Whatever next?
「どうしてわたしにじゅうをむけるの?」
と、由紀恵が一歩すすんだ。
「あのなあ」
ケビンは、銃口の先をにらみながら、口をひらく。
「おめーは、由紀恵のことをなんにも知らねえ。あいつは、俺を恋しく思ったりしない」
凶暴な笑顔がうかぶ。
「それに、抱きしめてなんてヤワなこと言う女でもねえんだよ!」
銃声が鳴りひびく。
由紀恵は、間一髪で床にころがり、すばやく立ちあがった。悲しそうに顔をゆがませて、
「ケビン、どうして?」と、たずねる。
「どうしてだぁ? そりゃ、こっちのセリフだ。てめえ、異常種だろう。わかってんだよ!」
続けて二発、高らかに銃声は鳴る。彼女は尋常ではない速さで攻撃をよけた。地面に手をついたはずみで高く飛びあがり、階段の手すりに着地する。ケビンは眉をひそめた。まるで猿のような動きだ。
由紀恵の表情は、目元に憂いを帯びていたが、口許はいじわるそうに歪んでいた。やがて目元も、すうっと弧を描く。
「バカはバカらしくしていればいいものを」
由紀恵の顔が、どんどん縮んでいく。大人びた目つきは、丸く愛らしいものに。薄い唇は、可憐な膨らみをもったピンク色に染まっていく。
「アメリカでチンピラもどきをしていたと聞きましたけど、このぶんでは嘘ですね。鍵をスられたことにも気づかないなんて、ヤンキーの称号が泣きます」
リリーは、手すりのうえでケビンを見下していた。片足立ちで器用にバランスをとり、なにかを投げる。ちゃりん、と足元に車の鍵が落ちた。
「タッカー……おめぇ、どういうことだ」
ケビンは敵意に目をすぼませながら、銃をかまえなおした。
「〈虚像〉間の変体は、比較的容易なんです。精神って、やわらかい素材なんですよ? ふふ」
「はあ?」
「あ、こんなこと言っても、わからないですよね? わたくし、ずっと思っていました。相浦さんみたいな筋肉以外に取り柄のないような人こそ、さっさと兵士として仲間にいれるべきだと」
口もとに手をあてて、くすくすと笑う。
「無益ですから。ま、そのつもりであの人も、中村ナオコだけじゃなくて、アナタをここへ呼んだんでしょうけど」
「……ブージャムっつうのは、アメーバみたいにぐにゃぐにゃ形が変えられるんだな。気持ちわりい」
銃声が鳴る。リリーは身体をひらめかせ、下に降りた。「野蛮です」と、冷ややかな笑いをうかべる。
「ま、いいですけど。ねえ、アナタ、この由紀恵って女の人が好きだったんでしょう」
ケビンの目つきが変わる。
「それなら、おとなしく殺されるべきです。そうすれば……」
言葉の途中で、ケビンが駆け出す。切っ先がリリーの頬をかすめた。彼女は横に飛び、右手にナイフを出現させた。
「てめえに、あいつの、話をされる覚えはねえ!」
怒鳴り声と共に、一発弾が飛んでいく。階段のすみが、衝撃ではじけとぶ。頭上からナイフが飛んできた。ケビンは後ろにひいて、銃を天井へとむけた。
感情を失ったような真顔と、視線があう。天使のようなほほえみが、不気味に広がる。嫌な予感がして、後ろにころがる。左手に鋭い痛みが走った。ナイフが、雨のように降りそそぐ。床に突き刺さった刃物の海のなかに彼女は着地し、慈母のような優しい声をだした。
「話を聞きなさい。殺されて〈鏡の国〉に行けば、大好きな由紀恵さんに会えるんです」
「はあ? なに言ってんだ」
ケビンは左手の傷をちらりと見て舌打ちし、すぐに一発撃った。彼女は、ぎょっとして右に飛んだ。黒い髪が宙に散らばる。体制をもどした彼女の笑顔は、引きつっていた。
「ほんっとうに野蛮ですね……!」
「おーおー、うるせぇよ。悪役がべらべら喋んじゃねえ」
話を聞くつもりは、毛頭なかった。敵にたいしてのうっとうしい怒りだけが、脳内を沸騰させている。リリーが消えた。わずかな風切り音にふりむいて、銃を盾にすると、ナイフがグリップに刺さる。
肉薄する少女の目に、異様な輝きがあった。
「クスリでもキめたのか?」と、銃を再出現させる。
「日本じゃ違法だぞ」
刃が交錯する。獣のようなうめき声が、彼の喉からもれて、にやりと笑った。
「わかるんだよな、ロシアの勘がそう言ってる」
「あなたは、アメリカ人でしょう!」
肉薄した切っ先同士が交わる。
ケビンの顔が固まる。これほど華奢な少女の刃先が、びくりとも押し負けないのだ。彼女は勝ちほこった顔をした。刃がはじかれる。後退しようとした彼の脇腹を、ナイフが狙う。
リリーの顔から、嘲笑が消えた。か細い腕から、花火のように血が吹きでる。
ケビンはたたらを踏んで、ふりかえった。彼女は、自分の腕に刺さった青い柄のナイフをみて、ついで、頭上に視線をなげた。薄茶色の瞳に、一瞬だけ光がやどる。
「シホ」
少女の首筋に、ナイフがずぶりと刺さった。血液が細い線となって肌を伝う。「あ」と声をもらし、ゆっくりと柄をつかむ。彼女の背後に、黒いスーツが降り立った。背中を蹴る勢いでナイフを抜くと、力のぬけた肢体が地面に崩れおちる。
山田志保は、獲物から血をふり払った。じろりと少女を見下してから、ケビンに視線をうつす。
「お、おまえ」ケビンは仰天して、青年と少女を見比べた。肢体は何回か跳ねたあと、静かになる。
「……ころ、殺したのか」
「殺していない」
ケビンは、目をまるくした。死体がみるみるうちに、白い灰へと変わっていく。
空に消えていく肉体を後目に「ついてこい」と、山田が歩きだす。
「ちょい待て、待てよ! このバカ、ちゃんと説明しろ!」
ケビンが山田の肩をつかんだ。
しかし彼は手をふりはらうと「時間がないんだ」と、にらみつけた。「説明は歩きながらするから、着いてこい。そいつは再生する。さっさと行かないと……」
「は、はあ? 再生する? 意味がわからん」
「ここはキャロルの管轄だ。彼が生かしたいものが生き、死にたいものが死ぬ。その体を大切にしたいのなら、黙っていろ」
山田は大股で歩きはじめた。向かう先は、五階のロビーだった。
「キャロルって……」ケビンは、目をまるくした。
「まず、言っておく。ここは〈鏡面〉とは違う。ここで死んだ〈芋虫〉は〈虚像〉になる」
「は?」
ケビンは、ぽかんと口をあけた。
「新型の精神分離機は、〈芋虫〉の精神を純化する。これまで異常種に殺させることで強制的に離別させていた精神を、より簡単に切り離せるようになったんだ。わかるか?」
「いや、ぜんぜんわからん。つうか、異常種って」
「異常種は〈鏡面〉で死んだ〈芋虫〉の成れの果てだ。彼らは〈鏡の国〉の兵士であり、精神分離機によって分離した精神をもって、新しい仲間を作るために〈芋虫〉を殺してきた」
ケビンは、思わず足を止めた。
「ちょ、ちょっと待てよ。つうことは、俺たちは、いままで仲間と戦っていたのか?」
山田は、足を止めなかった。ケビンは慌てて後をおった。
「おい!」
「そうだ。だから、ブージャムが隠れて処理をすることになっていた。異常種はそうなった瞬間から〈鏡の国〉の意志に呑まれる……さっきのリリーみたいにな」
ケビンは、すっかり混乱していた。できれば立ち止まってじっくり話を聞きたかったが、山田はなにを焦っているのか、廊下を早足で進んでいく。
「わかった、とりあえず詳しいことは後にして、俺はどうすりゃいいんだ?」
五階にたどり着いた。廊下の最奥、大きな自動ドアの前に立つ。ガラスの向こう側に、動物を囲う檻のようにフェンスが並んでいる。ケビンは、首筋に寒気をおぼえた。空が奇妙に輝いて見えたのだ。
「とりあえず、死ぬな」と、山田が告げる。
扉が開く。