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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れる男の夢
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Sick pearl

 マルコ・ジェンキンスは、病院の敷地外に出て、大通りへと歩いた。人を降ろしたばかりのタクシーを呼び止めて、乗りこむ。行先をつげると、車は滑るように走りだした。

 ひといきついて、外をながめる。窓に顔が反射するのが嫌だった。それでも、まじまじと見てしまうのは、昔からの癖だ。そんなに自分の顔が好きかい、と笑われても、気づくと注視している。

 鼻先をこすって、退屈そうな顔の奥に、景色を見すえる。


 やがて、車は住宅街に入り、丘をのぼった。病院と同じ白色でも、HRAの建物は、より無機質でモノクロ写真の中のようだ。料金を払って、車から降りる。

 警備員をねぎらいながら玄関をくぐる。ホールには、誰もいない。エレベーターにのり、まっすぐ執務室へ向かう。


 執務室の扉を開けて、真っ先に、目に飛びこんだのは、ソファに眠る少女のすがただった。

 マルコは、かすかに眉尻をあげ、一直線に彼女のもとへ歩いた。ためらいもせずに、顔を合わせる。驚いて起床し、はねのけようとする手を抑える。

 数秒後、荒い呼吸音がひびいていた。


「なんのつもりですか」


 リリー・タッカーは、眼前の青年をにらんだ。


「なんのつもりもないよ」と、彼は言った。

「キスに理由が必要なの?」


「気色悪い」


「口が悪いね。ぼくの顔、好きなはずでしょ」


 きついまなざしが揺らいだ。


「わたくしが好きなのは、シホのすべてです。顔面なんて、さしたる問題ではありません」


 動揺を恥じて、にらみつける。


「あ、そう。でも、君にとっちゃ、この顔がお兄ちゃんの顔じゃない。それでも嫌なんだ」


「あなたの、その腐った心根が嫌です。汚らわしい」


「ひどいなあ」


 マルコはせせら笑って、ソファから離れた。デスクに歩み寄りながら、

「ぼく、来週からアメリカに行くから」と、唐突に告げる。


「来週? 急ですね」


「うん、秀介が、アレを見せろってさ」


 リリーの表情が、こわばった。

 マルコが、引き出しから何かを取りだす。


「ね、よくない? これ。表面は、CFRPにしてみたんだ。レーシングカーとかにも使われるやつ」


 彼の手のひらに、黒い箱が乗っている。5センチ四方。照明を反射して、部屋の様子をうつしている。


「現行機に比べると、ちょっと、いや、かなり大きくなっちゃったけど……まあ、持ち運びを意図していないから、許容範囲だよね」


 うわずった声で話す青年と裏腹に、少女は、真剣なまなざしを箱にむけている。

 彼は、調子にのった学生のように、机に腰かけた。背後の窓には、カーテンがかかっていなかった。白いサッシを額縁に、夜空が収まっている。


「どういうつもりですか」リリーは、意を決して口をひらいた。

「それが秀介の手に渡れば〈虚像〉を始末するためだけに存在するブージャムは、不必要になります」


「そうだろうね」彼は、ひょうひょうと答えた。


「この期に及んで、わたくしたちを裏切るメリットが、アナタにあるとでも」

 

「えらいことを言うね。ぼくは、君たちを裏切るつもりなんかないよ? きみたちが、すべからく〈鏡の国〉へ行けるように手配する。そのために、コレが必要なのさ」


「……意味がわかりません」


「ほんとうに?」


 マルコは、机のうえをあごでさした。


「それを読んでも、まだわからないの?」


「……」


 ファイルが乗っていた。背表紙に『1990年 鏡面観測報告 軸移動における遺伝子構造変化』と印字された紙が貼られている。


「知能が発達してるって言うけど、ブージャムも意外とたいしたことないんだなあ」


 侮辱されても、リリーの顔色は変わらなかった。

 病院へと呼び出されるまえ、マルコから、このファイルを渡された。

「ヒント」と、子供っぽくにやつく顔に苛立ちをおぼえながらも、隅から隅まで読んだ。


 内容は、次のとおりだった。

 1990年5月24日、鏡面から〈鏡の国〉へ軸移動する際の、遺伝子構造変化に着目した実験が行われた。〈虚像〉である検体番号1番の遺伝子構造が、人間と異なることに注目し、軸移動の際に原因があると仮定したうえでの実験である。

 まず、対象Aを〈鏡面〉から〈鏡の国〉へ送りだす。対象Aには、エネルギー値を観測する機器を取りつける。軸移動の前後で、値に変化があるか否か観測し、そのデータの集積によって、遺伝子構造の変化の有無を判断する。


 地道な実験の、第一回だ。

 参加者は、研究者が12名、護衛の〈芋虫〉が15名。対象Aと、その介添え人が一人。この介添え人とは、どうやら実験に出資した人物のようである。対象Aに関しては、短く「顧問病院から提供された検体」と書かれていた。


「……実験は、大きな犠牲を出して、失敗。2名を残して、全員が死亡しています。偶然得た結果として、〈虚像〉の進化がもたらすエネルギー値の正確なデータを採取できた、と書かれていますが。25名もの人材に加え、肝心の検体も行方不明」


 リリーは、ファイルを手に取り、最後のページをめくった。プロジェクトの参加者一覧が載っている。


 SYUSUKE YAMADA

 RISA YAMADA


 ふたつの名前を一瞥する。


「生き残りは、山田夫妻だけ。しかも妻は、そこから一年もたたずに死亡していると聞いています」

 彼女は、ふう、と息を吐いた。

「でも、これが山田秀介の弱みになるとは思えません。この実験の失敗は、周知の事実なわけですから」


 たしかに酷い結果だ。しかし、これをネタに山田秀介を脅して、自分たちの要望を通すのは、どう考えても無茶である。

 

「もし、わたくしたちの権利向上を願うのであれば、それこそ、彼の会社生命に関わるようなことじゃないと……」


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