3-02 ブルーノ 後編
部隊が潜伏している場所から、山道を30分ほど歩くと、一本の細い街道に出る。
馬車一台がやっと通れる程度の道幅。
両側を森で挟まれ、さらに道が蛇行しているため、見通しは非常に悪い。
俺とラウは、街道脇に身を潜ませ、目標を待ち伏せていた。
これから、ここを通る街道警邏隊を襲う。
安全な脱出ルート。
その対価として向こうが要求してきたものは、金ではなく奇妙なものだった。
街道警邏隊の胴甲冑を5つ。
それも無傷で。
紋章はこの地域を統治する貴族の、獅子の刻印のみとする。
この辺りの警邏隊は5人一組だから、1グループを襲えば数は揃うことになる。さらに時間も場所も、向こうがすでに調べており、俺たちはそれに従うだけでいい。ちなみに、なぜそんな物を欲しがるのかは最後まで話さなかった。
奇妙な話だが、疑えるほど俺たちに余裕は無かった。
つまりここを通る警邏隊を殺して鎧を引っぺがせばいいというだけの話だ。しかし無傷でとなると、事は簡単にいかなくなる。大人数で矢を浴びせるという手は使えない。
仕方なく俺とラウの2人で奇襲し、すばやく処理するという話になった。
俺たちはそれなりに腕はある。
だが2人で警邏隊5人となると、少々荷が重い。
おまけに攻撃できる箇所も限定ときている。
(たのむから陸軍あがりなんて止めてくれよ)
そう神に願わずにはいられなかった。
深夜1時。
夜気が鎧の隙間から潜り込み、焚き火で蓄えていた体温を容赦なく奪う。くそっ、奴らが現れる前に凍えちまう。身を縮こまらせ、なんとか体温の流出を抑えていた。
俺とラウは、別々の場所で待ち伏せている。
ラウの気配を探るが、どこに隠れているか正確には分からない。
その気配の消し方は、さすがと言わずにはいられなかった。
奴はあの巨体に似合わない俊敏さと、そして潜伏技能を持っている。どちらも半人半虎『ワータイガー』の特技だ。
ラウは一見すると人間種のようだが、れっきとした亜人種だ。外見的特長である獣の耳と尻尾は、自分で切り落としたらしい。なぜそんな事をしたのか聞いたことがあるが、笑ってはぐらかされた。あいつはあいつで抱えている物があるのだろう。
夜行性動物の息遣いを聞きながら待ち続けること1時間。
やがて獲物がその姿を現した。
小川のようにうねる街道に、ぽつんと明りが灯る。
素早く望遠鏡で確認。
5人組。胸に獅子の紋章。
間違いない。この領地の街道警邏隊だ。
その足取りは、軍隊の哨戒とは違う、まるで老人の散歩のようであった。
一目で警戒レベルが低いことが窺える。
奴らとの距離は300m。
俺は連中の武装から、どれを最初に襲うべきかを見定めた。
頭の中で奇襲プランを選定し、「チッ……チチッ」鳥の鳴き真似でラウに伝える。すぐに「コッ……コッ……」という応答が返ってきた。
徐々に警邏隊が近づいてくる。
先制攻撃は俺のタイミングで行う。
警邏隊の装備は、生身の部分を極力さらさないようにデザインされている「プレートアーマー」と呼ばれるタイプの鎧だ。警邏用に軽量化されてはいるが、弓で戦うにはしんどい相手だ。
一撃で仕留めるには、唯一晒している顔か首元を狙うほか無い。
それにはギリギリまで引きつける必要がある。
初手の失敗は絶対に許されない。
ドジって一人でも逃がせばそこで終わりだ。明日の朝には警戒網が各地で展開され、袋のネズミ。捕まれば実験動物のような最後が待っている。カンニバルとはそういう国だ。
そうならないためにも、確実に全員を殺さないといけない。
どいつもこいつも、やっかいな注文ばかり俺に押し付けやがる。
立てかけていた弓を構え、音を出さないように弦を引く。
身を潜ませている藪から、矢の先だけを覗かせた。
警邏隊まで100mという所。
狙いは、先頭の男。
俺は男の体重移動の癖を意識しながら、0,3秒後にある頭部の位置をシミュレーションし続けた。
80m……75m……70m。
脳内のイメージと、先頭の男の動作が、次第にシンクロしだす。
虫の声も、風で揺れる葉擦れの音も、鼓膜に入らなくなる。
ただ幻聴のように、男の靴音だけを拾っていた。
50m…48m…………40m。
(今っ)
すべての条件が整った瞬間、俺は無意識のうちに弦から指を離した。
開放された矢が、たっぷりと運動エネルギーを乗せて、闇へと飛び立つ。
虚空をハサミのように切り裂いて飛翔した矢は、0.3秒後、男の喉に突き刺さった。
「っ!?」
矢を首に受けた男はのけぞり、そのまま尻もちをついた。
即死ではない。だが致命傷であることは経験から判断できた。
「グゲェェェ!!」男は嘔吐にも似た声を上げながら、地面を転がり出す。おそらく首を通る動脈の片方が裂け、食道まで傷が達したのだろう。男は刺さった矢を両手で掴みながら、まるで笛吹きのように頭を振って血を吐き続けた。失血とショックによる錯乱。止めを刺す必要は無い。
「敵襲っ!!」
鋭い声が発せられ、残り4人が一斉に動き出した。
しかしその後の行動は限られている。
敵がどこにどれだけ潜んでいるか分からない状況の場合、守りを固めるほか無いのだ。
唯一、この状況に対応できるはずの弓兵は、俺の矢を受けて地面をのたうっている。魔法使いはいない。相手に打つ手は無い。
4人は盾を構えたまま身を寄せ合い、遮蔽物になりそうな大木へと後退しはじめた。
予想通りの動きだな――――ん?
そこで俺の目が、あるものを捉えた。
(チッ、まずいのが2匹混じってるな)
不意を打たれると、その人間の力量がはっきりと出る。
明らかに動揺を見せる2人と、それとは対照的に、まったく動じないのが2人いるのだ。負傷している仲間に見向きもしないあたりからも、その冷静さが窺える。
おまけに武装も妙だ。
盾と片手剣という基本装備のほかに、それぞれ大剣と短槍を別に装備している。
どうやら一筋縄では行かない戦いになりそうだ。
藪の隙間から観察していた俺は、そこでいったん攻撃の手を止め、相手に気取られぬように次の射撃ポイントへと移動した。
焦ることはない。
じっくり殺してやるさ。
そうこうするうちに警邏隊は大木を背にし、円状に防御の陣形をとった。
そして一人が、懐中からある物を取り出した。
器具が取り付けられた小さなクリスタル。『信号弾』だ。あれが起動すれば、クリスタルは空高くに浮遊し、周囲20mを昼間に変えるほど発光する。それで詰所にいる仲間に危険を報せるのだ。
やはり持っていたか。
あんな値の張る物を、こんな下らない仕事にまで持たせるとは。それだけこの国が豊かなんだろう。矢で男の行動を阻止する事も出来るが、しかしその必要はなかった。
男が今まさに信号弾を掲げようとした――その時だった。
白い何かが瞬いたと思った次の瞬間。
信号弾を握っていた男の右手が、肘からずるんと滑り落ちた。
「……え?」
先の無くなった腕の断面を、男は愕然と見つめる。
すると今度は、その首が千切れ飛んだ。
歪曲した刃が男の首に食い込み、頚椎ごと水平に切り裂き、頭を切り飛ばしたのだ。凶刃は首だけでなく、勢い余って兜の一部をも切断し、パッと火花が散る。その燐光に、獣のような大男の姿があらわになった。
ラウだ。
大木の傍に潜伏していたラウが、最高のタイミングで攻撃を仕掛けたのだ。
ラウの鉤爪は、フックのように鎧の隙間に滑り込ませ、力任せに中身ごと引き裂く。乱暴なやり方だが、ラウの腕力を持ってすれば、すさまじい切れ味を発揮する。
首の骨など麦のように刈り取ってしまう。
頭部を失った体が2,3歩ふらつき、派手な血しぶきを上げながら崩れ落ちる。
途端、ムワッと血なまぐさい臭気が周囲に満ち広がった。
前線の匂いだ。
絶望の表情を浮かべた生首が、ボールのように地面を跳ね、コロコロと転がる。
「ひぇえっ!」
一人が足元に転がってきた生首に驚き、わっと飛び退る。その際、前面に構えていた盾がずれ、顔がむき出しになった。
その機を俺は見逃さない。
間髪いれず、男を射抜いた。
狙いたがわず眉間に命中。
矢はコンッという素っ気無いノック音を立てながら、男の額から内部へと侵入。回転運動を継続した矢じりが、前頭葉を残酷に掻き回す。
即死だ。
男は白目を剥いたまま、後ろに倒れた。
これで残りは2人。
ラウは照明弾を握ったままの腕を、遠くへ蹴り飛ばした。
深追いはせず、残り2人と距離をとる。しかし必要以上に離れず、敵から見える範囲でじっとしている。隠れもせず、攻撃もしない。
こうして相手にプレッシャーを与え、生じた隙を俺が突く。
順調に事が運んでいる。
そう思えた。
この瞬間までは。
残り2人。
一人は大剣を背に担いでいる。もう一人は短槍。
やはり生き残ったのはあの2人だった。
さてどう切り崩すか。ラウの挑発に乗ってくれれば楽なのだが。
威嚇に一発打ち込むか?
そう思った矢先だった。
俺の知覚が『魔力の脈動』を嗅ぎ取った。
魔力の脈動とは、魔法使いが魔法を使用する際、体内から漏れ出た魔力が空気に影響を及ぼし、奇妙な空気の揺らぎを生む現象のことを指す。ダークエルフの長耳は、音だけでなくこういった空気の振動をも嗅ぎとることができる。
つまり魔法を撃つ前兆だ。
しかしこの場に魔法使いはいない。
となれば。
考えうる可能性はひとつしかない。
全身があわ立つのを覚えた。
俺は作戦も忘れ、全力で叫んだ。
「ラウ、避けろおおおおお!!」
ほぼ同時。
ドンッという砲声のような轟音とともに、短槍使いの体が凄まじい勢いで飛び出した。そして一瞬でラウに肉薄すると、勢いそのままに槍を突き出した。
まるで城門を打ち破るバリスタのような一撃だ。
間一髪、ラウは体を捻って、槍の穂先を避けた。
いやだめだっ。
完全に避けきれていない。
ギャギャッという甲高い金属音。
先ほどとは比べ物にならない火花が、ラウの胸元から飛び散った。
直刃の穂先は、分厚い胸部装甲をまるでスプーンのように抉り、同時に大胸筋の一部を抉り取った。ラウの顔が苦悶に歪む。
すかさず槍使いが第二撃を、ラウのむき出しとなった胸部に叩き込もうとする。
ラウは辛うじて鉤爪を半回転させ、迫りくる槍を逸らした。防御と同時に上段蹴りを放つが、槍使いはこれを難なく躱した。今のは当てられるタイミングだったはずだ。ラウの動きが明らかに鈍くなっている。傷は思った以上に深い。
苛立ちに、ギリリと歯軋りする。
最悪だ。
最悪の展開になった。
短槍使いは間違いなく『スキルホルダー』だ。スキル(剣技)とは、魔法使いの技術を転用した身体強化術のこと。魔力を動力としているだけあって、とんでもない威力だ。少しかすっただけで、鎧の一番分厚い部分を、ごっそりと抉りやがった。
くそったれ!
たかが街道警邏に、スキルホルダーがいるなんて悪い冗談もいいところだ。
俺たちが相手にするには荷が勝ちすぎる。なんてもんじゃない!
とにかく援護を。
俺は防戦一方となっているラウを援護すべく、槍使いに照準を合わせる。
「っ!?」
しかし矢を放つことができなかった。
大剣を背負ったもう一人が、射線を遮ったのだ。
しかも大剣の男は、盾ではなく死んだ仲間の遺体を遮蔽物代わりに掲げている。クソッこれでは弓が撃てない。だが。だがなぜこいつはこのタイミングで前に出られるんだ? 『伏兵は俺だけじゃない可能性は大いにあったはずだ』。
いや今はそれを考える時じゃない。
警邏隊にスキルホルダーが居た時点で、俺たちの奇襲は破綻した。
しかし逃げることは出来ない。
何が何でもここで始末しなければいけない。
だがどうやって?
おそらくこの大剣の男もスキルホルダーだろう。俺が正面から挑んでかなう相手じゃない。視界の端で、ラウがさらに傷を負うのが見えた。焦りがさらに増す。くそ、くそ、どうすればいい。この状況を打開できるのは俺だけだ。何か、何かないのか。
するとここで、大剣の男が奇妙なそぶりを見せた。
俺が潜んでいる茂みに向かって、手招きをしているのだ。
その瞬間、脳裏にひらめきが走った。同時に、さきほど抱いた疑問が結びつく。
もし『そう』ならば勝機はある。
賭けにしてはあまりにも無謀だが、もはや打って出るほかない。
意を決した俺は茂みから出た。
そして持っていた弓を、男に見せ付けるように投げ捨てた。矢筒も外し、これも投げ捨てた。身軽になった俺は、ナイフを抜き放つと順手に構え、男を正面から睨みすえた。
すると今度は、男が応えるように掲げていた死体を投げ捨てた。男はゆっくりと大剣を抜き、構える。その口元にはハッキリと喜色が浮かんでいた。
――やはりか。
淡い期待が確信に変わった瞬間だった。
「俺の誘いに乗るとは、ダークエルフにしては良い度胸だな! 褒めてやる!」
男が傲岸に言い放つ。
すでに己の勝利を確信している口ぶりだ。
「貴殿を高名なスキルホルダーとお見受けした」と俺。
「いかにもっ!」男の声量が増す。「我が名はアルフレッド! 誉れ高きインスティアゴ騎士団の騎士だ!」
天を突き刺すように大剣を掲げる。
その様はまるで芝居小屋の役者だった。さしずめ小悪党を前にした正義の騎士といったところか。
馬鹿め。
俺は腹の中で暗く嗤った。
「ではアルフレッド殿。貴殿に一騎打ちを申し込みたい」
「もとよりそのつもりよ。御託はもういい。かかってこい!」
「いざっ」
言葉と同時に俺は駆け出した。
対する男は、その場で腰を深く落とし、大剣を肩で担ぐように構えた。
魔力の脈動からスキル発動まで、個人差はあるがタイムラグがある。集中が乱れれば、その分、発動が遅くなる。またスキル発動までは意識が散漫になりやすい。
仕掛けるならそのタイミングが最も効果的だ。
あと数メートルというところで、例の「魔力の脈動」を感知した。
まだナイフの届く距離ではない。
俺は手に忍ばせておいたダガーを投擲した。狙いは顔。しかし相手はカカシではない。こちらの行動を警戒していた男は、投げつけられたダガーをアッサリと剣で弾いた。もう一本投げるが、これも防がれた。
だがそれでいい。
狙い通り、男の意識がダガーに移る。そこを間髪入れず、今度は握っていたナイフを投擲した。まさかこっちまで投げないだろうという意識の裏をかく作戦だった。さらに男の腕が視界を遮っている、その死角に潜り込むコースだ。
タイミングもコントロールも絶妙だった。しかし――
「甘い!」
これも男に防がれてしまった。
弾かれたナイフが、明後日の方向へと飛んでいく。
もはや拾いに行くことは不可能だ。
「……」
弓も矢も無く、そしてナイフすらも失い。
いまさら背を向けて逃げることさえ適わず。
どうする事もできずにいる俺を前にして、男は呆れたように目を丸くした。
「おい、まさかこれで終わりだというのか!?」
「……」
「ふ、ふざけるなよ貴様あ!!」男が激昂した。「この俺に勝負を挑んでおいて何だその体たらくは! くだらん! 実にくだらん!! すこしは腕が立つと期待してみればこれだ! 所詮は灰かぶりか! ええいもういい目障りだ! そのまま無様な死に様を晒すがいい!」
期待を裏切られた男が、顔を朱に染めて喚き散らす。
その怒りに同調するように、魔力の脈動がより強まった。
俺は――
この瞬間を待っていた。
1秒の半分以下。
先ほどの投擲を遥かに凌駕する速度で左腕を男に向け、『仕込み』を作動させた。
左のアームガードの裏には、一本の管が固定してある。留め金を外すと、先端から細い『針』が束になって飛び出す仕掛けになっている。針は放射状に飛ぶため、射程は短い。しかし届く距離なら高確率で皮膚に刺さる。
そして針の先には即効性の猛毒が塗られている。
スキルに集中していた男の顔に、毒針の群れが襲い掛かった。
「ぬぉおっ!?」
完全に意表を突かれ、反応が一瞬遅れる。
その一瞬が明暗を分けた。
何本かが頬や唇、そして喉に刺さった。慌てて払い落とすが、もう遅い。塗られた毒は血液と混ざることによって血管を猛スピードで駆け巡り、内側から肉を腐らせていく。同時に、酷い幻覚を発症させる。
毒に耐性のない人間種の場合、5分以内に的確な応急処置を施さなければ死ぬ。
つまり、この男は終わりだ。
男が何か言おうと口を開く。
しかし逆流した胃の内容物によって、その口は塞がれた。
さきほどの威勢はどこへやら、男は平衡感覚を失ってよろけ、力なく膝を折った。手から滑り落ちた大剣が、ガランと物悲しい金属音を奏でた。
やはり『落伍者』だったか。
落伍者。
自意識過剰のロマンチスト。
この手のマヌケは、どこの戦場にもいた。まるで自分が物語の勇者にでもなったかのように無用心な行動をとる。調子に乗ればたちまち周りが見えなくなる。そして現実の厳しさに直面し、あっけなくこの世を去る。スキルを持っていることへの選民意識が、そうさせているのだろう。
でなければ『自らの血に毒を仕込み、返り血を相手に浴びせて共倒れを狙う』ことを平然とする種族を相手に一騎打ちなど応じるわけがない。警戒もせずに前に出て、自ら敵にスキルホルダーだとバラす。バカの極みだ。
しかし今回は、そのバカのおかげで命を拾えたわけだがな。
男は膝をついている事さえできなくなり、地面に伏して震えはじめていた。
あの震えは臓物が腐りだした証拠だ。
眼球の白い部分が紫に変色しはじめている。
毒針が刺さった周辺の皮膚が、煮えた鍋のようにブクブクと盛り上がり始めている。
止めは必要ない。
己の愚かさを噛み締めながら、じわじわと死ね。
男が動けなくなるのを確認した後、俺は『拾いやすい位置に投げておいた』弓を拾い、こちらに背を向けている短槍の男を狙って矢を放った。
矢は正確に男の膝の裏、具足の稼動部の隙間を穿つ。
「ぐぉっ」
痛苦のうめきを上げ、短槍の男の体が傾く。
それまで防戦一方だったラウが、ここで一気に畳み掛けた。
鉤爪で槍を引っ掛けると、腕の力だけで強引に回転させ、切っ先を反らす。そうして出来た安全なスペースに、するりと体を滑り込ませ、鉤爪を胴甲冑と腰の境目に差し込み、
「うぉらあ!!」
咆哮とともに一気に引き裂いた。
鉄板を金切りバサミで切断したような音と、肉がねじ切れた音が混じった、凄惨な音が鳴り響く。
皮と腸で出来た尾を引く鉤爪。
下に着込んでいた鎖帷子の破片たちが、細かな部品となってバラバラと地面に降る。
腹の三分の一を切られた男が、電流でも浴びたように背筋を強張らせた。
ラウの攻撃は止まない。
破れかぶれで繰り出された槍の突きをヒラリと躱すと、ラウは鉤爪を男の右ワキに突き入れた。釣り針のような刃が、装甲板の繋ぎ目に引っかかる。ラウの胴が高速で回転し、同時に、男の腕が付け根から引きちぎれた。腕をくっつけたままの槍が地面に転がる。
絶叫する間も与えず、今度はコンパクトに鉤爪を振り、その首を掻っ捌いた。鋭い風切り音。男の首に一筋の赤い線が走る。首の皮一枚で繋がっただけの頭が、やがてバランスを失い、まるで首をかしげるようにベロンと横にめくれた。
霧のような血煙がパッと噴き出る。
一瞬で絶命した男は、まるで許しを請うように膝をつき、前へと倒れた。
静寂の中、ラウの荒い息が木霊す。
周囲に俺たち以外の気配は無い。
どうやらこれで終わりのようだ。
「……ふぅぅ」
俺は、胸に溜まっていた空気を吐き出した。それは長い長い一呼吸だった。
額に浮いた、粘ついた汗を拭う。
本当にやばい賭けだった。
もしも。
短槍の男がスキルを連続使用出来たなら。
大剣の男が落伍者でなかったら。
死んでいたのは間違いなく俺たちのほうだ。
落ち着きを取り戻したところで、ラウの応急処置をすることにした。
近づいてきた俺に気付いたラウは、振り返ると、あの不敵な笑みを浮かべた。そして、
「スキルホルダーってのも、大したことなかったな?」
俺は苦笑する。
「そういうことは無傷で言え」
「気味の悪ぃ連中だったな」
部隊へと戻る道すがら、ラウがぽつりと溢した。
俺も同意見だった。
あの後、俺たちは胴甲冑――を着込んだ死体5つを例の組織にその場で引渡し、無事に取引を終えた。その時の連中の様子が、明らかに異常だったのだ。思い出すだけで胸がぞわりとする。
『ひゃひゃっ、やったぞ! これでボスに褒められる!』
『俺たちやったなあ!』
『喜んでくださる顔が目に浮かぶぜ』
肩を組み、興奮気味にそう話す連中は、どいつもこいつも、まるで親に褒められる事に歓喜する幼子のような笑みを浮かべていた。とうに30は超えているであろう薄汚い男共がだ。
褒美を前に興奮している、という風ではない。
おそらく本心から、ボスに褒められること『だけ』に喜びを見出しているのだろう。
裏の業界にどっぷりと浸かっている俺からすると、洗脳か何かを疑いたくなるような光景だった。
そのボスとやらは、そこまで心酔させるほどの傑物なのか?
前を歩くラウが鼻を鳴らし、
「もしかしてよ、すっげえ上玉の女ボスが、夜な夜な色っぺえご褒美をくれてるんじゃねえのか?」
両手で乳房を揺らすようなジェスチャーをした。
ふっ。
そのバカな物言いに、思わず笑みをこぼしてしまった。
それだったら納得だな。
「ラウ」
「なんだ?」
「そんな良い女がいるのなら、いっそ俺たちも向こうに引っ越すか?」
「あ? なにを急に」
一瞬ぽかんとしたラウだったが、すぐに察して笑みを強めた。
「ああ、そいつぁいい! 鎧と一緒に俺たちも引き取ってもらおうぜ」
「いいかげん、弟にしか興味のないホモ野郎の相手は疲れてきたしな」
「だな。そろそろ俺も我慢の限界だぜ」
「……ちょっと待て。お前がいったい何を我慢したというんだ?」
「おいおい人聞きの悪い。俺にだって色々あるんだぜ?」
「ほう、たとえば?」
「たとえば……」顎をさすりながら目線を上に向けるラウ。「特にねえな」
「だろうな」
「クカカ」
「フフ」
俺たちは顔を見合わせ、しばし笑いあった。
疲弊しきった心を癒すかのように。
「ガハハ…………ッ」
笑っていたラウが、突然、表情を消して立ち止まった。
「痛むか?」
「へっ、こんなもん、傷のうちに入らねえよ」言って再び歩き出す。
強がっているが、その傷は決して浅く無い。
ただ歩いているだけなのに、ラウの汗が止まらないのがその証拠だ。
警邏隊が持っていた回復薬をすべてラウの治療にまわし、一応は止血と縫合はできた。だがそれは、裂けた筋肉と皮を、無理やりノリでくっつけているだけにすぎない。動けば神経が悲鳴をあげ、皮膚のつなぎ目が猛烈な熱を帯びる。
普通の人間ならば、立っていることさえ困難な状態なのだ。
ラウの強靭な体と、我慢強さがあるから、こうして歩けているにすぎない。
これ以上、こいつに無理はさせられない。
部隊に帰還したら、せめてすこしでも休息をとらせる必要がある。あの二枚舌のホモ野郎に進言するか。
そんなことを考えていた、その瞬間。
俺の胸に、得もいえぬ『懐かしさ』が込み上げてきた。
その正体をすぐに思い至る。
軍人時代。あの頃の記憶と、今の自分が重なって映ったのだ。
そしてそれはラウも同じだったようだ。
「こうしてると、昔に戻ったみてーだな」
「あぁ」
素っ気無く答える。
歩調を緩めながら、俺たちはどす黒く濁った闇の中を歩き続けた。
俺は何の目的もないまま、この稼業を続けている。
いたずらに自分の命を危険に晒している。
俺は俺がわからないでいる。
ただ。
この瞬間だけは、悪くないと思えた。
ラウと歩くこの瞬間だけは。




