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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れる男の夢
122/173

Prayer

 夜空に、群青色の雲が重くたちこめている。

 渋谷区の片隅にかまえられた病院は、怪物がうずくまっているような(たたず)まいだ。巨大な棟が三つ、庭を囲んでコの字型に建つ。玄関口は広く、駐車用のスペースが広くとられているが、今は一台の車もない。

 訪れる者に、病院を牢獄のように思わせるのは、そびえる塀の高さが原因だ。コンクリートの壁は、死体よりも冷たい。

 塀に、黒いスーツを着た青年が、寄りかかっていた。うすい唇から、灰色の煙が細くただよう。暗く塗りこめられた絵画の世界で、煙だけが、ふわふわと生きている。


 青年は、思いつめた顔をしている。タバコの味は、ほとんどしない。

 塀に、長い影がのびた。玄関から出てきた人物が、青年に歩みよる。


「山田くん、全館禁煙だよ」軽やかな声が、話しかける。

「ま、ぼくはいいけどね。ナオコくんが見たら、怒るよ」


「……どうだった」視線を落としながら、たずねる。


「ナオコくんのほうは、大丈夫。背中と左腕の打ち身が激しいけど、一週間もすれば回復するって。問題は、彼のほうかな」


「後遺症が残りそうなのか」


「そういう意味じゃないよ」


 マルコ・ジェンキンスは、意味ありげにほほえんだ。


「ばっちり見られたんだ。記憶処理はまぬがれない」


 山田は、太い息をはいた。


「そうか」


「ナオコくんは、かわいそうだけど。でも、話したら、すぐに納得してくれたよ」


 山田は、すらすら話す青年に、責めるような目をむけた。が、また伏せた。


「そうか」と、もう一度言い、それきり黙る。


 マルコは、空を仰ぎ見た。憂鬱な夜空だ。

 しかし、満天の星を目撃したように、その目元は笑む。


「ラッキーだったね。ちょうどよく、悪い虫を始末できた」


 山田の顔色が、うしなわれた。


「なにを言っているんだ」


「なにをって」と、マルコは、無邪気につづける。

「そうだろう? あんな男が、彼女にふさわしいとは、ぼくは思わないな。山田くんも、そう思っていただろう?」


 すらすらと話す青年に、山田は絶句している。


「すっごく普通のサラリーマンじゃない。だから、今回みたいなことがあっても、彼女を守るどころか守ってもらう立場だ」


「あたり前だ、彼は、一般人だぞ」


「でも、もしあそこに自分がいたら、彼女を守ってあげられたって思っただろ?」


 にやけ顔で、核心が突きつけられる。


「彼女をかばってやるのは、自分の役割なのに。なんで他の男なんかに、彼女を任しておいたんだろう。そう思っただろう?」


「……バカなことを言うな」


 短く言い放ち、縮んでしまったタバコを携帯灰皿に挟みこむ。灰がこぼれて、革靴を汚した。


「そういう態度なんだ」

 マルコは、おかしそうに言った。

「まあ、かまわないけれど」 


 彼は、今度こそ、なにも答えなかった。

 病院に戻ろうとする後ろ姿に、不愉快なほど楽天的な声がかかる。


「今日、秀介から電話があったよ」


 山田が、ふりかえる。

 マルコは、スーツのポケットに両手をつっこみ、不遜な面持ちで立っている。金色の髪の毛は、白くすんで見えた。


「完成品が見たいそうだ。彼は、次世代の革命に期待しているよ。ブージャムとして、君はどう思う?」


 山田は、しばらく、自分の影に立つマルコを見ていた。そして、ふいっと、

「彼がどうしようが、俺には関係ない」と、つげる。


「また、そういう態度をとる」

 呆れた顔をする。

「自分の家族のことじゃない。いいの? 言っておくけど、あれがまともに使用されることになれば、ブージャムの立場はなくなるよ。そうすれば、君も、君の兄弟たちもお払い箱だ」


「そうなった方がいいだろう」


「冷たいなあ」


 マルコは苦笑して「家族のことは大切にしなよ」と言った。

 それから、わざとらしく「ああ」と、うわずった声をあげた。


「大切にしているか。これ以上ないってほど」


 山田が、鋭い視線をむけた。


「お兄ちゃんって呼ばれたいわけでもないだろう? なら、どうしてその立場に固執するのかな」


「……」


「それとも」と、さわやかにつづける。

「二十年前にもどりたいの?」


「マルコ!」


 呼び名から、敬称がなくなる。マルコは、口元をゆがませた。


「やだなぁ。もう、ぼく、子どもじゃないんだけど。まるで、弟を呼びつけるみたい」


「余計な口をたたくな」


 その言葉は、怒りを抑えて、静かだった。


 風が吹きはじめて、玄関口に散らばった何枚かの落ち葉をはらった。


「もどりたくないの?」


 マルコが、腕をこすりながら質問した。


「ぼくは、自分の家にもどりたいけれど」


「……君は混乱しているんだ」

 冷静に、さとすように話す。

「急にさまざまなことを知って驚くのは分かる。だが、それでやるべきことが変わるわけではない。HRAの指針は、間違っていない」


「仇敵にたいして、よくそんなことが言えるねえ」


マルコは、びっくりして見せた。


「あのね、ぼくは秀介の考えは、正しいと思うよ。この世界はいつだって正しい。あちらの世界は偽物でしかない」


 山田の目が、怯えたように、かすかに見開く。


「でもね、偽物にだって存在意義があるだろう? 鏡の中が無くなってしまったら、ぼくたちは、どうやって自分の顔を見ればいいんだ?」


 二人の青年は、示しあったかのように、同時に沈黙した。

 観察眼のある人間であれば、彼らが、よく似通っていると気づくだろう。背格好はもちろん、顔の整った配置も、声も、まるで鏡面をはさんだように相対している。


「ま、山田くんは、あの子の顔さえ見られれば文句がないのか。笑っちゃうね」


 彼は、くしゃくしゃの笑顔をうかべた。


「ねえ、()()()()()。ぼくは、もう我慢しないよ」


 子供じみた言葉は、雲りなき決意に満ちていた。


「マルコ、俺は」


「だから、君も選べ」


 彼の兄弟は、冷酷な目つきをしていた。


「ここか、向こうか、選ぶんだ」


 マルコが、きびすを返す。


 山田は、その場に立ちつくした。こぶしが強く握りしめられたが、掴むもののない手のひらには、爪が食いこむだけだ。

 去っていく背中を見送ってから、病院の中へ戻る。

 待合室は暗く、無人の受付に、蛍光灯の光がともっている。階段をあがり、最上階に着く。静かすぎる廊下に、歩む音だけが響く。一番奥まった部屋の戸に手をかけ、そっと引く。

部屋は暗かった。しかし、カーテンの隙間から外光がもれている。ベッドに横たわる女性のひたいが、光にさらされていた。


ベッド脇の丸椅子に腰かけ、眠る女性をながめる。顔色は蒼白だが、呼吸はおだやかだった。優しい夢を見ているようだった。

 彼は、幼い頬と、ときおり大人びる眼差しを、いま、見たかった。

 細い指先が、枕上の頭部に触れた。壊れ物を扱うように、丁寧に髪をすく。


 かすれた声が、彼女の名前をよんだ。


 彼は息をのんで、行いを悔やむように、手をひっこめた。行き場のなくなった指先が、シーツを握る。

 目を閉じ、祈るように、こうべを垂れる。


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