クリスマスの匂い
翌朝、リリーに付きそって、山田の私室をおとずれた。
彼は、非常に驚いていた。
「君はバカなのか? 自分を殺しかけたやつと、よく一緒にいられるな」
そう言われて、思わず彼女たちは顔をみあわせた。先にリリーがくすりと笑い、引きずられてナオコも笑ってしまった。
「そうなんです、ナオコさん、バカだから」
「きのう、リリーにも言われたんですよ。兄妹して酷いですね」
ナオコが笑いかけると、山田は戸惑った。それゆえに、あっさりとリリーを許した。
「君がそんな風なのに、俺がどうこう言えることでもない」とのことだった。
その翌日、ナオコはリリーを渋谷駅付近の中華料理店に連れていった。以前、アジア圏の料理が食べたいとせがまれたので、リクエストに応えたのだ。
リリーは、よく食べ、よくしゃべった。とりとめもないことを話して、ナオコはうれしかった。
「とりあえず、シホの説得に関しては一旦あきらめます」と、リリーは言った。
「本社のスナークたちも、すぐに彼が折れるとは考えていません。作戦を練って、気が変わるようにさせてみます」
「そっか」
「なんですか、その返事。シホがいなくなってもよいんですか」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
ナオコは苦笑いをうかべつつ、小籠包に息を吹きかけた。
「でも、山田さん、頑固だからさ。そうとう粘らないと無理だろうし、今のところ心配してないや」
むかいにすわるリリーに、視線をなげる。口元に、エビチリのソースが付いている。
「それに、リリーも日本に慣れてきたでしょ? きっと〈鏡の国〉より、ここが良くなるよ」
「絶対そんなこと、ありません」
苛立ちまじりに大口をあけて麻婆豆腐を食べ、
「これ、Chinesefoodじゃないです! もっと辛いですもん。エビチリも、違います!」
「おいしいからいいでしょ」
ナフキンを手渡して、くすくすと笑う。文句を言いながらも、彼女は素直にナフキンを受け取り、口元をぬぐった。
いつかリリーが、山田の説得に成功したら。ナオコは、ふと考える。もし彼がアメリカに帰ってしまったら、悲しいだろう。
それでも、彼らに仲むつまじくあってほしい。おなじ傷を持つ者であるリリーこそが、山田に必要な人物である、と感じるのだ。
〈鏡の国〉に彼が行ってしまおうとも、引き留められない。
幸せになってほしかった。それは、痛みが理解できないからだ。傷の共有がないゆえに、見守ることしかできない。
「がんばってね」と、ふいに告げる。
すると「頭に虫でもわきましたか」と、暴言を吐かれた。しごく真面目なその表情に、兄の影をみて、ナオコはさみしく笑った。
店から出ると、夜空が澄んでいた。もう冬だった。がやがやとした通りを、急に寒くなった季節に身を縮こませた人々が歩いていく。
もう十二月が近づいている。ナオコは、幻聴を聞いた。
鐘の音だった。駅の看板のうしろ、空のかなたから、きれいな音が聞こえてくる気がした。
クリスマスが近い。