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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れる男の夢
137/173

とある恋人の物語

「太陽は、核戦争から文明を救うシナリオとして()()()()()()()()の作成を提案した。

 つまり、ワシントンDCも、モスクワも、ロンドンも、パリも、北京も、上海も、シンガポールも、東京も、ぜんぶぜんぶ灰になって、世界が再生不可能になったときに備えて、文明のバックアップをとろうと考えたわけだ。

 太陽は、その偉大で恐ろしい作戦の手足として……つまり、あらたに作りあげる世界との橋渡しとして、青年を選んだんだ。


 彼は、おののいた。まさしく、神の所業の手伝いをしろって言うんだからね。

 だが、同意した。これこそが、自分の使命だと思ったんだ。彼は正義感が強かったし、世界の行方を憂いてもいた。


 それから、太陽に()()を教える日々がつづいた。太陽はどこにでも現れた。夢のなかでも、職場でも、どこにでも存在して、どこにも存在しなかった。

 まるで、神様に、地球のすべてを一から教えなおしているみたいだった。そう、彼は日記に書いていた。


 そのうち彼は、その太陽が、ただの概念ではないと気づいた。好奇心のようなものを持っていたんだ。心は無いはずだった。だけれども、たしかにその太陽は、ときどき人間の反応を真似するんだ。笑うし、からかうし、怒る。

 彼は、偉大な何者かに、名前をつけた。

 世界に訪れた祝福、聖なる歌をかさねて、キャロルと名づけた」




 ナオコは、息をのんだ。

 青年はにこりと笑い、つづきを話しだした。




「そして、運命の日。1962年、10月28日。新しい世界は、もうあらかた完成していた。

 だけど、事態は予測のつかない方向へと転がった。


 フルシチョフ首相が、モスクワ放送でミサイル撤去を発表したんだ。


 青年は、ラジオを前に愕然としていた。アパートの外は、喜んで抱きあう人々であふれかえっていた。アメリカも、ロシアも、世界中のどこもかしこも胸をなでおろしていた。

 彼だけが、ひどいショックを受けていた。

 そして、その日の夢にキャロルは現れた。


「どういうことなんだ」と、彼は狼狽してたずねた。


 すると、太陽は答えた。


「予測しまちがえた」って」




「は?」ナオコは、口を半開きにした。


 カチャカチャと、皿のぶつかる音がしている。電話を終えた、隣席のサラリーマンは、疲れきっているのか椅子にもたれて、うとうとしている。後ろの席の女性客は、本をめくるのに飽きて、携帯を眺めている。

 マルコは、飲み物をすすって、苦笑した。


「世界は核の炎にのまれる予定だった。だからキャロルは、地球の文明を救おうと、新しくバックアップをとった。でも人類は、予想以上に過去から学んでいた。またバカみたいなドンパチをして、自分たちごとダメにすることはなかった」


 肩をすくめる。


「これが、亡くなった恋人の正体だよ」


 ナオコは、十一月のはじめに、彼から渡された新聞の記事を思いだした。豆粒のような文字の横に殴り書きされた『われわれは、恋人の死を悼む』。


「恋人っていうのは……不要になった世界のこと、ですか」

 

「そういうこと」と、うっすら笑う。


「キューバ危機が()()()()()()()せいで、新しい世界は、用済みになった。

 彼は、とても落ちこんだ。自分がやってきたことは、なんだったんだって思った。

 でも、すぐに思いなおした。だって、バックアップは使うハメにならない方がいいでしょ。できれば、オリジナルのままでいきたいよね」


 彼は、ケラケラ笑いながら「でも」と、つづけた。


「問題が発生した。そのバックアップが、想像以上に優秀だったんだ」




「それから22年後、1984年。青年は53歳になっていた。もう立派な大人で、あの日のことを夢のように思っていた。

 暖かい南極で、遠い宇宙の果てから来た、美しい太陽と会話した記憶。そんなものは忙しい日々に埋もれていた。

 彼はアメリカ航空開発局に所属する活動銀河核研究の第一人者として、観測と実験に明け暮れていた。ロサンゼルスオリンピックに浮かれる民衆を横目でみながら、彼はいつも通りの日々を送っていた。


 しかし、ある日、とんでもないことが起こった。

 ウェスト・ロサンゼルスで開催された、女子マラソンの沿道で、かつて自分が観測した波長と同じエネルギーを発見したんだ。そのエネルギーは、小さな女の子の形をしていた。


 大騒ぎになった。アメリカのCIAだNSAだかが総出動して、事件を隠した。

 なにが起こったのか、彼だけが理解していた。

 バックアップが、稼働していたんだ。

 滅ぶはずだった世界は、滅ばなかった。だけど、毎日人は死ぬ。当たり前のことだ。肉体が滅んで自由になった精神のエネルギーは、これまでだったら、どこかに消えるだけだった。

 でも、彼とキャロルが行き場を作ってしまった。死んだ魂の行き場所として、バックアップは、機能を果たしてしまったんだ。

 そして、バックアップから、今度は逆流入が始まろうとしていた。


 その夜、彼は久しぶりに夢を見た。

 美しい太陽は、あいかわらず美しいままだった。


「このままではエネルギーが飽和する」と、キャロルは言った。


 バックアップとオリジナルを、精神エネルギー、つまり魂が行き来する。永遠に循環して、消滅しないんだ。そうすると、やがて宇宙の許容量を超過する。

 今度は、核戦争なんて比較にならない終末が訪れる……そうキャロルは説明した。


 彼は、大慌てで、

「その終末を回避するためには、どうすればいい」と、たずねた。


 すると、キャロルは、エネルギーを人工的に消滅させることを提案した。オリジナルとバックアップの間をエネルギーが移動する隙をねらって、消し去るんだ。


 彼は、さっそく動きはじめた。キャロルの力を借りて、ふたつの世界の間にエネルギーの処理場を作りあげた。同時に、こちらの世界では、処理を担当する機関を作った。


 そうして彼は翌年、ロサンゼルスにおいて、相対的別軸対策本部(HRA)を創立した」

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