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黒い棒  作者: 伝次郎
3/6

その三


        (三)


 眠いよ、まだ起きたくないよ。

 誰だ、ガヤガヤうるさく騒いでいるのは!

 うっすらと目を開けた飛鳥は、巣の隙間から漏れてくる太陽の光と、虫や動物たちの朗らかな声で目が覚めた。

 陽気な風が、湿った身体を癒すように、ぽっかりと空いた玄関口から吹き寄せている。

 そうか、もう春なんだ……。

 ゆっくりと起き出した飛鳥は、顔を出して春の景色を眺めていた。

 湿った植物たちが、日光を反射してキラキラと光っている。まるで宝石をちりばめたようだ。可憐に咲き誇る野辺の花々も、大地に豪華な絨毯を敷き詰めたように……。

 まずは準備体操かな。勢いよく飛び出した飛鳥は、大空を高く舞い上がってみた。

 大人になった。――と、自分でも驚いた。身体も羽毛も成長している。翼の一振りが、冬になる前の何倍もの力を発揮して、大気を力強く叩いていた。

 空中を滑りながら、これまでの苦労と、厳冬の過酷な時間を耐え抜いてきた地獄のような日々を思い出していた。何度も何度も死の手前まで行って、安楽の眠りにつこうとすると、現実の極寒の槍に突き起こされる。死んだ方が楽だ、と思っても、本能が飛鳥を叱咤するのだった。

「生きろ。何が何でも生きろ。お前には与えられた責任があるんだから」

 責任、って何だろう。僕、何の為に生きていくの?

 たとえ死んだって、誰にも迷惑かけないじゃないか。それに、生きていたってどうなる。独りぼっちで虫を食べていても、そのままいつかは死んじゃうんだから!

 そう思っていながら、本当は生きる力が欲しかった。生きるための活力が欲しかったのである。

「僕、独りで寂しい……」

 飛鳥はいつか、そんなことを考えるようになっていた。

 といって、嫁とは何か、異性と一緒にいて何をするか、ということは考えていない。ただそう思うだけである。おそらく本能の仕業だろう。

 ――餌をくわえて巣に戻ってみると、すぐ近くの枝に鳥がとまっていて――飛鳥は舞い降りた。

「僕と同じだ……」

 茶褐色の身体に、白いラインのような羽毛が筋になって翼に数本、線を描いている。喉の下の膨らみは、薄紫の輝くような色に染まっていた。体つきも羽の色も、飛鳥と寸分変わらぬ同種のものだった。

 初めて出会った仲間に、飛鳥は親しみを覚えた。

 枝にさりげなく飛び移った飛鳥は、にじり寄るように近づいた。

 その鳥は逃げる気配も見せない。そして、口にくわえた虫を、友好のしるしとしてそこに置いてみた。

「初めまして。良かったら、お友達になろうよ」

 飛鳥はそう言いたかったのである。

「どうしようかな……」

 とでも言いたそうに、その鳥はためらっているようだ。

 どうやらオスのようだ。それは感覚的に分かる。でも、どっちだっていい。仲間が現われたことに、飛鳥は心から喜んでいたのだった。

「食べてもいいよ。とても美味しいんだから」

 首を上下にクッ、クッと振ってみる。僕は友達なんだよ、という行動である。

 警戒して逃げて行くのでは、と思ったが、その鳥は同様に首を上下に振り始めた。そして、飛鳥が差し出したその虫を、細いクチバシで啄んだのである。

 喉を膨らませ、身体を震わせて飲み込む。そして、チョン、チョンと小躍りするように近づいて来た。

 樹の枝に並んでとまっているその姿は、飛鳥が今まで夢に見た、仲間との共存というにふさわしい瞬間だったかもしれない。

「一緒に遊びに行こうよ」

 一瞬、身体をすり寄せた後、飛鳥はその枝から飛び上がった。

 ついて来る……。その鳥がついて来た。

 大空を飛び回る二羽の野鳥。旋回しては、急降下する。そしてまた飛び上がっては、森を見下ろすように、水平飛行を繰り返すのだった。

 こうやって見ると、この森って、こんなに広かったんだな……。

 何度も見ていたはずなのに、飛鳥は初めて見たような気がした。

 ――まばゆい太陽が地平線に吸い込まれようとしている。辺りの景色が、夕暮れを告げる茶褐色に変貌していた。

 山の中腹に(そこは森の入り口でもある)舞い降りた二羽の野鳥は、別れを惜しむように、いつまでも梢で戯れていた。

 茂みの奥から、なにやら怪しげな音が聞こえる。

「何だろう、あの音……。何だか変だよ。僕のおうちにおいでよ」

 いつの間にか来てしまった見知らぬ土地。帰る道は分かっているつもりだが、せっかく知り合った友達が心配だ。帰る場所はあるのだろうか……。

 羽音を立ててはいけないかもしれない。もし、そこにいるのが猛獣だったら、あっという間に餌にされてしまうだろう。

 友達は臆することなく、乱れた羽を整えていた。

 正面にある繁みが、ざわざわっと揺れた。と同時に、まっしぐらに突進してくる動物の姿。それがイノシシであるということを、飛鳥は本能から教えられていた。

 しかし大事なことは、その動物が、大きな音と共に、目の前で弾けるようにひっくり返った、ということだった。

 何かにつまづいたのか。それとも、病気なのだろうか。

 咄嗟のことに、飛鳥は身動きが取れずにいると、繁みの中から、今度は見たことのない、奇妙な動物が現われた。

「あれ、何だろう……:」

 この森に棲む動物ではない。それは分かるが、その動物には何かがくっついているようにも見える。いや、身体に巻きついているのか、それとも手に持っているのだろうか。

 それは、細い木の枝のような黒い棒であった。

「あれは、何?」

 飛鳥は問いかけた。もちろん、本能に向かってのことだ。

 しかし反応がない。

 その動物が、少しずつ近づいて来る。

 突然、黒い棒が動いた。と同時に、友達である鳥が激しく羽を叩き付けた。

「飛べ! 逃げろ!」

 本能が叫んだ。

 ――飛鳥はわけが分からず、森の上を低空飛行で飛び抜けて行ったのだった。




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