ナオコちゃんは文章が下手
知らない鳥の声がした。ちちち、と数匹鳴いている。
中村ナオコは、布団のなかでそれを聞いた。掛け布団をめくって、上体をあげる。カーテンの隙間から、あたたかい光がもれていた。
携帯で時間を確認すると、もう九時半だった。集合時間が遅いとはいえ、少し寝すぎた。
ベッドから降り、寝室を出る。あくびをしながら、片手間でテレビを点ける。今日も暗いニュースばかりだった。米中貿易戦争、エルサレムを巡るデモ、EU離脱問題……。
ナオコは、いつもの通りコーヒーメーカーの下にカップを置き、スイッチを押した。ロールパンを袋から出し、少しだけトースターで温める。朝食を皿に乗っけて、ソファにすわった。パンをほおばりながら、厳めしい顔をしたコメンテーターの話を、なんとなく聞いた。
「……世界を動かすのは、正義ではありません。叫びです。悲鳴です。いつも虐げられ、無視されている者たちの声なのです」
暗雲ただよう世界情勢にたいして、彼はそう批判した。
「なるほど。それでは、われわれの正義とはなんなのでしょうか? 弱者の声を聴き、行動することなのでしょうか?」進行役の男性が、たずねる。
すると、コメンテーターは、首を横にふった。
「それは傲慢な考えです。なによりも大切なのは……われわれが、彼らと同じ立場になるのは、時間の問題であると知ることです。いつ何時、今日中にでも、世界が変わるとも分からない。それを心に留めて行動しなければ……」
ナオコは、ふんふんとうなずいた。最もらしいことを言っている気がした。
ソファから立ちあがり、皿を洗う。そのあと、歯を磨いて顔を洗った。そのあと、しばらく本を読んですごした。せっかくブックカバーをもらったので、読書習慣を身につけようと思っていたのだ
十一時になった。支度を整えて、玄関を出る。すぐに、冬の朝がもつ良い匂いがした。生臭さのない、すっきりした空の匂いだ。
すがすがしい青空が見えて、ナオコは目を細めた。なぜか、山田のことを思いだした。昨日、あれほど拒絶されたにもかかわらず、不思議と心はおだやかだった。
エレベーターに乗りこみ、携帯をポケットから出す。
あらかじめ用意していたメールの文章に、ざっと目を通す。
それは昨晩、帰宅してから書いたものだった。たっぷり三十分ほどかけて文章を考えたのだが、すぐには送らなかった。少し時間を置いて、内容を見直したかったのだ。
思えば、彼にメールを送るのは初めてだ。
ひとりで、くすりと笑う。たしか、バディを組んだ当初、メールは嫌いだと念を押されたのだ。せっかちなきらいがあるので、すぐに意思確認がとれる電話を好むのだろう。
送信ボタンに、人差し指をかざす。何回かまばたきをする。エレベーターが、一階についた。光が彼女の顔にふりかかる。ふ、と笑って、ボタンを押す。
メールの内容は、以下の通りだった。
山田さんへ
昨日は、急にお邪魔してすみませんでした。
お話したことは、全部本当です。
山田さんがわたしを信頼してくれていることを、まだ信じています。
(仕事以外では、と言ったことも覚えています)
わたしも、山田さんを信頼しています。
驚かせてしまって、本当にすみませんでした。
どうか、これからもよろしくお願いします。
中村ナオコより