表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
鏡の国のバカ
157/173

ほどなく鈍感であれ

 ケビンはナオコの態度にためいきをついて、人差し指をつきたてた。


「おまえら、噂になってるからな? 兄妹なら兄妹、恋人なら恋人でちゃんとしてくれよ。こっちの気がもたねえ」


 ここ五日間、山田とナオコの関係は、奇妙そのものだった。昨日の朝の出来事を思い返す。オフィスで、ちょうど山田と鉢合わせた。


「山田さん、顔色悪いですよ。ご飯食べてます?」と声をかけると「君こそ」と、いつもの通り心配をはねのけられ、逆に調子を案じられた。「すこし痩せたんじゃないか」


 そこまでは良かった。そこまでは。ナオコは遠い目をした。

 彼の指先が、ふいっとナオコの頬に触れた。ちょうどトレーニングルームから帰ってきた同僚が横を通りすぎた。


「もう少し丸くなっても、可愛いと思うが」


 同僚が青ざめた。宇宙人でも観たように目を白黒させて、書類をつんだラックに衝突する。周囲のデスクを利用していた仲間たちの文句が聞こえた。

 ナオコは口をぱくぱくさせた。


「ええと」まごついてから、息をつく。

「少しは休憩してくださいね」


「ああ、ありがとう」


 そのまま何事もなかったように、彼は立ち去った。残ったのは、好奇心と野次馬根性に満ちた同僚の視線だけである。

 それだけではなかった。廊下や玄関、オフィスで会うたびに、気に留められていると分かった。顔つきが以前と圧倒的に違うのも原因だ。ぴんと張り詰めた表情を崩さなかったのが、人前でも優しく笑うようになった。


「中村がパワハラに耐えかねて、懐柔する呪いをかけたんだって言ってる奴がいたが、まじでソレを笑えないレベルだからな」


 ケビンはうんざりしたように言った。


「そんな呪いがあるなら、とっくのとうに使ってるよ。それに懐柔したんじゃなくて……」


 肩を落とす彼女に、ケビンは同情と苦節のまじった視線をむける。


「タッカーには、あんな感じだったわけだが。しかしクソシスコン野郎だってことには、変わりなかったってわけだ」と言って、目を回した。

「しかも肝心の妹は、それが嬉しくないと」


「……」


「まあ、分かるけどよ」


 ケビンはがしがしと頭をかいた。


「今までアイツがお前にしてきたこと、全部おまえが妹だからの一つで片付けられんのかっつー話だよな」


「同じ男として、どう思うの?」と、ナオコは前のめりになってたずねた。


「あー」あごをかいて、視線を泳がす。

「わからん。おまえらみたいな特殊な状況下になったことがねぇ。だいいち俺は兄弟いないしな」


 ナオコはしゅんとして、

「……山田さんは、きっとこれまで、すごく気を張り詰めて生きてきたんだろうなぁって思うの」

 と話しだした。


「あの人だけ、すべてを忘れないで生きてきたんだよ。だから今、同じ場所にわたしが来て、記憶を共有することが、どれだけ懐かしいものなのか想像がつかないんだよね」


 それは、いつだったかリリーに対して思った、傷の共有に通じることだった。

 

 ナオコは、キャロルの考えに基づいて、記憶を消して現実世界に戻された。

 マルコは、HRAに捕まったが、彼が〈鏡の国〉の意志であることを案じて記憶を消され、アルフレッドの元に預けられた。

 山田だけが、すべてを覚えたまま生きることを強いられたのだ。心を折るために、あえて残された記憶だった。


「まあ山田が、おまえを死ぬほど大切にする気持ちは理解できる」

 と、ケビンが話しだした。

「だが、それで中村の気持ちを無視できるのかっつーのは、俺にはわからない」


 ナオコは、今年の夏の出来事を思いだした。山手線にて、山田と横並びにすわり、なんてことのない会話をした。恋愛なんて無意味であると彼は話した。

 知らず知らずのうちに、唇を噛んでいた。彼にとって自分の気持ちは、ひどく軽薄なものだ。そしてそれを否定する材料は、ナオコにはなかった。彼の愛情をねじ伏せる身勝手なものではないと、どうして言えるだろう。


「……あんま落ちこむんじゃねえよ」

 と、ケビンが気づかわしげに言った。

「ひとつ言えるのは。そうだな……男なんて、たいして分かっちゃいねえっつうことだ」


「どういうこと?」


「由紀恵の口癖だが」

 と、前置きして目をほそめる。ナオコは、彼の記憶にも懐かしいほほえみがあるのかもしれないと思った。

「男ってのは、おまえら女が思うよりも、遥かに鈍感なんだとよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ