第10話 あの星に誓って
南に向かってエヴァンを駆るアルフは、ゴーグルを介した目で、左に広がる大地を見下ろした。
延々と続くエネルモア山脈のふちが、じんわり赤く滲んでいる。日の出が近い証拠だ。
黒い紙に赤い絵の具を一滴垂らしたような、美しい朝焼け。息を呑むような絶景だが、アルフにはひとつだけ気がかりなことがあった。彼の腰に両腕を回して掴まる、後部座席のリサのことだ。
「ロバンとミラ、いい人たちだったね」
呑気なリサの言葉に、アルフは「ああ」とぶっきらぼうに頷く。
確かに彼らは、よくできた人格者だ。あの男の子のこともきちんと家まで送り届けてくれるのだろう。
だが、今の自分たちが気を回すべきなのは、そんなことではない気がする。
アルフはもう一度、赤く染まる山脈に目をやった。
このまま日が昇って朝が到来すれば、アルフとリサがいなくなったことは城中に知らされるだろう。
城の人々が慌てふためく姿を想像すると、げんなりしてくる。特に、王女の専属護衛であるサウードだ。彼はあの通り、リサ王女に絶対の忠誠を誓っている。
リサは、アルフにいかなる罰も課されないようにすると言ってくれた。だが、いつか城に帰った日には、アルフはサウードにこっぴどく叱られるんだろう。法的に罰されはしなくても、彼に個人的に半殺しにされる可能性は大いにある。
細い眉を吊り上げてねちねちと説教をするサウードを想像し、アルフは重たいため息をついた。
そんな彼の懸念を知る由もない背後のリサは、さらに言葉を続ける。
「……ねぇ、アルフ。気づいてるよね? あの二人の名前……」
リサの言葉に、アルフははっと目を見開いた。一瞬だけ運転の集中を欠いてしまい、宙を駆けていたエヴァンの黒い車体が大きくぐらつく。慌てて二輪車のハンドルを握りなおした。
やはり、リサも気づいていたのだろう。
ロバンとミラ。彼らの名が、アルフのサーベルに刻まれている両親の名と同じであることに。
「あの二人、アルフのお父さまとお母さまなのかしら……?」
それはまだ、わからない。
アルフはさっき、彼らについて結論を出すのを急がないと決めた。何故ならロバンもミラも、アルフとは完全に初対面である様子だったからだ。
それに、仮に彼らがアルフの両親であるとするならば、一つだけ矛盾が生じる。
それは「年齢」だ。
見たところ、どうやら彼らはまだ若い。ミラにいたっては耳にピアスをつけていないことから、おそらく未成年だと思われる。
それに対して、アルフは現在20歳だ。もし彼らがアルフの両親であるならば、その年齢は少なくとも40歳近くでなければならない。
「よく分からないけれど、あなたとあの二人が出会えたのは、きっと龍神王さまのお導きね」
「……そうだな」
認めたくないが、アルフは、彼らとの出会いに運命的なものを感じていた。
自分は無神論者だが、あの二人との出会いには、世界の理屈や法則を超越した存在の介入があるように思われる。
「……ところで、リサ」
エヴァンを運転しながら、アルフは、後ろのリサにずっと言いたかったことを口にした。
「君はやはり、魔法が上手だな。ロバンとミラにも褒められていたじゃないか」
優しい言葉をかけられたリサは、「ありがとう」と言いながら、アルフの背中に顔を寄せる。その頬は僅かに紅潮していた。
「わたし、自分が他人に唯一誇れることがあるとしたら……魔法かな、って思う」
小さな声で、しかしはっきりと紡がれたリサの言葉に、アルフは前を向いたまま頷いた。
「一緒に勉強してたころ、わたし、勉強も魔法も、なにもかもダメな子だったでしょう?」
リサの言葉に、遠い昔となっていた過去の記憶が蘇ってくる。
王女の言う通り、幼い頃のリサは、アルフより年下だったということもあるが、勉強面でも……魔法の面ですら、彼に勝るものは一つもなかった。
「自分とアルフを比べては泣くわたしを、お父さまがいつも励ましてくれていたの。『リサの魔法はダイヤの原石だ。いつかダイヤになるまで、きらきら光りだすまで、何度も何度も練習しなさい』って」
リサの言葉を聞いて、アルフは、その琥珀の瞳をはっと輝かせた。
……そうだ、思い出した。
リサは決して、小さい頃から魔法が得意というわけではなかったのだ。
挫折を味わっても、へこたれても。彼女は何度も立ち上がり、努力して努力して……今の魔法の腕があるのだ。
……そうだ。ずっとそうだったのだ。
疎遠になっていたから、アルフが忘れてしまっていただけで。
本当のリサは。リサ・ディールは。
頑張り屋で、負けず嫌いで、紛れもなく――エリック・ディールの娘なのだ。
そのときアルフは、ようやく気付くことができた。
「リサはエリック王になれない」だなんて、とてつもなく失礼な決めつけだったと。
……なれるかもしれない。いや、きっとなれる。
リサなら、「女王」に。
そう思い至ると、この国を覆う謎に、一筋の光が差した気がした。
その光は、リサ王女を真っ直ぐに照らしている。その光をもって、王女はきっと、王家に秘められた真実を解き明かしてくれるだろう。
……ならば自分は、それを傍で見ているとしよう。
彼女が折れてしまいそうな時があれば、そっとその背中を支えよう。
いち国民として。そして、王女の旧い友人として。
「――なぁ、リサ。俺は『誘拐犯』らしく、君と一つ取引をしたい」
前方に水上都市エネルモアの姿が見えてきて、アルフはエヴァンをさらに加速させた。向かい風が、彼の黒い髪をふわりと踊らせる。
「俺は望み通り、君を城から連れ出した。だから、その代わり――リサが女王になる姿を、いつか俺に見せてくれ」
それは、取引という名の「約束」だった。
「ええ、取引しましょう。龍神王さまの星に誓って」
腰に回されたリサの腕に、ぎゅっと力がこもる。
茜色の空。
背中に感じる温度。
耳を撫でる、まだ少し冷たい春先の空気。
暁の空の下、二人で約束を交わした。
――このときこの瞬間を、たぶん一生忘れない。
「……見て、アルフ。夜明けよ」
リサが東を指差し、アルフもそちらへ顔を向ける。地平線から、太陽がその姿を見せていた。
――いつか、必ず。この目で見届ける。
女王となったリサが、あの太陽のように、民を照らす姿を。
アルフの耳で揺れる月長石のピアスが、暁光を受けてきらりと輝いた。




