3-03 いつもの朝
――ジリ、ジリリリリ。
長針が5時を指した瞬間、室内にベルが鳴り響いた。
暴力的な音が、夢の世界を漂っていた僕をむりやり引っ張り上げる。
「……うぅ~ん」
泳ぐように腕をさ迷わせ、テーブルの上で騒いでいる目覚まし時計をバシンッと止める。外敵を排除し、ふたたび腕を毛布の中へと戻した。
ねむい……さむい……おきたくない……。
温かなベッドの中で、ぐずぐずと寝返りを繰りかえす。
しかし、いつまでもこうしていられない。やがて観念した僕は、二度寝の誘惑を振りほどき、ベッドから這い出た。
くあ~と欠伸をしつつ、おぼつかない足取りで洗面所へと向かう。
冷水で顔を洗って、ようやく霞がかっていた意識が覚醒した。
歯を磨きながらカーテンを開く。青白んだ空に、置いてけぼりにされた星が瞬いていた。うん、この様子なら雨の心配は無さそうだな。
口をゆすぎ、寝癖を整え。
動きやすいスウェットの上下に着替える。
そして、
「よし、じゃあ今日もはじめるか」
日課の早朝トレーニングを開始した。
まず軽い体操。
続けて、体育の授業でやっていた柔軟運動を行う。
そうして十分に体が温まったところで、ジョギングの準備にかかる。
僕の場合、ただ走るのではなく、ウェイトの負荷をかけて行う。500gの重りを8個、計4kgが縫い付けられたジャケットを羽織り、さらに装填済みM4A1と同じ重さ(3kg)の鉄の棒を持つ。この状態で市壁に沿って1時間ほど走る。武装した状態で動けるようにするための持久力トレーニングだ。
現実世界だったら確実に職質されるような格好でホテルから出ようとすると、ちょうど軒先で掃除をしていたオーナーと出くわした。
「あっ、お早うございます」と僕。
「お早うございます。毎朝ご精が出ますね」とオーナー。
「いえ、まだ駆けだしなもので」
謙遜気味に言うと、オーナーは人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。
「左様でございますか。お気をつけていってらっしゃいませ」
「はいっ、いってきます!」
オーナーの言葉を受け、僕は気持ちよくスタートを切った。
1時間後。
部屋へと戻った僕は、ウェイトジャケットを外し、体が冷めないうちに汗を拭った。
ジョギングの次は筋力トレーニングだ。
部屋の隅に置いてあるチンニングスタンド(懸垂台)をズリズリと引っ張ってくる。
この組み立て式のスタンドは、先日、市場で売られていた物だ。形状も現実世界のものと一緒。どうやら異世界でも懸垂はポピュラーなトレーニング方法らしい。ちょっと驚きの発見だった。……もしかしたら異世界の「ボディーブレ○ド」とか「レッグマジ○ク」も探せば見つかるんじゃないかと思っていたりする。
軽くジャンプしてバーに掴まると、順手に握って懸垂を始めた。
小休憩を挟みながら、手の幅を変えて、腕や背中の筋肉を満遍なく鍛えていく。
「ぐ……ぐぅぅ」
食いしばった歯の隙間から声が漏れる。
辛いが、絶対に手は抜かない。
顔に汗と苦悶を浮かべながら、ひたすら筋肉を追い込んでいく。
1時間の負荷をかけたジョギング。
そして懸垂を複数セット。
朝からこんなハードなトレーニングをしたら、へとへとに疲れてしまって、今日一日まともに動けなくなりそうなものだが――しかしその心配は要らない。
称号『一匹狼』の効果のひとつ、「自然治癒力向上」。
これのおかげで、ご飯を食べて2時間ほど安静にしていれば、たちどころに疲労が回復してしまうのだ。おまけに称号を意識してから今日まで、一度も筋肉痛になったことがない。おそらく筋肉の超回復にも、この効果が適用されているのだろう。
つまり筋力の成長速度が、以前よりも上がっているのだ。
スタンドを買った当初は、体を持ち上げるのがやっとだったのが、数週間経った今では複数セットできるまでになった。鏡を見ても、上半身の筋肉がボリュームアップしてきているのが自覚できる。デメリットを気にする事無く、やればやっただけ効果が現れる。趣味が筋トレだと言っていた友人の気持ちが、今なら何となく理解できた。
称号は僕に、安易に超人的な力を与えてはくれなかった。
しかし平凡な高校生が、戦士の体に生まれ変われるだけの『可能性』を与えてくれた。
だから今やれる事を全力でやり続ける。
いつまでも弱いままの僕でいると思うなよ。
「ぐぅぅ、ぅぅうう!!」
バーに噛み付くようにして、ラスト一回をこなす。
息も絶え絶えでスタンドから降りた僕は、最後の仕上げにかかった。
実はこの『仕上げ』が一番きつかったりする。
ジョギングの帰りに買った、絞りたての牛乳をジョッキに注ぐ。
そして粉末状の大豆をどぼどぼと入れてかき回し、
「……南無三っ!!」
完成した特性プロテインドリンクを一気に飲み干した。
そして。
数分間のプチ拷問が始まった。
口から侵入してきた人肌の液体が、喉をねっとりと撫でるように通過していき、空っぽの胃に地獄絵図を広げていく。同時に、大豆の風味と牛乳の強烈な生臭さが邪悪なハーモニーを奏でながら、僕の鼻腔に絶望を産み付ける。
血行が良くなっているはずなのに、鏡に映る僕は青ざめていた。
本当に……何度飲んでもこの後味は……最悪だ……。
いくら称号があっても、こればっかりはどうしようもなかった。
最後に軽いストレッチをしていると、ちらりとカレンダーが目に留まった。
「……へへ」
日付についた丸印を見て、おもわず口元がにやけだす。
プロテイン地獄で沈んでいた気持ちが徐々に明るくなってきた。
今日より二日後――
僕にとって記念すべき『初仕事』が決まった。




