第三十九話
カレーをひっくり返した後周りからヒソヒソと何か言われながら掃除をこなした。
もちろん一人で。
山口がアイコンタクトで手伝うって言ってくれたけど、そんな事すればあの二人に何言われるか分からないし問題ないって伝えといた。
はぁ……やっぱこんな事しなきゃ良かった。
先生に事情を話し状況を理解してもらった。
特にもっかい作れとかの指示はなくて怪我などの心配だけされて終わった。
舞浜ペアには罵詈雑言の嵐を再び浴びせられたけど。
なんなら今現在も浴びせられてる。
「おい!このグズ!ノロマ!何をどうしたらあの重い鍋を倒せるんだよ!聴いてんのか!このボケ!耳塞いでんじゃねぇぞ!」
「あぁ〜もう!お前みたいなやつ友達居なくしてやろうとしても元々いねぇじゃねえか!虐めようがねぇとこがさらにムカつくんだよ!あと!めんどくさそうな顔すんな!」
両耳から罵詈雑言。
周囲からの目線も痛い。
とりあえず席につき一息つく。
「あいつもついてないなぁ〜てかさあんなやつクラスに居たっけ?俺全然覚えてないわ」
「いや、居ただろ?俺も喋った事ないけど」
やけにその声は俺の耳までよく届いた。
「てかあいつらもよくあんなにポンポン悪口出てくるよな〜なんで頭良くないのに色んな語彙とか噛まずに言えるんだろ」
「それな!頭の回転自体は速いのかもな〜てかさ?あんなに言われて、今後もねちっこく言われるって考えたら俺、学校居られる自信ないよ」
「だなぁ〜まぁあいつらにだけは極力関わらないようにしようぜ」
「だな」
だな、その意見には凄く同意するよ。
「てめぇ!何頬骨ついてのんびりしてんだ!食べ物粗末にしやがって!農家の人に謝れ!家畜に謝れ!なんならお前が家畜になれぼけぇ!」
……地味に刺さる事言ってくる。
これに関しては一方的に俺が悪いので何も言えない。
凄いよね〜相手の悪いところを一方的に発言して罪悪感を植え付ける。
……これを柚木も受けていたのだろうか。
確かに普通のメンタルならとっくに心が折れていると思う。
柚木みたいな繊細そうな子なら尚更だ。
ああいう子は周りからの視線を特に気にするタイプだからね。
その点俺は全くのノーダメージ。
周りからの視線とか一才気にしないからね。
目立つのは嫌だけど。
「ひゃっ!ほぉぉ!おらおら!この距離で声掛けられてもまだ無視すんのかぁ!?いぇぇぇい!へいへいへい!!」
……もう耳が痛い。
「あ!おい!こらぁ!どこ行くんだぁ!」
トイレに逃げよう。
「まだ話は終わってねぇからなぁ!」
その場からサッと抜け出し、ある程度距離をとったところでトボトボと歩く。
ようやく一人になれた。
もう色々と勘弁して欲しいね。
おそらく試験の点数も0だろうし。
この後どうするのがいいかよく考えよう。
バスでも一生あの大声を聞かされるくらいなら歩いて……は厳しくてポイントもないから電車も使えない。
あ、いっそ山口の持ってきたカバンの中にでも入ってしまおうかな。
俺が腕を組んだところでふと人影が見えた。
山口かな?
「ちょっと!こっち来て!」
そう言われ柚木に手を引かれる。
あ、また説教ですか。
とほほ。
俺はあの二人に言われ過ぎて既に疲れていた。
トイレ前まで連れてかれ壁ドンされる。
鼻の先がくっつく寸前くらいまで柚木は顔を寄せてきた。
近い近い、あと近い。
アロマのような香りの中に、ほんのりカレーの匂いが混じる。
「どうして誰にも言わないの……全部私が仕組んだ事だったって知ってるんでしょ!?」
あ、バレてた。
けどまぁ……とぼけますけどね。
ふふっ……強キャラ感あって嫌いじゃない。
「ん?なんのこと?」
「あなたね!演技下手すぎ!あの時誰かに覗かれてたのは気づいてたけど……まさか同じ班だとは思わなかった……ねぇ!?どうして!?どうして言わなかったの!?」
耳がキーンとするくらい声を上げる柚木。
まるで壊れたピアノが不協和音を奏でるような、そんな音をイメージさせた。
と言うか物理的に距離が近いから必然的にうるさい。
ん〜どうしてと言われてもね。
そりゃそんな主人公的な事したら目立つし、俺は平和にモブらしくしたいだけなのだ。
もしあのカレーを先生達が食べればおそらく大事件になっていた。
実際は中に何入れてたのかなんて分からないけどね。
この感じだとやっぱ土とかってレベルじゃなさそうだ。
「まぁ……厄介ごとに巻き込まれたくないから?かな?……カレーを溢したのもたまたまって事じゃ駄目かな?」
「駄目に決まってるでしょ!……私はもう……覚悟は決まってた……もう……どうにでもなってしまえばいいと……そう思ってたのに」
柚木の目には涙が溜まっていた。
今にも溢れそうだ。
柚木にとっては決死の覚悟だったのかもしれない。
あの二人に仕返ししてやるって。
例え学校を退学になっても。
一生傷跡が残るとしても。
それくらい思い詰めてたんだろうね。
それは今の柚木の表情を見ればよく分かる。
確かに舞浜たちの嫌がらせは過剰だ。
だが別に現実的で、みんなの想像するいじめなんて文字に起こして言葉にしてしまえば、よくある話程度で終わってしまう。
それがいじめの嫌な所でもある。
受けた本人は何年もかけて瘡蓋を作るのに。
傷口からはドバドバと血は流れているのに。
それが目に見えるものじゃないから。
目に見えなければ……他人に見られてなければ人は犯罪さえ平気でしてしまうのが大半だ。
「ちょっと昔の話してもいい?」
長くなりそうだからお断りします。
とはもちろん言えない。
てか距離近いから一回離れようか。
身体を柚木から遠ざけつつ無言で頷く。
「私ね……中学の時も殺人未遂を起こしたの……なんかもう、どうでもいいやって……私も死ぬから貴方も死ねば平等だよねって」
そう言って俺の胸あたりを人差し指で突いてきた。
全然平等じゃないし怖い。
あと、もってなに?
「それで今回もそう思った、あの豚どもと一緒に死んでやろうって本気で思ってた……なんとなく方法は思いつくでしょ?あのカレー食べた人は私諸共死んでくれるって」
フムフム。
……。
え?つまりそれって……俺も巻き込まれてるじゃん。
危うく死ぬところだったってことだよね?
すみませんここに殺人未遂が居ます。
「こんなこと言っても表情一つ変えないのね?……まぁそれはいいんだけど、貴方から見て私ってどんな風に映ってる?」
そう言って俺の両頬を抑え顔を柚木の方へ引っ張られた。
その手の平は夏が近いのにひんやりとして不気味さを感じさせる。
ん〜俺からみて柚木の印象か〜。
「まぁ誰からにでも好かれる理想の女子……とか?」
「なんでちょっと疑問系なのよ……けどそうよね?完璧超人で美少女で性格も良いでしょ?」
いやそこまで言ってない。
けど反論するとまためんどくさくなるから特につっこまない。
「それが本当の私なら良かったんだけどね……」
そう言って俺の頬から手を離し視線を下に向ける。
「結局のところ皆んな私に優しくしてくれるけど、それって本当の私じゃない……本当の私は独占欲が強くて思い込みが激しい面倒な女なの……どう?怖いでしょ?」
微笑みながら俺の方を向いてくる。
めっちゃ首を縦に振りたい。
のを我慢して適当に気の利いた台詞を考える。
う〜ん、特に思いつかないや。
「まぁ……みんなに好かれるって気持ちいいだろうけど……それってめんどうだよね」
誰からにでも好かれる理想的な人間。
理想は理想であって実際は違うよね。
誰かさんもそう言ってたし。
気の利いた台詞に身だしなみ……会話をするのにも時間やお金をかける必要がある。
話題作りだってただじゃない。
何かと時間やお金ってかかるもんだよね。
それらを一切のストレスなしで行える人間なんてまずいない。
「そう……だから私はもう疲れたの……あの子は……私がどれだけ気を遣ってたかも知らないで……なんで私をもっと頼ってくれないの?なんで貴方から声をもっとかけてくれないのって」
か細く震えた声でそう言う。
柚木のような人間でもそんな悩みがあるんだね。
「自分でも分からないの……あの子にだけ理解されればいいって……そう思ってたのに……」
「へ〜」
「あの子はどこか行っちゃったし……置いてかれた私はもうどうすればいいか分からなかった」
ん〜ところで一体なんの話をしてるのだろうか?
あの子とは?
けどまぁ今はこの空気感に合わせておこう。
空を見上げる柚木。
張り詰めた糸がプツンと切れるように。
その瞳からはポタポタと涙が溢れている。
彼女は人前で泣いてしまうくらい思い詰めてたんだ。
綺麗に整地された道でもすぐに崩れ落ちていく。
そこから這い上がるのってすごく大変だよね。
でも……。
誰かが少しでも背中を押したり、手を差し伸べてくれたら……一緒に上がってくれたら。
簡単に元の道に……もっと綺麗な道を歩けるのかもしれない。
なんかまた不思議な感覚を感じている。
いつもの嫌な感覚だ。
大きく息を吸う。
揺れ動く感情をリセットし、またいつもの調子に戻る。
……さてと、この状況をどう打開しようか?
何故か外トイレの前で泣く女の子がいて。
それをボケ〜っと見つめる俺がいて。
周りには誰も居ない。
なんでこう言う時人って寄り付かないんだろうね?
やっぱ世界が空気を読んでくれてるのかな?
まぁいいや。
「あんま無責任な事言えないけど俺は柚木の味方だよ……あと山口も」
ここは保険をかけて山口の名前も出しておこう。
俺一人だと不安に思われるかもしれないしね。
てか早く戻りたい。
柚木は大粒の涙をボロボロと溢すとそのまま泣きじゃくった。
「いいの?こんな私を見て嫌にならない?」
「大丈夫だよ」
「本当に?」
しつこいな〜。
「本当に」
「絶対の絶対?」
「うん」
「なんか適当なんだけど」
まぁ適当だからね。
とにかく早く戻りたくて仕方ない。
あ、でも戻ったら戻ったで五月蝿い奴らが。
トイレに篭ろ。
「じゃあそろそろ行くから」
柚木は俺に身体を預けてきた。
おお!美女に抱きつかれた。
思ったより身体は小さく先程より体温は高い。
こんなに他人と肌を密着させるのは何年振りだろうか。
なんだかいい香りがする。
よし落ち着け俺。
俺はモブキャラだ。
確かにモブキャラなんだけども。
みんな?
落ち着いて聞いて欲しい。
モブキャラが女の子の頭を撫でていけないと言う決まりはない。
ここは流れに身を任せて頭を撫でていいはず。
こんな可愛い子に抱きつかれたら普通は抱き返す。
けど俺はそこまではしない。
あんだけモブキャラを徹底しろと偉そうに言っていたが。
たまにはいいよね?
あんだけ舞浜と高島に文句言われ。
クラスの人達からも哀れみの目で見られて。
大体柚木は顔だけは本当にいいからね。
メンヘラ気質さえなければ理想の女なんだよね。
俺は柚木の頭を優しく撫でた。というか人差し指で軽く触った。
やはり俺はチキンのモブキャラと言うことですね。
「抱き返してくれないの?」
「そこまでは勇気がないね」
「不安なんだけど」
俺も不安なんだよね。
「大丈夫」
「だって貴方の友達にも酷いことしたのに」
あーあれね〜。
料理本破った件は許せない。
でもこの空気の流れ的にそんな事言えない。
「別に大丈夫だよ、山口にもあとで謝れば許してくれるよ」
「本当に?」
「うん」
俺も泣いてお願いすれば大体オッケーしてくれるし。
山口様の器のデカさは世界一ぃ!
胸は小さいけどね。
泣き続ける柚木。
誰かが裏で意図を引いてるんじゃないかってくらい都合よく人は来ない。
グスグスと鼻を啜る。
本当の彼女はこんなにも脆くて柔いんだ。
それでも頑張って努力してクラスに馴染もうとして。
本当にすごいよ。
俺は早く帰りたい。




