第16話 これからも、よろしく
昼休みが終わると午後の授業が始まる。
琴葉は自席でずっと机に突っ伏していた。
俺がそれにとやかく言えることはない。
午前中、俺がそうしてもらったように、彼女を起こさずにいた。
考えることは沢山ある。
紗雪の話はまだ俺の中で整理できていない。
でも……俺は深くは考えないようにした。
琴葉のこともある。
嬉しさも悲しさも、痛みも胸で渦巻いていた。
ただ、それを終わったこととして片付けるのは違う気がしていた。
だから、目を閉じて、心でただ感じていた。
それが受け止めるということだと思ったから。
何も声を出さなかった自分を褒めたいくらいだった。
気付けばすぐに放課後だった。
琴葉は突っ伏したまま。
心のなかで頭を下げて、俺は席を立った。
◆◇◆
すぐに行くつもりだった。
だけど足取りは重かった。
俺のせいじゃない。
大丈夫、普通に話せる。
そう自分に言い聞かせても、長い間、塗り固めた不安はそのままだった。
階段が長い。
踊り場が広い。
屋上の扉が重い。
でも、行く。
俺は、紗雪に、会いに行く。
屋上の風はまた強かった。
長い髪を風に踊らせた紗雪が立っていた。
彼女はじっとこちらを見ていた。
「……遅くなった」
「いえ……」
彼女の目は赤かった。
落ち着きなく髪を触っている。
それでも俺から視線を逸らすことはなかった。
「如月……いや、紗雪。待っていてくれて、ありがとう」
「……陽斗……」
彼女は下唇を噛んでいた。
不安なままだろう。
俺が、言葉を届けなければいけない。
「……紗雪、俺は……」
「はい」
何を伝えればいい。
何を……。
「俺は、苦しいんだ。お前が……さらさとして、ずっと俺の秘密を知っていたことが。お前が……それを知っていて、俺をずっと遠ざけるようにしていたことが」
「……はい……」
風に消え入りそうな声。
紗雪はぎゅっと片腕を掴んでいた。
「だから……むかむかした。もっと早く言ってくれれば、と思った」
紗雪の眉が歪む。
「だけどそれ以上に……お前と話すのが、怖い。お前がまた……俺の言葉で、おかしくなってしまうんじゃないかと……」
「……っはい……」
もう、紗雪の瞳からは涙が溢れていた。
俺の言葉が、彼女を、痛めつけている。
不意に、息が詰まった。
喉が痛んで口から声が出ない。
ひゅっとして、言おうと思った言葉が出ない。
「っく……はぁ、はぁ、はぁ……」
「!? 陽斗!」
胸を抑えていた俺の異変に、駆け寄ろうとした紗雪。
俺はそれを手で制した。
「いい! だ、だいじょうぶ、だ……」
紗雪は不安そうに両手を胸に当てている。
俺は、言う。言うんだ。
「聞いてくれ。俺は……お前のことが好きだった」
「…………」
紗雪は不安そうなまま、じっと、俺を見ている。
「だけどお前に近付けなくなって。ずっと、もう、考えないようにしてた」
風がびゅうびゅうと吹き抜けた。
俺の頭の中のようだった。
「でも、ずっと変わらなくて。俺も止まったままが不安だった。もう忘れたくて、それで、彼女を作ろうって思った」
「…………」
「ちょうど、琴葉が止まっていた俺を引っ張り出してくれた。だから、俺は……」
「……ええ……」
紗雪の口元が歪んだ。
涙を流しているのに、彼女は笑ってうなずいた。
「佐倉さんが……っ、水瀬君には、お似合いだと……」
「! 違う!」
思わず叫んだ。
びくり、と紗雪は身体を震わせた。
「琴葉には、断った」
「えっ……」
「聞いてくれ……。俺も、逃げてた。お前を傷つけないとか、壊さないとか。お前との関係が切れるのが怖いから、全部、借り物の言葉ばかりで、取りつくろってた」
俺が弱かったところ。
もう、知っていたはずのこと。
彼女らが差し出したのと、同じもの。
言わなければいけないというのに。
言葉にするたび、魂が抜けていくようだった。
「俺は逃げてたんだ。お前が大事だって思いながら……そのことも伝える勇気もなく、お前との関係が壊れるのが嫌で、逃げてたんだ……」
「……それは、私が——」
「紗雪のせいじゃない! 俺が、逃げた……“雪乃さらさ”に、逃げたんだ……!」
目頭が熱かった。
胸は痛いまま。
喉も痛いまま。
紗雪から向けられる視線も、ずっと痛かった。
「でも……でも。逃げた先は温かかった。さらさは、俺の消えそうな心をいつも包んでくれた。それが俺には救いだった……」
さらさの記憶。
それは、俺が確かに救われた時間だった。
あれは確かに、俺と、紗雪が過ごした時間だった。
言葉は自然と出てきていた。
「……配信は終わったけどさ。“雪乃さらさ”に言わせてくれ。『俺を救ってくれてありがとう。ずっと、隣りにいてくれて、ありがとう。幸せだった』って」
「……“るーとさん”……う、ああ、ああ、あああ……!!」
紗雪は顔を覆って声をあげた。
「あり、がとう……、ありがとう、ございます……! さらさを……、“雪乃さらさ”を……!」
首を振りながらも、その嗚咽は止まらなかった。
その終わってしまった時間に、俺の頬も濡れていた。
「あの時間はなかったことにできない、俺もずっと夢を見ていたから。……ずっと、お前と距離を置いていた時間も、なかったことには、できない」
紗雪はただただ、うなずいていた。
喉が痛くて声が震えていたけれど、言葉は出てくれた。
「なぁ、紗雪。お前からずっと逃げていて、すまなかった。お前じゃなくて、俺は自分の弱さばかり見ていた。だから俺たちはすれ違ったんだと思う」
「……陽斗……」
「俺はもう逃げない。怖いからって、逃げない。だから、また隣にいさせてくれ」
「っ、はい……!」
眉を歪ませたまま、頬は涙で濡れ、長い髪が張り付いていた。
それでも隠さず、俺にその黒い瞳を向けていた。
「如月紗雪を好きな、水瀬陽斗として。これから、また、一緒に過ごす時間を作らせてくれ」
「っはい、こちらこそ。……お願い、します……ああ、あああ……!!」
紗雪はまた顔を覆って声をあげた。
俺は、近付いてその肩を胸に抱いた。
震えているその身体は温かかった。
壊れそうなくらい繊細だった。
「あああ……陽斗、陽斗ぉ……」
紗雪は俺の服をぎゅっと掴んだまま、何度も何度も、うなずいていた。
夕焼けがただ、綺麗だった。
◆◇◆
「おはようございます」
紗雪が教室に入った。
いつもならしんとなるところが、今日はざわつきをもって迎えられた。
表情が柔らかいこと。
俺と手を繋いでいたこと。
一斉に皆が反応しようとしたところで、それを制して琴葉が前に出てきた。
彼女は俺たちの手を見ると、少しだけ眉を歪めたが、すぐにすました顔になった。
「おはよ。あ~あ、朝から熱いねぇ~」
「おはよう、琴葉。からかうなよ……」
さも「見せつけないで」というように、手団扇でパタパタと大げさにあおいでいる。
冷やかしらしく、ちょっと目を細めていた。
「……無事にお付き合いまで至ったわけね」
「お陰様で。お前には感謝しかないよ」
「だってよ皆。ほらほら、新婚カップルを冷やかすと馬に蹴られちゃうよ」
興味津々と集まって来たクラスメイトを散らしてくれる。
相変わらずの世話焼きだった。
自分の席につく。
紗雪も荷物を置くと俺の席へとやって来た。
琴葉は隣の席から、じっと俺と紗雪を見つめてから天井を仰いだ。
「あ~あ、逃がした魚が大きすぎたなぁ……」
「……琴葉、ごめ……」
「はい、ストーップ!」
琴葉はびしっと、俺を指差した。
「そこはさ、ありがとう、でしょ」
「……ああ、そうだな。ありがとう、琴葉」
「よろしい」
腰に両手をあてて、琴葉はうんうんとうなずいた。
「佐倉さん。私も、ありがとうございました」
「ほーんとよね、あたしも敵に塩を送り過ぎたし。謙信も真っ青」
あはは、と笑う琴葉に、俺も紗雪も笑って良いのか迷ってしまい、目を合わせた。
「いい、紗雪? 次はないから。もし次があったら塩なんてあげないよ。一気に攻め落とす」
「……はい、本当に、ご迷惑をおかけしました」
「まったくよ。今度あたしの前でそんなことになったら、本気で許さないよ」
琴葉の言葉に、紗雪はうなずきながら、俺の手を強く握った。
俺もそれに握り返しながら答えた。
「ああ、すれ違わないって約束する」
「私もです」
「……はいはい、あとはふたりでよろしくやってよ」
琴葉はしっし、と手を払って迷惑そうな顔をした。
「なぁ、琴葉。頼みがある」
「なによ。もうリハビリなんてしないよ」
「そうじゃない。図々しいのは承知してるんだ。でも、頼みたい」
俺が真剣そうな声を出したので、琴葉はこちらに顔を向けてくれた。
「まだ、俺たちと友達でいてほしい」
「佐倉さん、お願いします」
紗雪と話をして、これはふたりで頼もうと決めていた。
まだ学校生活は半分以上残っている。
わがままだとは思うけれども、このまま彼女と疎遠になってしまうのも嫌だった。
「はぁ~? あんたたち、それ、本気で言ってるわけ?」
俺と紗雪が頼むと、さも迷惑そうに眉を歪めた。
「願い下げよ。頼まれて友達になんてならないよ」
「そんな……」
「琴葉……」
無理か……。
無理でも、頼んでみようと思っていた。
言わないで曖昧に終わらせたくなかったから。
だから、これで嫌われるなら、もう仕方がない。
残念そうな雰囲気の俺たちを見て、琴葉はやれやれといった雰囲気で立ち上がった。
うつむいて、ひとつ、大きな溜め息をついてから。
またびしっとこちらを指差した。
「あたしはもう、便利な友達枠なんてやらない。友達は自分で選ぶ」
そして、にやりと口元を歪めた。
「あんたらみたいな心配な奴らをほっとけるわけないでしょ。親友として見守るに決まってるじゃない」
「っ! ありがとう、ございます!」
紗雪が頭を下げた。
俺は琴葉の目をしっかりと見て、口を開いた。
「琴葉、ありがとう。これからも、よろしく」
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