表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
鏡の国のバカ
158/173

灰のなかの火

 その三日後。事態は停滞している。新型の精神分離機の流通を止めようと、山田が各支部に働きかけていたが、その反応は芳しくない。というのも、試しに〈鏡面〉内で分離機を使用したところ、目立った支障はなかったそうだ。

 そうなってしまうと、手立てがない。こちらとしては、マルコの出方を伺うしか方法がなかった。〈虚像〉もあいかわらず出現していない。

後手後手に回っていることに苛立つケビンに、山田が釘を刺した。

「これは、正義の戦いでもなんでもない」と言い切ったのだ。


「仮に「なにがあろう」とも、それを止める資格がある奴はいない。だから、もしなにがあったとしても、相浦、おまえも無駄に抵抗はするな」


「なんだそりゃ」と、彼は余計に腹をたてたようだった。


「もしマルコが精神分離機を利用して、〈芋虫〉を一気に〈鏡の国〉に引きずりこもうとしたら、抵抗するな、と言っているんだ」


 マルコは、あのとき「迎えにいく」と言っていた。近いうちに、彼がその計画を実行することは予測できる。


「むこうも、そんなに悪くないと思うぞ」

 青ざめる二人をみて、山田は笑った。

「平和だし、そうだな」ナオコの目をみて、笑みが深くなる。

「夕暮れが綺麗だ」




 午後二十時、ナオコは下北沢に居た。せせこましい階段を降りて西口を出る。三連休中日で、人手が多い。うっとうしい様子の雨に、すぐに地下に潜るつもりで、傘をささない人も多かった。

 踏切を渡り、商店街の間を進んだ。クリスマスイブ前日にして、カップルの姿も多い。少し暑いな、とナオコは思った。仕事終わりに、スーツを私服に着かえていた。白いセーターにベージュのスカートを履き、紺色のダッフルコートを羽織った。

 デートめいたいでたちの彼女は、群衆にのまれた。しかし、だんだんと薄暗い路地に入るにしたがって浮いてきた。パンキッシュな若者やグランジを気取る壮年の人々は、その退廃的な態度とはうらはらに、仲睦まじげで浮かれてみえた。

 とあるビルの前で立ち止まる。雨に濡れないように、ひさしの下に黒板が置かれていた。日曜日の出演バンドが書かれている。バンド名を確認して階段を下りた。


「こんちわ」と、愛想のよい金髪の青年が受付をしている。


「こんにちは」

 と返し、チケット代の三千円をトレイにのせる。ドリンク代込みで、五百円のおつりをもらう。


「……おねーさん、はじめて?」


「え?」


「たっつんの彼女だよね?」


 青年は、にこにこしながら頬杖をついた。ナオコは苦笑して首を横にふった。なんらかの事情を察したのか、彼は肩をすくめて「扉、しっかり閉めてね」と一言つげ、チケットを渡してくれた。


「どうも」


 観音開きの扉に手をかけると、不思議と胸が高鳴った。

 一枚目の扉をあけ、中に入る。地響きがする。黄色い悲鳴と、くぐもった歌声が聞こえる。二枚目の扉をあけると、レーザービームのような白い光が暗闇を貫いていた。

 ステージの上に、四人の男女が立っていた。ちょうど曲が終わったのか、興奮冷めやらぬ様子の観客が口々にメンバーの名前を呼んでいる。

 ナオコは、会場の後方に立ってステージを眺めた。


「メリークリスマス!」とボーカルが告げると、酔っ払いの客が馬鹿声で「めりーくりすます!」とかえす。

 高い笑い声とよろめき。客がざわつく。


 ボーカルの男性は、汗をぬぐって、

「まだクリスマスじゃないけどね」と笑った。


「でもどうせみんな、明日も明後日も独りなんだろ?」

 冗談めかして言うと、

「おまえもだろ!」と、客がふざけて叫んだ。


 ボーカルの青年は笑いながら、隣でチューニングをしていたギターの男性と顔を見合わせた。


「そうだけどさあ。あ、でも絶賛彼女募集中なので。今日からなってくれる人がいるなら、明日は一緒に過ごしましょ」


 笑いをさらって、一息つく。「たっつん、腕、大丈夫―?」と女性ファンらしき声がした。ナオコは、彼の右肩に視線をむけた。


「大丈夫だよ!」と彼は袖をめくって見せた。引きつれたような傷跡がのぞいた。


「名誉の勲章なので、みんなでたっつんを称えてくださーい」と、ギターがうそぶく。

 笑いがさざめきを生み、ついで、次の曲に入った。


 ナオコは、じっと真ん中の青年をみつめていた。彼は客席を見たりバンドメンバーをふりかえったりしながら、楽しそうに歌っていた。

 一時間後、彼らの出番が終わった。ナオコはすぐに会場を出た。すると階段脇の控室から、ちょうどメンバーたちが引き上げるところだった。彼女は顔をあげないまま、階段に足をかけた。


「あ、ちょっと」と、声がかかる。ドラムを叩いていた小柄な女性が、ナオコを見上げていた。

「あなた、えっと」


 他のメンバーは怪訝そうにナオコをまじまじと見て「ああ」と、得心した。

「たっつんの」


「うん、えーと、中村さんだよね? 来てくれたんだ」


「美奈ちゃん、知り合い?」と、ボーカルの青年が話しかけた。


 メンバーが目を丸くした。ナオコが瞬時に口をはさんだ。


「歌、すごくよかったです」

 感想を言うにしては、鋭すぎる声だった。鶴の一声のようなナオコの言葉に、彼らはびっくりしていた。

「すごく……うん、よかった」


 ナオコは、それ以外に言葉が見つからないもどかしさに、こぶしを握った。こちらを怪訝そうに見る気配に冷や汗がでる。

 意を決して顔をあげる。ボーカルの青年は、その誠実そうな面立ちを疑問でいろどっていた。


「その、勇気づけられました。背中を押されるっていうか……応援しているので、これからも頑張ってくださいね」


 ナオコは笑った。すると青年は一気に顔を赤らめて「それは、どうも……」と、頭をかいた。


 他のメンバーは、頭上に疑問符を浮かべていたが、口をはさまなかった。


「また、よかったら来てください」


 ステージ上の勢いはどこえやら、彼は頭をかいて、ナオコに微笑みかけた。

「もちろん」と、ナオコはうなずいて、軽く会釈をした。そして今度こそ、階段をあがっていった。


 背後から、こそこそ話す声がした。おい、たっつん。どういうことなんだ。え、なに? あの子、おまえの知り合いっつーか。もうタケちゃん無粋だよ。やめよ。やめよ。てか寒いから、早く中入ろうよ。


 ナオコは一回だけ、ふりかえった。

 彼はこちらを見上げていた。目があうと、ちょっとだけ笑う。ナオコは胸をおさえて、息をつまらせた。深呼吸をして「ありがとう」とつぶやく。届いているかは分からない。ただ、言わなければならない言葉だった。

 青年は、一瞬はっとして、そして以前と同じ優しいほほえみをうかべた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ