その二
(二)
森の中に、小雨がぱらついている。
真夏であれば生い茂った枝葉が傘の役目を果たしているが、この季節になると、黄色や紅に染まった年老いた葉は、生命の名残を惜しむように大地へと舞い降りて行く。
そして、残された樹木は、寒そうに立ちすくんでいることしかできなかった。
裸になった樹木の枝を、深く切り込んだ岩場の陰から見つめる飛鳥の姿があった。
寒い……。冷たい……。
凍える身体に力強く羽をからみつけ、未だに経験したことのない、山森の真冬を迎えようとしていた。
霧のようだった雨が、しだいに飛鳥を凍らせるような氷の粒に変わって来た。
「早く巣を作らないと……」
そう思い始めて、幾日もの時間が過ぎている。しかし、どうやって造れば……。
飛鳥は思い切って飛び出して行った。
濡れる身体を木々にとまっては身体を震わせ、水をはじき飛ばす。
その姿を嘲笑うように、目の前を横切る鳥たちは、どこかに造成しているであろう自分たちの巣へと消えてしまうのである。
隣の幹に、見知らぬ鳥が、濡れた羽を繕うためなのか、大げさに羽ばたきながら舞い降りてきた。
しばらく飛鳥に気づかなかったのか、片方の翼の下から顔を出したその鳥は、片翼を膨らませたまま動きが止まった。
「どうしたの? 帰る家がないの?」
飛鳥はぴょんと跳ねて、その幹へと飛び移った。
警戒したのか、膨らんだ翼をキュッとすぼめる行きずりの鳥。
「だったら、僕と一緒に巣を造ろうよ」
そう言うつもりで近づいたのに……。
もちろん言葉なんかない。目で、仕種で、心で訴えるしかない。同じ野生の動物なら、きっと分かってくれるはずだ、と飛鳥は信じてやまなかったのだ。
それなのに――。いつの間にかその姿は見えない。飛んだ、と思ったときには、山の斜面に沿った勾配を飛び抜ける。飛鳥には、もう、小さな粒にしか見えていなかった。
僕のいるところは、この梢しかないのか……。
「あの山の向こうか。僕も行きたいな……」
いつものように……そう、いつものように、何もないこの森よりも、何かがあるような気がする山の向こうを、飛鳥は見つめていたのだった。
また鳥が飛んで来て、少し離れた大樹の幹にとまった。今度は二羽の、さっきとは違った種類の、少し大きめの鳥だ。
飛鳥はゆっくりと近づいて行った。
夫婦なのだろうか、それとも仲の良い友達なのだろうか。お互いの羽を啄みながら、時折「キュッ、キュッ」という鳴き声を発しながらじゃれあっているようにも見える。
どこから来たんだろう? いや、どこに帰るんだろう?
この鳥たちが帰る場所を、飛鳥は見たいと思った。
同時に飛び立った二羽のあとを、飛鳥は追いかけるように舞い上がった。
と、拍子が抜けるほど身近な樹木に飛び移ったその鳥たちは、大樹の幹の間に造られた巣の中に入って行ったのだった。
何気なく通りかかった振りをしてみると、今まで考えたこともなかった豪華な住居ではないか。枯葉や枯れ枝を器用に敷き詰め、雨や寒風から身を守るこの上ない巣である。
僕も、こんなところで寝てみたい……。
寒さに身を震わせながら、飛鳥は自分でも分からないうちに、その巣へと近づいて行った。
「――待て! 入ったらダメだ!」
飛鳥の中で、声が聞こえた。「早く、早く逃げろ!」
――分かっていた。飛鳥には何となく分かっていたのだが、目の前の極楽に、どうしても身体がいうことを聞いてくれない。
ためらっていると、巣の中から猛然と飛び出してくる一羽の鳥。鋭いクチバシをまっすぐに伸ばし、飛鳥めがけて突進して来た。
「飛べ! 上だ!」
その声と同時に、飛鳥の翼が激しく枝を叩く。
クチバシが尻尾をかすめていた。もう少し遅れていたら、その胸を貫かれ、飛鳥は二度と起き上がることはなかっただろう。
難を逃れた飛鳥は、近くの大樹のてっぺんで、激しく首をクッ、クッと振りかぶっていた。
「むやみに近づくな。相手は猛禽だ!」
飛鳥の本能が言った。
「でも僕、教えてほしかったんだ」
「巣の作り方を――か?」
「うん……。だって僕、知らないし……」
「それだけじゃないだろう。寂しかった……」
本能にそう言われて、飛鳥はうなだれるしかなかった。「違うよ!」と言いたくても、その本能は、結局、自分なのだ。嘘なんかつけるはずがない。
寂しい――と思い始めたのは、最近のことだ。巣を造るにしたって、仲間がいたほうがどんなに合理的か。餌を探しに行っても、確実に確保できるものでもない。みんなで分かち合えば、飢えることだって少なくなるだろう。
それに、静かなところよりも、誰かの声を聞いていたい。
しかし、野生動物というのは孤独なんだと本能が言っていたし、自分でもそう感じていないわけでもなかったのである。
「見たか、野鳥の巣というものを」
「うん、何となくね……」
見たといっても、観察するまでには至っていない。見習えといわれても、到底記憶できるような時間ではなかった。
「早速始めるんだ。明日にはこの雨が雪になるかもしれん」
そういえば、寒いといった感覚ではなく、濡れた羽が凍りつきそうな「冷たい」という空気に変わっていた。
「僕、いやだ。あんな難しいこと、頭悪くてできないよ。それに、面倒だし、疲れるし……」
「冷たい雪の中で寝るのか?」
「それもいやだ!」
「だったら頑張るしかないじゃないか」
「さっきの鳥さんの所に行こうよ。お願いしたら、泊めてくれるかもしれないじゃないか」
飛鳥はそう言うと、大きく翼を広げた。
さっきの場所だけではない。探してみれば空き家だってあるかもしれないし、寒さをしのげる場所であれば、どこだっていいとさえ思い始めていたのだった。
「――お前、その尻尾のケガ、痛くないのか?」
猛禽に襲われたときの傷だ。
大きな傷ではないが、羽毛がかすかに赤く染まっている。
「何だよ、このくらい。翼が折れたって平気だよ!」
飛鳥はそう強がって羽ばたいて見せたが……。
「ほらほら、無理するな。それじゃ遠くへ飛べないぞ」
と、本能は笑っている。「ま、頑張ってみることだ。生きて行くのは、お前なんだから」
飛鳥は悔しかった。初めて悔しいと思った。
――痛いのを我慢して、飛鳥はその大樹から飛び立った。
造ってやるよ。造ればいいんだろう。
半ば開き直っているが、結局は自分のためである事は分かっている。
見晴らしのいい手頃な樹を見つけた飛鳥は、巣を造ろうと決めた場所から辺りを見回した。
そんなに高い所ではない。だって、もし上手に作れなかったら、いつ落っこちるか分からないだろう。そんな危ないことをできる度胸なんか、飛鳥にはまだまだなかった。
本当は樹の根元にある空洞の方が住みやすいと思っていたが、いつ猛獣が襲ってくるか分からない。空を飛ぶことができる鳥は、いつでも飛び出せる高い場所に巣を作らなければいけない、と本能も言っていたことだし……。
どうだったっけ。枝を上手に組み合わせていけばいいのかな……。
クチバシにくわえた枯葉や枝を、何度も下に落としながら、飛鳥は巣を造りはじめていた。




