Whatever
「あいつら、どこに行ったんだ」
相浦ケビンは、到着ロビーの真っただ中に立ちすくんで、呆然とつぶやいた。黒いスーツを着こんだガタイの良い外国人を、人々は怯えの目で避けた。どう見ても怪しい組織の一員に思えるからだ。
髪をがしがしとかいて、舌打ちをする。階段のそばで直立している警備員から、いぶかしげに思われていると気づき、ためいきをつく。
あの後、ケビンは駐車場まで戻り、鍵をさがした。
しかし、どこにも見当たらない。車内にあるだろうかと思って、窓から運転席をのぞいてみても、影も形もない。社用車を置いて帰るわけにもいかないので、業者を呼ぼうと思ったのだが、その前にマルコへ電話をかけた。
しかし、携帯はつながらなかった。
早々に機内モードにしてしまったのだろうか、と考えてから、ケビンは内心で首を横にふった。マルコは経営者らしい性質で、かかってきた電話には即様出るタイプの人間だ。
――――これは、なにかあったな。
長年にわたる裏家業暮らしがもたらした第六感が、そう直感した。
業者を呼ぶのは一旦やめて、電話をかけつづけながら早足で到着ロビーへ戻った。マルコと一緒にいるはずの中村ナオコもリリー・タッカーも、電話に出ないのだ。コールが鳴りやまないほどに、嫌な予感は増すばかりだった。
ケビンは、もう一度電話をかけてから、役に立たないそれをポケットにしまった。トラブルに巻きこまれたのかもしれない、と考える。だが、この平和な日本で想定できるトラブルなんて、それこそ車の鍵をなくしたとか、その程度の些末なことだ。
とりあえず合流したかったが、困ったことに土地勘がなかった。ケビンはロビーの中央に堂々と鎮座する案内板を前にして、途方にくれた。
アメリカに居たころこそ、あまり表沙汰にできない仕事で海外に出ていたが、日本に来てからは、旅行さえ行っていない。成田空港も、ほとんど利用したことがなかった。
彼は苛々しながら、三人が居そうな場所を考えた。
リリー・タッカーはともかくとして、あとの二人はのんきな性質だ。時間があれば、ゆっくり茶をしばこうと思いたつかもしれない。そんな状況であれば、電話に出てくれてもよさそうだが、ここでじっとしていてもしかたがない。
彼は、レストラン街へ向かおうと、一歩ふみだした。ぞくり、と背筋を、得体のしれないものが走った。
きゅっ、と軽い音をたてて、スニーカーが立ち止まる。
「……は?」
あぜんとして、周囲をみわたす。
空港が、からっぽになっていた。
すぐそばをカルガモのように歩いていた大家族も、巨大なスーツケースを引きずっていた中国人バイヤーも、ソファの上でうたたねをしている日本人も、エスカレーターのそばに姿勢よく立っていた案内係も、誰もいない。
だだっ広いロビーに、意味のない文字列が並ぶ電子掲示板だけが光っている。
ケビンは、ごくりと喉をならした。ここが〈鏡面〉の中である、とは理解していた。
「おいおい」と、ひきつった笑いをうかべて、携帯をとりだす。保全部のミスだろう、と考えたのだ。しかし画面をみて、笑顔すらも浮かばなくなった。圏外表示になっている。
こんなことは、初めてだった。〈鏡面〉は保全部の管轄であり、彼らにだけは携帯がつながるはずだ。
「クソっ」
彼は悪態をついて、武器を出現させた。〈鏡面〉の中である以上、〈虚像〉が出現するリスクがある。
モシンナガンM1938のグリップをにぎると、動揺が少しおちついた。木造の確固たる掴み心地をかんじながら、深呼吸をする。
「ケビン?」
反射的に、銃口を声へと向ける。言葉がなくなった。
普段は歩行者によって隠されている青みがかったタイルは、湖のように見えた。その水面のまんなかに、誰かが、ひとりぼっちの幽霊のように立っている。
「ゆきえ」
呼びかけは、ぽろりと口から落ちた。
黒々とした長い髪や、華奢な輪郭を遠目にみて、ケビンは震えるほどのなつかしさを覚えた。新藤由紀恵、その人だった。彼女は最期のときと同じく黒いスーツを着ていた。
「ケビン」
耳に慣れた、溶ける寸前の雪のような声が呼ぶ。
「こっちにきて」
彼は銃口をおろして、よろよろと歩いた。近づけば近づくほど、まぎれもなく、彼女だった。やわらかな体の線、ほそい首筋、瞳は慈愛にみちて、うるんでいた。
彼女は、静かにほほえみ両手をひろげた。
「ケビン、あなたが恋しかった……」
ケビンは、釘で打ちつけられたように、動かなくなった。
「おまえ」
「ねえ、早くだきしめて」
甘い声色だった。彼はかぶりをふり、銃のグリップを強くつかみなおした。肩に銃床をのせ、騎兵銃の鋭い剣先をむける。
にぶく光る切っ先をみつめて、彼女は不思議そうに首をかしげた。