点を線で繋ぐ
「 だよねぇ ? 」
一旦、布巾を置いて 石を並べ終えると
ひと休みする為にソファーを観て、
やっぱり 文机に座る。
ふむ 。
それは「さっきの子供達のこと」がスペースへ浮かんでいるからだけど、私は最近彼らと話していて よく、思うことがあるんだ。
それは
「これまでの歴史というもの」を どう教えるかで
「自分のスタンス」は 両方であるから。
なんだか分かり辛い話になる時が多々あるし、「個々の受け取り方」に 差が視える。
そもそも「表と裏、両方の眼であること」
更に「歴史」とは
「正しいこと」や「ほんとうのこと」ではないことも
含まれていること。
勿論、それを踏まえて教えるのだけど、
そうすると「こうだったんだよ」からの
「でも本当かはわからないけどね」、になる。
だから 上手く捉えられない子は混乱するし、人間の多面性をまだ経験していない小さな子供達には 余計に複雑になってしまうんだ。
「 まあ、訊かれたからには応えるんだけど。そう、 なんだよね。 わざわざ教えるのかも、迷うし。ぶっちゃけ、「これまでの歴史」って 関係なくはないけど 関係ないもんな。 」
"ここまでの歴史を一旦ぜんぶクリアにして"
"ゼロスタートする"
それは 今の大人達に必須の「こと」であるし、その場合は「ゼロだけれどそれを踏まえている」ということに なる。
だけど 子供達には その「前提」は全くない。
稀に、とても理解が早く 全体を捉えるのが上手い子がいるけれど
それはきっと「感覚の記憶があるから」で
自分もそのタイプだ。
しかし、「感覚の記憶」があっても「実際の物事」は変化している為、やって失敗する事も多いが 飲み込みは早い。
だから そのタイプは自由にやらせておけばいいけれど
実際「感覚の記憶を持っていない子」は多く、それならば「やって わかる」のが一番いいのだけど
例えば「痛みの経験」なんかは やりたがらないのが普通だ。
「 まあ。 そりや、そうだよね。 やっと、「そうじゃない生」に 今、いるんだし。」
無理強いしないのがポリシーの教え方をしていると、
実際「教える」というのは 結構難しいことが わかる。
例えば
子供達は 皆、ちゃんと直感で応えるから
「嫌なものには嫌と言う」のは当たり前である。
だから「潜在意識で拒否しているもの」がちゃんとわかるし、だから「苦役」を拒否する。
そう、大人が「やらせよう」という姿勢でいる時は「嫌だ」と言うし、自分の興味が向いた時でないと「やりたい」にならないのは 普通のことだ。
「 そうだよねぇ 」
理由がない様に観える、「嫌だ」「やりたくない」にもちゃんと理由があって
彼等はそれが
「持っていれば便利だけれど」
「今、必要ない」のが ちゃんとわかっている。
いつだって身軽に走り回りたいのは光の本能であり、それは正直「正しい選択」だ。
だけど「この世界」を歩くのに、実際「地図」は必要だし
それが歴史だと私は思っている。
まあ 「地図」すらも
無くとも歩けるのが新人類なのだろうが、
この「過渡期」に在って。
まだまだ「重い現実」が展開しているうちは、
使えると思えるから つい、話の中に絡めてしまうのだ。
何気ない 会話の中に
全く関係ない 質問の中に
普段の 生活の中に、
紛れ込ませて それを語ること
"「光の状態」だと可能だが
「器」だとできないこと"
それは意外と 沢山ある。
何度もやってきた失敗
知らなくてうっかり器が使えなくなること
器が無くては味わえない「感覚」だけれど
他を侵す 様なこと。
「 ふむ 」
「それ」は勿論、「やれば全ては糧になる」し
「無駄な回り道」ではないけれども
ここからの私達に必要な経験ではないし
「そちら側の いろ」は。
もう、全部やり切ったから 必要ないんだ
今は。
「 あー、それに。 多分、もう「そちら側に向かう光」は ここに生まれないのか。 そう、ね だって「光側を視てる」んだもんな。 」
そう、「こうなったらどうしよう」のたらればの世界にはもう居なくて 私は「光の創世神話が展開する世界へ向かっている」。
で あるならばここからの景色は
「どう共生しているか」を視て描くのが仕事で
その「雑味無い世界」の為に、今 腐敗を還し 新しい光に入れ替わっている「ところ」だ。
しかし、「既にこの世界に在り 色を経験している子供達」にはまだ、「別れきっていない世界」が展開するから
地図があると便利なんだ。
「 そう、ね 」
今は 必要と思えなくとも
全く耳にすることがなくとも
「いつかの点」に成れれば
「点」は繋がり「線」に成る。
そして「光の網」は構成されてゆき、せかいを
自由に渡れる様になって
「自分の地図」を創り、「世界の地図」と合わせて
冒険ができるのだ。
「 やっぱ。 だから、まあ それで、いいって ことだ。」
"地道に 今できることを続けていく"
"そうすれば 「それは 成る」"
うん 。
よし
大丈夫だ ちゃんと「繋がる」。
そうしてずっと、くるくると
ペンで描いた点を繋げて遊んでいたけれど 「いつかの点」が繋がることでそれは終わりを告げ
せかいに「私の図」が反映するのが わかる。
そう、今 ちゃんと「視た」から。
それは きちんと「かたち」となって
子供達は点を繋げられるし、「自分の地図」を創る様に成る筈だ。
「 まぁね。 大仕事、やりましたからね。 きっとパワーアップしてるし。 これは「成る」、でしょう 。」
「やだ。…今度はなんの予言?」
「 ぁ。 」
そして「絶妙なタイミングで入ってきた 朝」に
きちんと、「ヤバいという顔」を してみせて。
「…………えっ、コワッ。」
「 フフフフフ 」
込み上げる笑いを全身で楽しみつつ、
お茶にすることに したので ある。




