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第1話 地図にない島

アステリア島は、地図には載っていない。


正確には、載せることができない。

島の周囲には複雑な海流が流れている。

北から来る冷たい潮。

南から押し寄せる暖流。

季節ごとに変わる風。

そして、海面の下に隠された岩礁。


晴れている日でさえ、初めてこの海を通る船は、自分がどこにいるのかわからなくなる。


けれど、

アステリアの人々にとって、それは迷う海ではなかった。


道だった。


山を見れば、自分が島のどこにいるのか分かる。

風の向きを見れば、数時間後の天候が分かる。

波の色を見れば、潮の流れが分かる。


子どもたちは、文字を覚えるより先に海を見ることを覚える。

老人たちは、何十年も前の嵐を昨日のことのように語る。


船乗りたちは、港を出る前に必ず空を見る。

そして、

海へ出る者には、決まって同じ言葉がかけられる。


「海を忘れず、故郷を忘れず」


―それが、アステリアだった。


島の中央には、険しい山々が連なっている。

海岸からいきなり山が立ち上がるような場所もあり、西側には切り立った断崖が続く。

山から流れ出た川は短く、早い。

雪解けの季節には勢いを増し、森を抜けて、そのまま海へ流れ込む。

東側には深い森と小さな入り江があり、南東には穀物を育てる土地がある。

南西では船が造られ、北の山地では羊や馬が育てられる。


そして南には、島で最も大きな港がある。


商船。

漁船。

護衛船。

修理を待つ船。

  

一日に何隻もの船が出入りするアステリアの心臓だった。


けれど、アステリアの海は豊かなだけではない。

危険でもある。


外から来た船には、島の位置を正確に知ることが難しい。

海流を読み違えれば、岩礁へ流される。

風を読み違えれば、断崖の続く海岸へ押し流される。

霧が出れば、目印になるものは何もなくなる。

山が見えたと思った時には、すでに島へ近づき過ぎていることさえある。


さらに島の内側には、深い森と険しい山地が広がっている。


海からも、陸からも簡単には攻め込めない。

アステリアは長い年月をかけて、自然そのものを城壁にしてきた。

そのため、この島の正確な位置を知ることは、古くからの秘密とされてきた。


島の人々は、外から来たものに簡単に航路を教えなかった。

海図にも、正確な位置を記さない。

交易相手にも、島へ入る最後の航路までは渡さない。

アステリアへ向かう船には、必ず島を知る水先案内人が乗る。

そして、帰りの船にも、別の航路が使われる。


その秘密を守ることが、島を守ることだった。


なぜ、そこまでして場所を隠す必要があったのか。

アステリアは、長い間、海運によって生きてきた。


北と南。

東と西。


遠く離れた国々を結ぶ海の途中にありながら、どの国にも属さない。

島の船は交易品を運んだ。

アステリアの港には、様々な国の船が出入りした。


しかし、それだけではなかった。

アステリアの男たち、そして女たちの中には、剣を携えて海へ出る者もいた。


傭兵として。

船団の護衛として。

あるいは、港や街を守る兵士として。

戦いの技術を持つ者は、島の外で雇われた。


海を知っている。

船を知っている。

嵐を知っている。


そして、戦うこともできる。


その能力は、海を渡る国々にとって価値があった。

アステリアの傭兵たちは、特定の国に忠誠を誓わない。

契約に従い、報酬を受け、契約が終われば帰る。

それが、アステリアの古い掟だった。


だからこそ―アステリアはどの国にも属さなかった。


ある国のために戦った翌年には、その国と敵対する別の国の船の護衛を依頼されることさえある。

それでも、アステリア自身が戦争の当事者になることは避けてきた。

島を戦場にしない。

港を軍事基地にしない。


そして、どの国にも島そのものを渡さない。

そのためにも、アステリアの場所は秘密でなければならなかった。


島は知られる必要がなかった。

必要な時だけ、海の向こうへ姿を見せる。

仕事が終われば、島へ帰る。

その繰り返しによって、アステリアは、長い年月を生き延びてきた。



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