Sic semper tyrannis
「そういうことじゃない。そういうことじゃないんだよ、リリーくん」
彼は、箱を手のなかで弄んで、楽しそうに笑った。
「……どういうことです」
リリーは、嫌そうに質問をした。
しかし返答はなかった。代わりに、
「ねえ、リリーくん。ぼくって、山田くんに似ている?」と別の話題がふられた。
そこで、彼女の目がみひらかれた。青年の背後を見ていた。
「どう?」
催促しても、答えはない。
マルコは、呆れたように目をくるりと回した。机から勢いよく飛びおり、彼女の前に膝をつく。
「あ」と、細いのどから声がもれる。
「答えろよ」
形の良い耳のそばで、ささやく。
「きみの愛しいお兄ちゃんと、ぼくは、似ているかい?」
彼女の視線は、窓の外に向けられていた。
ぼうぜんとした顔をつかみ、強制的に目を合わせる。
「ほら」
ふたりの視線が、ようやく交わった。
「双子なのだから」と、小さな声がつげた。
「似ていて、当然でしょう……?」
笑みを深くして「そうだね」と答えた。
「……それ、なんですか」
声が絞りだされた。視線が、ふらふらと揺れていた。
「これ?」と、箱を指す。
「だから、新しい精神分離機だよ。開発に10年かかった大作。旧型よりはるかに強力で、精神を肉体から分離させるのみならず、その力を倍増させる効果がある」
愉快そうに続ける。
「これを持って〈鏡面〉に入れば、どんな〈虚像〉でも一発で仕留められる。君たちブージャムに頼る必要なんてなくなる。そう言っているじゃない」
「そのことじゃ、ありません」
首を横にふるも、無視される。
「ま、それは建前だけど。これを使えば〈芋虫〉の精神は、より強力になる。ピュアな精神体として存在するわけだ。とすると、それはある意味、肉体の死を経ずとも〈鏡の国〉に行く手段を得ることになる。ぼくたちは、異常種なんかに頼らなくて良くなる……」
歌うような声だった。
「理想の兵士を手に入れて、国の再建にのぞめるってわけ。すばらしいね」
彼女は、青年の肩をつかんだ。恐怖に耐えきれなくなったのだ。
「ちがいます!」
マルコは、しらけた顔をした。
「その化物は、なんだと聞いているんです!」
窓の外。真っ黒い空の底に、近隣住宅の光がぽつぽつと点いている。その光に指を伸ばすかのように、上方からなにかが侵食している。
かぎりなく白いなにかだ。空間を消滅させてしまったように見えるほど、白い。夜の反対として、それは、そこに存在していた。
なにかから、細い指先が伸びた。ガラス窓に、文字が書かれる。R、E、S、Dが裏返しになっている。
RETSYORUOYSIDLROWEHT。
「シェイクスピアに傾倒しているんだってさ」
逃げ出そうとした少女の首を、マルコがつかんだ。
部屋の中を、鐘の音が支配した。脳内を、眩しい景色が走った。
それはブージャムになった日、隣で変わり果てていた弟の姿だった。
それは冷たくも優しい、愛おしい兄の姿だった。
それは目の前で笑う、青年の姿だった。
彼女は、心の底から歓喜があふれてくるのを感じた。眼前にいる白い塊と青年に、ほほえみを向ける。その視線は、桃源郷に飛びたった者の虚ろさだった。
「ああ」
彼女は、青年にしなだれかかった。
「わたくし、いま気づきました」
「そうだよ、リリーくん。ぼくらは、君たちの味方だ」
「ええ、ええ、よく分かりました。大きな勘違いをしていたんですね……」
うっとりと、マルコを見あげる。
「作りましょう。わたくしたちの国を」
少女の肩をだき「もちろん」と言った。
「君には、本社のブージャムたちを説得してもらわなきゃ。まあ、よっぽどのことがないかぎり応じてくれると思うけれど」
「きっと、みんな喜んで協力します。わたくしたち、ずっと帰る家がほしかったのですから」
彼女のその言葉は、本心のようだった。
「山田くんは?」と、耳元でささやく。
「山田くんは、協力しないかもよ? そうしたら、どうするの?」
興奮で目をぎらつかせる青年を、ぼんやりと見上げる。
「シホは」
瞳に、閃光のような悲しみが走った。しかし、それはすぐに消えた。おだやかな空虚へと戻る。
「味方をしないなら、しかたがありません。そのときは、わたくしたちの手で」
「そうかい。じゃあ、そのときは頼むよ」
マルコは、にんまりと笑った。
「真珠は、ぼくたちの手中にあるのだから」