰もが気づいている。しかしそれを、わざわざ口に出す者はいない。
「……もう、寝ましょうか。明日も早いものね」
決して口にできない、王女の胸を締め付ける切なる想いを、夜空に浮かぶ星々が密やかに見つめていた。




