1993年12月28日~1998年3月15日
1993年 12月28日
さんざん悩んだすえに、祖母の名を頂くことにした。彼女は私の最も尊敬する人物だ。老体をひきずって私を育ててくれた。
これからこの子は、山田奈保子だ。「奈」はカリンを表す。ずっと豊かに幸福に暮らしてほしい。私も秀介も苦労してきたから、できれば彼女にはそういう気苦労はしないで、普通の女の子として幸福に暮らしてほしい。
少なくともこの場所なら、それが叶う。
1993年 12月31日
鏡の国の研究について手が止まっていたが、予想以上にこの場所が不可解であると本日判明した。
昼間、リビングで志保が奇妙な行動を始めた。窓ガラスの前に立ったかと思うと、自分の鏡像に向かって話しかけはじめたのだ。新しい遊びかと思ったが、違った。
窓ガラスの中から子どもが出てきた。志保の鏡像が、肉体をもって登場したのだ。
信じられない。たまげた。私の論理思考力では、もはやこの事象に説明はつけられないため、秀介に投げた。とりあえず奈保子を寝かせないといけないし。
1994年 1月2日
鏡の中の少年は、自分が何者か分からなかった。
秀介の仮説を書きおいてみる。
鏡の国は現実世界のバックアップである。よって失われた文明をコピーする特質をもつ。
今回の事件は、そのコピー能力の発現である。なぜ今になって志保をコピーしたのか。この理由に関しては、奈保子の誕生が契機になっている可能性がある、と秀介は言った。つまり新しい生命の誕生によって、この場所でも「命」が産まれる可能性があると表明したのだろう、と。
観念的な話にすぎて、私には理解が及ばない。しかし秀介の理論には、納得いく部分もある。
鏡の中の少年が、志保と同様の聡明さや運動能力を保持していることだ。彼らは人間よりも優れた種である。それをコピーするということは、文明と種の発展に寄与するかもしれないとも思う。
しかし、私たちに出来ることはない。元の場所に戻るなど、すでに思考の外だ。
戻ったならば、きっと志保も奈保子も取り上げられてしまう。HRAはそういう機関だ。新たな研究対象として無事ではいられまい。
この国が、私たちを守護してくれることを祈るしかない。
1994年 1月5日
まるこまるこ、と志保が呼んでいるので、不可思議だったのだが、食客となっていた鏡の中の少年をそう呼んでいるらしい。
なんでも少年に親の居場所を聞くと「丸かった」と説明するそうだ。丸の子どもで、丸子らしい。
小さい子どもを放置するわけにもいかないため、その丸子も家で世話することにした。彼は性格までも志保に瓜二つだった。聡明で優しい。
彼が来て、逆に志保は変わったかもしれない。急に兄妹が二人もできて態度がしっかりとした気がする。長子は赤ちゃん返りすると聞くが、まだ発現していない。むしろ自分から構いたがっている。自分が兄であることにこだわりがあるようだ。子どもというのは、よく分からない。
今さっきリビングに戻ったら、二人して団子になって寝ていた。かわいかった。秀介が扉の影からぼーっと眺める気持ちが分かる。彼ら二人は天使のようだ。
1998年3月15日
朝、起き抜けに奈保子が大泣きしていた。なに事かと思ったら、志保が服を破いたとのこと。あわいピンクのセーターだ。志保と丸子の物が、どっちがどっちか判別つかないので、名前を書くように教えていたのだが、それを奈保子にもするよう言ったらしい。
そうしたら、彼女が自分の持ち物にペンを入れることを拒否したため、思いきり引っ張っての惨状だ。
志保にいたっては、もうダメだ。秀介の癖が移った。おろおろ謝るばかりである。
丸子はそれが面白くてならないのか、延々と志保を責めている。
同じ親に育てられたにも関わらず、どうしてこうも性格が違うのか。不思議だ。
奈保子はここ最近、ずいぶんとわがままになった。まあ女の子とはこういうものかもしれないが、たまに頭痛がする。それもこれも男三人が、全力をもって甘やかすのが原因だ。
志保はしっかり者になったが、秀介に似てしまった。おとなしくて、すぐ奈保子と丸子に合わせる。それも我慢しているのではなく喜んでそうしている。
丸子は私に似ている。驚きだ。彼と話をしていると、まだ七歳だというのに、ずいぶんと大人びた口ぶりで話す。少し冷めた部分があり、幼少期の私に似ている。
ピンクのセーター事件に関しては、無事解決。
引っ張ったあかつきに解れただけだ。繕ってやると奈保子は大喜びした。ここ数年で繕いものもうまくなってしまった。
奈保子が素直であるのは、かわいい。これは秀介にも私にも似ていない美徳だ。志保にも丸子にも似ていない。おそらく皆から愛されて、生まれたものなのだろう。
彼女が幸せなら、いいと思う。