下賜姫は恋しています
エレノア視点が続きます。
輪郭の緩くなったあご、日に焼けてキメの荒い肌、目もとに刻まれたシワ…そんなものに心動かされるなんて知らなかった。
若い頃はそれなりにモテただろうと思える整った顔立ちだが、今の彼は年齢の分だけ素直に老いている。
元の色がわからないくらいに白髪の交じった髪、濃い橙のような茶色の瞳には灰色の濁りがうっすらと混じり始めている。
ひたすら穏やかな佇まいと柔和な微笑みは、けれども一切感情を測らせない。
体は武官でならしただけあって逞しさを残しているが、それもずいぶん前にピークを過ぎているのだとうかがえた。
一般的にいえば、私のような10代の娘から懐かれはしても惚れられることはないだろう。
それでも、彼を目の前にして私の胸は高鳴っている。
アディソン伯爵に案内されたのは応接間だった。
玄関の近くにあるものではなく、二階のごくごく近しい間柄の客をもてなすための応接間だ。
小ぶりなシャンデリアや柔らかそうなソファーは華美なところが無く、飾られている絵もあっさりした額縁に田舎の風景を描いた素朴な印象のものだ。
不躾にならない程度に部屋を見回し、勧められた3人掛けの長いソファーの端に座ると、伯爵は同じ生地で作られた一人掛け用のものに腰を下ろした。
ソファーセットは部屋の中央に置かれたローテーブルを囲うようにゆったりと配置されている為、なんだか遠い。
そんな不満を顔に出すことも無く静かにしていると、伯爵家の侍女がお茶を淹れてくれた。
「旅はどうだった?疲れたかね?」
お茶を淹れてくれた侍女が退室し、音も無く扉が閉まるのを合図にアディソン伯爵が口を開いた。
「このように長く旅をしたのは初めてで、とても楽しい旅になりました。」
するすると返事が出てくるのに自分でも驚く。
人見知りという訳でも無いが、初対面の相手を前に人並みに緊張しているはずなのに。
ましてや、胸の奥は先ほどからドキドキとうるさい。
けれどアディソン伯爵の穏やかな微笑みを前に、余計な気負いは無くなってもいる。
「さすがに若者だ。体力があるのだね。」
伯爵がそういって笑うのに合わせて微笑みを作りながら、心にチクッと棘が刺さる。
若者と言われたことに一線を引かれたように感じるのは被害妄想が過ぎるだろうか?
「アディソン伯爵家は国境の領地を守る武の家柄と聞きました。私などが、鍛えられている伯爵様に若さだけで太刀打ち出来るとは到底思えませんが?」
「いやいや、いくら年寄りが鍛えてもね、若いパワーに及ばない事だあるのだよ。」
そういってアディソン伯爵は片目を瞑った。
そのチャーミングな様にドキリと大きく胸が震える。
私はそうですかと小さく返事をすることしかできなかった。
お茶を半分ほど飲んだところで、ドアが開きお仕着せに身を包んだ女性が3人滑り込むように入室した。
伯爵が執事に頷いて見せると、執事と女性3人が並んで頭を下げる。
「家の者を紹介しよう。」
「執事をさせていただいております、クルスと申します。」
一歩前に出て挨拶をしたのは先ほどから伯爵の隣に控えていた執事だ。
伯爵よりも頭半分背が高く、黒の燕尾服をびしっと着こなす大きな体もさることながら、口元に蓄えた髭に目を奪われる。
オールバックの白髪と太い眉や鋭い目つきが威圧的で、威風堂々と立つ姿に圧倒されてしまう。
執事というより将軍と紹介された方が納得できる容貌だ。
年は伯爵と近いだろうに受ける印象は全く違う。
伯爵を大木にたとえるならクルスは岩みたいだ。
ちょっとやそっとでは動くことのない大岩。
「彼は家の事も領地の事も含め、我が伯爵家を支えてくれているんだよ。伯爵夫人としての仕事の大半は彼が教えてくれるからね。」
伯爵の説明に背筋の伸びる思いがする。
しばらくは私はこのクルスから伯爵家のあれこれを学ぶらしい。
「どうぞ、ご指導のほど、よろしくお願いいたします。」
クルスは私の言葉に深々と頭を下げてから一歩下がった。
入れ替わりにお仕着せの女性の中で一番年上の女性が一歩前に出る。
「侍女長のジニーでございます。何なりとお申し付けくださいまし。」
ふくよかな体に人好きのする笑顔を浮かべるジニーに、私も思わずニコリと笑いかける。
「彼女は侍女と女中の長として家の中の一切合切を任せている。私の乳母妹なんだよ。仲良くしてやってくれ。」
「こちらこそ、どうか仲良くしてください。」
そう言って微笑みかけると、まぁまぁとうれしそうな声を出し、ジニーは笑みを深めた。
「旦那様、かわいい奥様でいらっしゃいますわね。とってもようございました。」
「はいはいわかったよ。エレノア嬢、ジニーはとっても押しが強いところがあるからね、気を付けるんだよ。」
「まぁ、旦那様ったら、奥様に対してそのような……」
ジニーはアディソン伯爵に向かってわざとらしく目を丸くした。
「エレノア嬢などと、他人行儀ではエレノア様が寂しく思われますわ!」
「あ、そっち?」
アディソン伯爵はしまったなというような気まずげな顔をして人差し指で頬をポリポリと掻いた。
私はジニーに親指を立ててグッジョブと言いたいのをぐっと我慢すると期待を込めてアディソン伯爵に向き直る。
「エレノア……と呼んでいただけるのですか?」
ずるい聞き方だと思いながらも、否定しにくいよう言葉を選んだ。
「……あぁ、君はそれでいいのかい?」
「はい、もちろんですわ。」
期待を込めて見つめ続けると、アディソン伯爵は一拍の間をおいて
「では、私のこともカルロスと。」
と許可をくれた。
困ったように眉尻をさげているのは、照れているのだろうか?
「カルロス様」
「あぁ。」
名を呼ぶことがこんなにも心を温かくするだなんて思ってもみなかった。
でも、それだけでは満足できない。
「ふふふ、私も呼んでくださいませ。」
「……エレノア。」
「はい。」
名を呼ばれただけで有頂天なのがばれてしまうけれど、私は上がる口角を制御できなかった。
あらあらまぁまぁとジニーの嬉しそうな声が聞こえ、伯爵が恨みがましくジニーに視線を送るけれど、私は名を呼ばれた幸せに身じろぎもできなかった。
「ゴホン」
っとわざとらしい咳払いをしたのはクルスで、それを合図にカルロス様は気を取り直したみたいだ。
私たちの間にあった暖かで少し気恥ずかしいような空気がひゅっと一瞬で元に戻る。
それを名残惜しく感じるが、まだ紹介されていない2人に顔を向ける。
二人の若い侍女はデイジーとビオラといった。
簡単な自己紹介を受けて、こちらも連れてきたエミリを紹介すると、お茶会はお開きの雰囲気だ。
「長旅で、疲れた事だろう。晩餐までゆっくり休みなさい。」
温かな微笑みと共にかけられたその言葉に首を横に振りたい気持ちになったが、曖昧に微笑む以上の事はできず、ジニーに連れられて応接間を辞した。
本当は、もっとカルロス様と話していたかったけれど、わがままなど言えるはずもない。
「こちらがエレノア様のお部屋ですのよ。」
ジニーに連れて行かれた先は二階の客間のようだった。
品良く落ち着いた部屋はけれどもどこかよそよそしい。
簡単に設備の説明をし晩餐の準備まではゆっくり休むようにと言って、ジニーは部屋を出て行った。
それを見送ってからはーっと長い息を吐くとエミリがニコニコと微笑みながらお疲れ様にございますと労いの言葉をかけてくれる。
実家であるクロック伯爵家で、前伯爵……つまり、曽祖父を世話していた彼女は、曽祖父亡き後、私付きの侍女としてずっと仕えている。
後宮に入る時も下賜が決まった時も一も二もなくついて来てくれた、私にとっては唯一の気が許せる侍女だ。
「エミリ、あなたも疲れたでしょう?」
王都の北西に位置するアディソン伯爵の領地までは馬車で1週間ほど。
領地に入ってから1日半、国境沿いの領地らしく、領主の館は領地の再奥の街にある。
今までにしたことの無い長い旅だった。
下賜の話が出た時、王都から遠く離れたアディソン領まで彼女を連れてくるつもりは無かった。
少しばかり年上のエミリはその幼い見た目に反して既に20代中盤、婚期を逃していると言われても仕方の無い歳になりつつある。
そろそろ私から離れてエミリ自身の幸せを見つけるべきだと思って暇を言い渡そうとした。
しかし、エミリはその提案を受ける事無く、私について来てくれた。
「私様のお側にいられるんですもの、疲れなど感じませんわ。」
ごく真面目にそう言う侍女に若干呆れながらも、私はありがたいなぁと思わずにいられない。
新天地に行く時に、気心知れた人が側に居るのと居ないのでは、感じる負担がずいぶんと違うものになる。
「晩餐までゆっくりできるそうだから、カウチで本でも読むわ。エミリも休んで。」
「はい。では、いくつか荷ほどきをしてから下がらせていただきますので、何かありましたらお呼び下さい。」
今だってこれだけのやり取りで、カウチは本の読みやすい明るい場所に移動され、荷物の中から読みかけの本と呼び鈴がサイドテーブルにおかれるといういつもの読書空間があっという間に用意された。
その心地よさに自然と笑みがこぼれ、感謝の言葉が口をつく。
しばらく見慣れた文字を目で追っていたが、ペラリと紙をめくりながら、私はいつに無く集中できない自分に気づいた。
無駄に美形な王太子殿下の後宮に召された時でも一度本を開けばその世界に没頭していたのに。
ふーっと息を吐いて窓の外に目をやる。
カウチに半分寝転がるように座っている為に木の梢と青い空しか見えない。
エミリは部屋を出たようだ。
働き者の侍女が、少しでも休めていると良いのだけれど、きっと何か自分の為に動いているのだろう。
「それにしても……まいったまいった。」
私の独り言は誰に気づかれる事なく窓から差し込む陽光に紛れて弾む。
空を眺めながらも、思い浮かぶのは先ほど短い初顔合わせをしたカルロス様だ。
エレノアと呼ぶ優しい声に含まれる少し照れたような響きが胸をくすぐる。
彼を知りたいと思う。
もちろん、自分についても知ってもらいたい。
出来れば好意的に見てもらいたい。
夫婦となってあの手で撫でられたり抱きしめられたりするのかと想像すると、頬に熱が集まってくる。
熱を散らそうと指先を頬に当てると、ほぅっとため息が漏れた。
期待と羞恥と歓喜を含んで艶やかな色をしたそれは、もともと奥手で色恋に疎い私にも、十分に遅すぎる初恋を意識させる。
しばらく空を眺めていると不意に
「あら、珍しい。」
そうつぶやくような声がした。振り返るとエミリが心配気にこちらを覗き込んでくる。
「お嬢様が本を手に空を眺めているなんて……どこか具合が悪いのですか?」
ずいぶんな言いようだが、いつもの本の虫っぷりを知られているのだから仕方がない。
「いいえ。少し空を見ていただけよ。」
私の返事に納得のいかない顔をしながら、エミリは手に触れたり顔を覗き込んだりして体の調子はいつも通りと判断したらしい。
「そろそろ晩餐の準備をとのことですが。」
「わかったわ。」
私が肯くとエミリはドアを振り返った。
そこには先ほど紹介された二人の侍女が居る。
「まずは湯浴みをお願いいたします。」
そういうのはデイジー。
私より少し年上だろう彼女は茶色の髪に茶色の目のどこにでもある色彩ながら、愛嬌のある顔立ちと凛とした佇まいが美しい。
「こちらです。」
緊張した面持ちで先頭に立って案内してくれるのはビオラ。
私と同い年か少し年下のように見える。金茶の髪と深い青色の瞳で整った顔立ちをしている。
今はまだあどけなさが全面に出ているが、もう数年もすると可憐な美女になりそうだ。
「よろしくお願いね。」
そう微笑むと、エミリを含めた3人が大きくうなずいてくれた。