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女王の龍は暁光に舞う  作者: 瀬尾ゆすら
第4章 悪魔の呼び声
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第16話 顕現する夢魔<1>

 その場にどさりと倒れ込んだレオンに、顔面を蒼白にしたロバンが一目散に駆け寄る。木の根に貫かれたレオンの胸にはぽっかりと黒い穴が開き、そこから血がどくどくと溢れ出していた。


「レオンさんッ」


 倒れるレオンにリサが近づこうとするのを、ロバンが「来ちゃダメだ!」と制する。


「僕は医術の心得があるんだ! なんとか止血するから、リサちゃんはアルフから離れないで!」


 リサの身分にうすうす気がついているロバンは、必死の形相でそう叫んだ。そして倒れるレオンの上衣を破くように引き剝がすと、肩に背負っていた道具袋から止血帯を取り出し、焦りながらも素早く処置を進めた。


 その間にも、広い床に張り巡らされた木の根は、まるで意思を持っているかのようにうねうねと(うごめ)く。

 わけのわからない状況に、完全にパニックになっているミラは、悲鳴を上げて黒い根から逃げ惑った。


 やがてぴたりと動きを止めた木の根は、まるで石床の中へ吸い込まれるかのように、大広間の中心にしゅるしゅると集まった。何事かと固唾を呑むアルフたちに囲われながら、それはみるみる人の姿へ形を変えていく。


「お前は――!?」


 そこに現れた女を認識し、アルフは、長めの前髪から覗く琥珀の瞳をぎらつかせた。

 床まである長い黒髪に、薄闇の中で光る赤い瞳。額からは赤黒い角が2本、背中からは巨大な蝙蝠のような羽が生えている。


「ま、まさか……」


 リサは愕然とした表情で、土気色の肌に黒い瘴気を纏わせる女を見つめた。形のいい王女の唇はわなわなと震え、もともと白い肌はさらに青白く浮かび上がっている。


「夢魔、サキュイラ……!?」


 恐れおののき、背中に装備している魔石銃を構えることすら忘れているミラが呟いたその名に、目の前に立つ女は「いかにも」というふうに頷いた。


「そう――あたしは、夢魔。夢魔サキュイラよ」


 そう名乗る悪魔を、アルフは信じられない気持ちで見つめる。


「なぜここにいる!? お前は数百年前の大戦で、龍族に滅ぼされたと聞いた!」

「『死んだふり』よ。ここで龍たちに襲われて魔力が尽きたあたしは、さっきの姿になってやつらをやり過ごした。そして数百年もの間、ここにやってくる動物を操っては人間を殺させ、間接的に魔力を吸い取ってきた」


 「さっきの姿」とは、先程レオンの胸を貫いた、木の根のような姿のことだろう。


 衝撃的な事実を、まるで歌うように楽しげに告げる夢魔に、アルフは生理的な嫌悪を抱く。きっと、あの子のペット――「ノノ」も、こいつによって魔獣に変えさせられたのだ。

 

「やっと、木の根から元に戻れる魔力が溜まった。ここまで本当に長かったわ……」


 品定めをするように、その場にいる五人の人間たちを眺める悪魔に、アルフの本能が叫ぶ。こいつは――やばい、と。


「お前の狙いはなんだ!?」


 腰に提げた鞘からサーベルを抜き、アルフは半歩後ずさりながらそう叫んだ。いつもは冷静で涼しい顔をしている彼の額には、脂汗がびっしりと噴き出ている。


「決まってるでしょ。『悪魔が支配する世界』の実現よ」

「どうしてそんなことを望む!?」

「……ふふ。今から、あんたたちの身をもって教えてあげるわ」


 そう言い放ったサキュイラが左手を前方にかざすと、骨ばった指から放たれた黒い瘴気が、アルフと、レオンの止血を終えて立ち上がろうとしていたロバンに襲いかかった。


「うわっ!?」


 濃い霧のようなものが目の前を覆い、アルフはそれを振り払おうと激しくもがく。

 しばらくして、やっと視界が開けてくると――瞳を閉じたロバンが、レオンの隣で横たわっていた。


「ロバンッ!」


 倒れたロバンに駆け寄ろうとするリサを、アルフは剣を持っていない方の手でぐっと制する。


「死んでいない。きっと、やつの『呪い』とやらで眠らされているだけだ」

「でも……!」


 夢魔サキュイラは、あらゆる人間の男を強制的に眠らせる「呪い」を持つらしい。それがなぜ、自分にだけ効かなかったのかは謎だが……。


 アルフは胸の前でサーベルを構えながら、大広間の石柱の陰で横になる二人を見やった。ロバンは呼吸に合わせてちゃんと胸が上下している。きっと命はある。

 しかしレオンは……胸元を突かれたのだ。心臓をやられているかもしれない。ロバンによって応急的な止血処置を施されたものの、少し離れたここからでは、呼吸の有無が確認できない状態だ。無事を祈るしかない。


「どうして、あたしの呪いが効かないのかしら? あんた、いい男だけど――本当に人間?」


 悪魔はアルフの顔を認識すると、青い唇に妖艶な弧を描きながら彼に近づいた。長身のアルフよりさらに長身の彼女は衣服を着ておらず、胸や鼠径部を黒い羽根で辛うじて隠している。


 距離を詰められたアルフはリサの前に守るように立ちはだかり、相手の血のような眼を臆することなく睨みつけた。

 サキュイラの背後では、今にも泣きそうになっているミラが、震える両手で魔石銃を構えている。


 アルフと、ミラ。二人の人間に挟まれる格好になった夢魔は、その状況を恐れることなく、「あたしとやるの?」と好戦的に問いかけた。


「お前を地上に逃がすわけにはいかない」


 そう答えたアルフは、サーベルの柄を両手でぎゅっと握りしめる。

 リサ・ディールが守ろうとしているこの国で、こんな生物をのうのうと生かしておけるわけがない。


「いいわ。あんたみたいないい男を死なせるのは惜しいけど……これも、あたしたちの目的のためッ」


 言い終わるやいなやサキュイラは、黒く長い右手の爪をこちらに突き刺そうとしてくる。それをサーベルで弾き返すと、相手はすぐさま炎の呪文を唱えてきた。


「リサ、こっちだ!」


 ゼロ距離で放たれた火球を、アルフは背後にいるリサの手を引きながら走って躱す。それを見たサキュイラが、追い打ちをかけようと再び右手を翳すが、隙だらけのその背中にミラが魔石弾を撃ち込んだ。


 パアン!


 うっかりしていると鼓膜をやられそうなほど大きな発砲音が、石造りの広間に鳴り響く。と同時に、ミラお手製の人工魔石でできた弾丸が、ボンッという音を立てて一気に爆発した。


「危ないッ!」


 アルフはリサを抱き寄せてしゃがみ、吹きすさぶ爆風に背を向けぎゅっと目を閉じた。風に煽られ、彼の後ろ髪がぶわりと逆立つ。

 小さな弾丸からは想像できないほどの、とてつもないエネルギー爆発。遺跡が崩落してしまったらどうしようかと心配になるくらいだ。いくら悪魔といえど、この衝撃をもろに受けては、生き延びることは不可能だろう。


 風と粉塵が収まり、大広間は元の姿を取り戻す。少し離れた正面に、銃で撃ちぬいた姿勢のまま肩で息をするミラの姿があった。


 肝心のサキュイラの姿は――無い。おそらく、爆発によって身体が四散したのだろう。


「なんとか撒いたか」


 かつて龍族すら手こずらせたという悪魔族だが、現代の科学の力の前ではさすがに無力だったか。

 頬についた埃を払い、立ち上がったアルフは急いでレオンのもとへ走ろうとする。


「きゃあッ!」


 ――そのとき、ミラの悲鳴が聞こえて、アルフとリサははっとそちらを向く。


 黒い羽をはためかせ宙を舞うサキュイラが、ミラめがけて炎を放っていた。

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