表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
鏡の国のバカ
162/173

宙の目覚め

 いつのまにか、ナオコは見慣れた場所に立っていた。

 東京都渋谷区、センター街。スクランブル交差点のただ中、信号機は沈黙している。乱立するビルから、明かりが漏れている。眠らない街を起こすための人だけが居ない。


「え?」身体を見おろす。特に変わった様子はない。

 周囲には、だれもいなかった。電光掲示板だけが生きている。23時45分。

〈鏡面〉の中だ、と察知する。


「ナオコくん」


 ふりかえると、先ほど別れたばかりの青年がいた。目を丸くして、驚いている様子だった。

「山田さん」と駆け寄ると、すぐに守るように肩を抱きよせられた。


「気づいたら、ここにいたんだが……大丈夫か」


「あ、はい。わたしは」


 そこまで言って、ナオコは目を見開いた。顔をあげ、腕をふりはらう。


「ありゃ、早いね」山田がにやりと笑った。彼が浮かべることのない、愉悦の笑顔だった。

「さすが、女の子って勘が働くんだね」


 距離をとる。彼はポケットに手をつっこんで、彼女をみつめた。


「……マルコさん?」


「だと思う?」


「話し方が」と指摘すると、くすくす笑われた。


「もうちょっと偉そうに話せば分からないかな? えー、ごほん」


 咳ばらいをすると大股で近寄ってくる。のけぞるナオコのあごに、人差し指がかけられた。


「ナオコくん、俺がだれだか分からないのか?」


 ナオコは息をのんだ。眼前の目が細まった。


「……なんちゃって」


 にこりと笑って、彼は離れた。


「どういうつもりですか、これは」と、動揺しながらたずねる。


「うん? 迎えにくるって言ったでしょ」


「これが、迎え?」


「そうだよ」


 彼は両手を広げて、その場でくるりと回った。


「わたしは、行くつもりは」

 と言いかける。しかし人差し指を唇に押し当てられて、言葉は封じられた。


「わかってるよ。でも君は行くことになる。ぼくと一緒にね」


「なんで」


「山田くんと一緒に居たいでしょ?」


 ナオコの表情がこわばる。マルコは愛しい青年の顔のまま、にこりとした。


「さっきのアレ、見ていたよ。叶わなかったでしょう」


「……」


「ずっと妹のままで満足?」


 ナオコはなにも答えなかった。

 そのとき巨大な音響が落ちてきた。身体の底を揺さぶるような、低く重厚な鐘の音だ。

「キャロル」と、彼が首をのばして頭上をみた。

 すでに空ではなかった。銀河の奥底まで行って、くらみそうなほど明るい最果てが、そのまま存在するようだった。真ん中に綺麗な丸い石が埋まっていた。灰色の瞳が、マルコたちを見下ろしている。


「……マルコさんは、どうして向こうの世界に行きたいんですか?」


 街は、白夜に包まれたように清廉な明るさを保っていた。彼は不思議そうにした。


「どうしてもなにも、あそこが「ぼく自身」だからだよ。ぼくは〈鏡の国〉そのものだ」


「それは、あなたが考えたことなんですか」


 そこで、彼は「ああ」と、察したような声をあげた。


「君はマルコ・ジェンキンスっていう人格が〈鏡の国〉とは、別にあると思っているんだね」


 ナオコはぎくりとした。彼の姿が、一瞬にして元に戻ったのだ。茶色い品の良いスーツ、稲穂のような金髪に、美しい顔立ちがほほえむ。


「違うよ」と、両手を広げる。

「ぼくは、あくまでコピーだ。分かるだろ? 要らなくなったバックアップ。亡くなった恋人。それが、ぼく。マルコ・ジェンキンスは、最初から最後まで〈鏡の国〉だ」


「でも」ナオコは顔をゆがめた。

「アメリカから帰ってきた後も……あなたはHRAのために働いていたじゃないですか。それが、どうして」


 それだけが疑問だった。彼は、だれよりも日本支社の人々を大切にしていた。それが、いつから変わってしまったのだろう。


「〈異常種〉の出現も、本当にあなたの自由にできていたんですか? 〈鏡の国〉としての意志しかなかったのなら、もっと早く行動しても良かったはずじゃないですか」


 マルコは、うすい笑みを浮かべたまま沈黙している。


「最初からなにもかも計算していたわけじゃないでしょう……? そうじゃなかったら、こんなに急に」


 言葉がさえぎられた。映画のカットが急に変わるかのように、いつのまにか背後から両手を抑えられていた。とっさに振り返ると、そこには、またもや山田の顔があった。彼は艶っぽく笑んだ。


「HRAのみんなのことが、大好きだよ。もちろん。だから()()()()に来てほしいんだ」


 ナオコは、手をふりはらった。


「本当に、こんなことがしたいんですか」


「そうだけど」彼は、わざとらしく困り顔をした。「ダメだった?」


「じゃあ、ひとつ聞きます」と、息をつめてたずねる。

「どうして、いったんわたしを返したんですか。あのとき、無理やりわたしだけを連れていくこともできましたよね?」


 マルコは片方の眉をあげた。


「あれ、珍しく鋭いね」


「答えてください」


 ふと、彼が宙をみて「おっ」と声をあげた。


「面白いもの見せてあげる」と言って、踵をたんたんとタップする。

 ナオコは、ぎょっとして足をひっこめた。彼の踵からコンクリートが波打ち、ガラスの壁のように透明になった。水面はビル群を映していた。

 この場と同じ、渋谷のスクランブル交差点である。唯一異なる点は、激しい争いが発生していることだ。


「……ケビン!」ナオコは、地面に膝をついた。


 騎兵銃をかまえたケビンが映っていた。傷だらけになって戦っている。相手は、牙をむいた真っ白な狼だ。狼は彼の腕に噛みつき、引きちぎろうと顎をひいた。その脳天に銃口が火を噴く。

 散らばる灰色の血をふりはらった矢先、今度はマネキンのような不気味な〈虚像〉が彼を襲う。ほかの〈芋虫〉が応戦するが、〈虚像〉の振りまわす槍に邪魔されて、なかなか距離を詰められない。

 やがて、マネキンが徐々に形を変化させた。ナオコは息をのんだ。


 蝋のように青ざめた由紀恵が、白いスーツを着て、そこに立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ