食べてみれば美味しい料理でも美味しそうに見えない
前回は『B級グルメ』の『味の共有』=『味の共感』のお話をしました。
今回はたぶん、絶対に美味しいのだろうけど、それを作品として取り入れたとしても必ずしも美味しそうに見えないかもしれない、という法則について触れたいと思います。
料理科学や美食学という考え方はご存知でしょうか?
ここ十数年で、わたしたちのような料理に直接関わっていない一般人の間でも、『ガストロノミー』という言葉で、大分聞き馴染みのある言葉になったと思いますが、料理の世界というのは、日々進歩を続けています。
そうでないと料理人として生き残れない、ということもあるのでしょうが、やはり『おいしさ』という個人個人で異なる曖昧な部分を、どうにかしてわかりやすく解釈し、それを応用していこう、という取り組みは世界的に行われているようです。
ということは、新しい料理の方が美味しいのでしょうか?
いえ、これも必ずしもそうとは言えないのですが、それにつきましては、また別の項目の時にお話しするとしましょう。
ここで言いたいことは、間違いなく、料理科学を駆使したり、新しい調理法を用いた料理の中には、今まで以上に美味しいものも確実に存在する、ということです。
すべて、ではありませんよ?
すみません、余計な念押しでしたね。
わたしたちにとって、『おふくろの味』という、真新しさを料理に求めるのとは別の側面もあります。
今まで食べてきた経験、そこから呼び起こされる『おいしさ』の感覚が個々で異なり、人にとって、『いくら食べても飽きない』料理が存在するのも『おいしさ』にはいくつもの種類があるからなのかも知れませんね。
『美味しんぼ』や『ミスター味っ子』などでも触れられている通り。
『うますぎる料理は飽きる』という側面も存在します。
わかりやすい例では、本マグロの大トロも最初のひとくちふたくちなら間違いなく美味しいですが、それが続くと脂のうっとうしさが浮き上がってきます。
インパクトの強い料理は、同時に飽きやすいという側面を持っているのかも知れませんね。
さて、ここで、最新調理などをきちんと作品に落とし込んだ例としまして、『食戟のソーマ』をあげさせて頂きます。
『小説家になろう』の作品でもなければ、マンガでもあるため、『小説じゃないじゃないか!』という突っ込みも頂くかと思いましたが、一応、このエッセイ風では、小説に限らず、巷で流行っている料理マンガにも触れていきますので、ご勘弁ください。
その方がイメージしやすい、ということもあります。
『食戟のソーマ』と言えば、『週刊少年ジャンプ』で料理マンガとして、何年も連載を続けておりますので、ご存じの方も多いかと思います。
原作者に加えて、料理研究家の方が監修協力をされているため、本当に緻密で多彩な調理法で料理が描かれているのが特徴です。
中華料理モノの傑作、『鉄鍋のジャン』でも、食べられるラー油が流行る前に、作品内でそのエッセンスを登場させて話題になりましたが、それと同じく、現在進行形で進んでいく料理の世界をしっかり取り込んだ骨太の作品であると言えると思います。
この『食戟のソーマ』は、日本有数の料理人育成学校に入学することになった主人公の幸平創真がライバルたちとの『料理バトル(=食戟)』を通じて成長していく、という物語です。
今ではすっかりとお約束となった『料理勝負』ですね。
古くは『包丁人味平』になるのでしょうか、そして『ミスター味っ子』、主人公が現役料理人とは言い難いですが、『美味しんぼ』などもそうですね。
それら『料理バトルモノ』の系譜をきちんと引き継いだ作品です。
そのため、どうしても、勝負に勝ち負けを付けないといけないため、色々とエッジの効いた料理が登場することも多いですね。
異世界作品でも、割とよくみかける『主人公接待問題』がたまに見られることもありますが、そのあたりはご愛敬というところでしょう。
さて、ここで話を副題へと戻しますね。
『食べてみれば美味しい料理でも美味しそうに見えない』
これは、わたしたちにとって、『新しい料理』の『おいしさ』を伝えるということの難しさを顕著に表した問題です。
『異世界料理モノ』で、異世界に転移した主人公がその世界でまったく知られていない料理を作って、現地の人に驚かれることがよくありますが、実はこれも現実でわたしたちが直面した場合、かなり難しいことだということが、この問題に触れることでわかるかと思います。
『食戟のソーマ』に出てくる料理を、わたしたちにとっての『異世界からやってきた主人公が作ってくれたすごい料理』と変換してみてください。
主人公の料理は一捻りを加えたものが多く、料理名からはそもそも想像がつきにくいものが多いので、あえて、正統派の料理が多い、ライバルたちの料理を紹介します。
『合鴨の香り焼き~緑のソースを添えて~』『手毬弁当』『炙りサンマのカルパッチョ』『サーモンのコンフィ・フラム』『ふたつの表情を見せる鹿のロースト』……などなど、です。
『合鴨の香り焼き』は、比較的イメージしやすそうですが、ソースが特別製のものになっているため、そこでつまづきそうです。
『手毬弁当』は、その響き自体はシンプルですが、その中身は最新調理法を駆使したものです。『液体窒素』『エスプーマ』『低温熟成調理』『遠心分離機』『色素分解』『凍結粉砕機』……はい、並べていくと、料理の話とは思えませんね。もっとも、この料理が主人公に敗れた点を考えると、『最新調理が絶対ではない』というアンチテーゼにもなっているのかも知れません。
『サーモンのコンフィ・フラム』も『手毬弁当』同様に調理法が新しいものであるため、ここにあげさせて頂きました。こちらも敗れております。そもそも、料理名からはどういう味か読み取るのが困難、という意味でも例にあげました。
『鹿のロースト』は『火入れの技術』、『二種類のソースによる調和』などによって、主人公に勝利しています。
ちなみに『カルパッチョ』をあげた理由は、この料理が『サンマ対決』で主人公のメイン料理に勝利したからです。味に優劣をつけること自体がある意味難しいのかもしれませんが、こういうケースですと『何がおいしくて、何がおいしくないか』の基準がわからなくなってしまいます。
おそらく、それもわたしの今までの経験が主観として残っているからなのでしょう。
ですが、同様の気持ちを抱いた人は少なくない気がします。
味のイメージがつかない料理を、おいしそうだと感じるのはかなり難しいからです。
別作品ですが、『鉄鍋のジャン』の『鳩の血のデザート』などは、その傾向が顕著だったと思います。
『おいしいんだろうな……』とは思っても、まったく味の想像がつきません。おまけに作中でも『どう表現していいかわからない』との試食者の言葉が出る始末。未だに、あの料理の味については気になっています。
というわけで、こちらでは『おいしさを伝えることの難しさ』について触れました。
では、どうすれば、飯テロを成功させることができるのでしょうか?
次のお話では、そちらの点について考えていきたいと思います。
次回予定……『大切なのは、味の描写よりも食べた人の『おいしい』リアクション』
更新日は未定です。