表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れる男の夢
140/173

Whatever next?

「どうしてわたしにじゅうをむけるの?」

 と、由紀恵が一歩すすんだ。


「あのなあ」


 ケビンは、銃口の先をにらみながら、口をひらく。


「おめーは、由紀恵のことをなんにも知らねえ。あいつは、俺を恋しく思ったりしない」


 凶暴な笑顔がうかぶ。


「それに、抱きしめてなんてヤワなこと言う女でもねえんだよ!」


 銃声が鳴りひびく。

 由紀恵は、間一髪で床にころがり、すばやく立ちあがった。悲しそうに顔をゆがませて、

「ケビン、どうして?」と、たずねる。


「どうしてだぁ? そりゃ、こっちのセリフだ。てめえ、異常種だろう。わかってんだよ!」


 続けて二発、高らかに銃声は鳴る。彼女は尋常ではない速さで攻撃をよけた。地面に手をついたはずみで高く飛びあがり、階段の手すりに着地する。ケビンは眉をひそめた。まるで猿のような動きだ。

 由紀恵の表情は、目元に憂いを帯びていたが、口許はいじわるそうに歪んでいた。やがて目元も、すうっと弧を描く。


「バカはバカらしくしていればいいものを」


 由紀恵の顔が、どんどん縮んでいく。大人びた目つきは、丸く愛らしいものに。薄い唇は、可憐な膨らみをもったピンク色に染まっていく。


「アメリカでチンピラもどきをしていたと聞きましたけど、このぶんでは嘘ですね。鍵をスられたことにも気づかないなんて、ヤンキーの称号が泣きます」


 リリーは、手すりのうえでケビンを見下していた。片足立ちで器用にバランスをとり、なにかを投げる。ちゃりん、と足元に車の鍵が落ちた。


「タッカー……おめぇ、どういうことだ」


 ケビンは敵意に目をすぼませながら、銃をかまえなおした。


「〈虚像〉間の変体は、比較的容易なんです。精神って、やわらかい素材なんですよ? ふふ」


「はあ?」


「あ、こんなこと言っても、わからないですよね? わたくし、ずっと思っていました。相浦さんみたいな筋肉以外に取り柄のないような人こそ、さっさと兵士として仲間にいれるべきだと」


 口もとに手をあてて、くすくすと笑う。


「無益ですから。ま、そのつもりであの人も、中村ナオコだけじゃなくて、アナタをここへ呼んだんでしょうけど」


「……ブージャムっつうのは、アメーバみたいにぐにゃぐにゃ形が変えられるんだな。気持ちわりい」

 

 銃声が鳴る。リリーは身体をひらめかせ、下に降りた。「野蛮です」と、冷ややかな笑いをうかべる。


「ま、いいですけど。ねえ、アナタ、この由紀恵って女の人が好きだったんでしょう」


 ケビンの目つきが変わる。


「それなら、おとなしく殺されるべきです。そうすれば……」


 言葉の途中で、ケビンが駆け出す。切っ先がリリーの頬をかすめた。彼女は横に飛び、右手にナイフを出現させた。


「てめえに、あいつの、話をされる覚えはねえ!」


 怒鳴り声と共に、一発弾が飛んでいく。階段のすみが、衝撃ではじけとぶ。頭上からナイフが飛んできた。ケビンは後ろにひいて、銃を天井へとむけた。

 感情を失ったような真顔と、視線があう。天使のようなほほえみが、不気味に広がる。嫌な予感がして、後ろにころがる。左手に鋭い痛みが走った。ナイフが、雨のように降りそそぐ。床に突き刺さった刃物の海のなかに彼女は着地し、慈母のような優しい声をだした。


「話を聞きなさい。殺されて〈鏡の国〉に行けば、大好きな由紀恵さんに会えるんです」


「はあ? なに言ってんだ」


 ケビンは左手の傷をちらりと見て舌打ちし、すぐに一発撃った。彼女は、ぎょっとして右に飛んだ。黒い髪が宙に散らばる。体制をもどした彼女の笑顔は、引きつっていた。


「ほんっとうに野蛮ですね……!」


「おーおー、うるせぇよ。悪役がべらべら喋んじゃねえ」


 話を聞くつもりは、毛頭なかった。敵にたいしてのうっとうしい怒りだけが、脳内を沸騰させている。リリーが消えた。わずかな風切り音にふりむいて、銃を盾にすると、ナイフがグリップに刺さる。

 肉薄する少女の目に、異様な輝きがあった。


「クスリでもキめたのか?」と、銃を再出現させる。

「日本じゃ違法だぞ」


 刃が交錯する。獣のようなうめき声が、彼の喉からもれて、にやりと笑った。


「わかるんだよな、ロシアの勘がそう言ってる」


「あなたは、アメリカ人でしょう!」


 肉薄した切っ先同士が交わる。

 ケビンの顔が固まる。これほど華奢な少女の刃先が、びくりとも押し負けないのだ。彼女は勝ちほこった顔をした。刃がはじかれる。後退しようとした彼の脇腹を、ナイフが狙う。

 リリーの顔から、嘲笑が消えた。か細い腕から、花火のように血が吹きでる。


 ケビンはたたらを踏んで、ふりかえった。彼女は、自分の腕に刺さった青い柄のナイフをみて、ついで、頭上に視線をなげた。薄茶色の瞳に、一瞬だけ光がやどる。


「シホ」


 少女の首筋に、ナイフがずぶりと刺さった。血液が細い線となって肌を伝う。「あ」と声をもらし、ゆっくりと柄をつかむ。彼女の背後に、黒いスーツが降り立った。背中を蹴る勢いでナイフを抜くと、力のぬけた肢体が地面に崩れおちる。

 山田志保は、獲物から血をふり払った。じろりと少女を見下してから、ケビンに視線をうつす。


「お、おまえ」ケビンは仰天して、青年と少女を見比べた。肢体は何回か跳ねたあと、静かになる。

「……ころ、殺したのか」


「殺していない」


 ケビンは、目をまるくした。死体がみるみるうちに、白い灰へと変わっていく。

 空に消えていく肉体を後目に「ついてこい」と、山田が歩きだす。


「ちょい待て、待てよ! このバカ、ちゃんと説明しろ!」


 ケビンが山田の肩をつかんだ。

 しかし彼は手をふりはらうと「時間がないんだ」と、にらみつけた。「説明は歩きながらするから、着いてこい。そいつは再生する。さっさと行かないと……」


「は、はあ? 再生する? 意味がわからん」


「ここはキャロルの管轄だ。彼が生かしたいものが生き、死にたいものが死ぬ。その体を大切にしたいのなら、黙っていろ」


 山田は大股で歩きはじめた。向かう先は、五階のロビーだった。


「キャロルって……」ケビンは、目をまるくした。


「まず、言っておく。ここは〈鏡面〉とは違う。ここで死んだ〈芋虫〉は〈虚像〉になる」


「は?」


 ケビンは、ぽかんと口をあけた。


「新型の精神分離機は、〈芋虫〉の精神を純化する。これまで異常種に殺させることで強制的に離別させていた精神を、より簡単に切り離せるようになったんだ。わかるか?」


「いや、ぜんぜんわからん。つうか、異常種って」


「異常種は〈鏡面〉で死んだ〈芋虫〉の成れの果てだ。彼らは〈鏡の国〉の兵士であり、精神分離機によって分離した精神をもって、新しい仲間を作るために〈芋虫〉を殺してきた」


 ケビンは、思わず足を止めた。


「ちょ、ちょっと待てよ。つうことは、俺たちは、いままで仲間と戦っていたのか?」


 山田は、足を止めなかった。ケビンは慌てて後をおった。


「おい!」


「そうだ。だから、ブージャムが隠れて処理をすることになっていた。異常種は()()()()()()()()()〈鏡の国〉の意志に呑まれる……さっきのリリーみたいにな」


 ケビンは、すっかり混乱していた。できれば立ち止まってじっくり話を聞きたかったが、山田はなにを焦っているのか、廊下を早足で進んでいく。


「わかった、とりあえず詳しいことは後にして、俺はどうすりゃいいんだ?」


 五階にたどり着いた。廊下の最奥、大きな自動ドアの前に立つ。ガラスの向こう側に、動物を囲う檻のようにフェンスが並んでいる。ケビンは、首筋に寒気をおぼえた。空が奇妙に輝いて見えたのだ。


「とりあえず、死ぬな」と、山田が告げる。


 扉が開く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ