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鏡の国のバカ  作者: 阿部ひづめ
眠れる男の夢
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ネリの失敗

 翌日、出勤すると、オフィスが冷えきっていた。物理的にではない。部屋全体を、いやなかんじの緊張がおおっている。


「どうしたんですか」


 ナオコは自分の席について、隣席の同僚にたずねた。

 彼は、ひきつった顔で「山田が」と口をひらいた。


「山田さん?」


「昨日は、どこに行っていたんだって聞いたんだ。そしたらタッカーが、シホには関係ないでしょうって」

 むこう隣が、口をはさんだ。

「それで、山田がなるほど。ならばいい。っつって言ったあと、あんな感じだよ」


 ナオコは、そうっとリリーをふりかえった。目元が赤い。

 あちゃあ、と声をあげそうになり、口元をおさえて姿勢をもどす。


「泣かせたんですか」


「というか、山田が出て行ってからずっと泣いてる」


「どうすんだよ、あれ……」



 部屋のなかは陰鬱な雰囲気だった。人が泣いている場所は、だれにとっても居心地がよくない。

 逃げだすように出動していく同胞の背中をみながら書類を作っていると、ナオコにも出動命令がかかった。

 リリーは、悲しそうに顔をふせ、仕事をしていた。


 出動中、ケビンともその話になった。

 彼は、兄妹のいさかいが面白くてしかたがないのか、

「ついに兄離れのときが来たってわけだ」と、げらげら笑った。


「笑いごとじゃないよ……」


 ナオコは不安だった。昨日の出来事が関係しているような気がした。

 もし、山田が怒っているのだとすれば、責任は自分にもある。

 不用意に彼の部屋に近寄らなければよかった、と思って、暗くなってしまった。


 そういうとき、ケビンが背中を叩いてくれるのはありがたかったが、

「ま、この機会にヤツの傷を癒すふりで近づくのが、ベストなんじゃねえか」

 と、下世話な発言をするので、叩きかえすのは頭部にしておいた。





 業務を終えたあとも、朝の一件が頭から離れなかった。

 久しぶりの宿直だったので、帰り道を行きながら、

「兄妹ってさ、おたがいに恋人ができたりすると、嫌なもんなんだね」

 と、耳をほじりながら歩いているケビンに話かける。


「あ? 山田のことか」


「うん。あんなに泣かせるくらい怒らなくてもさ、いいじゃない」


 きっと、その類の不満があったことに加え、昨日の事件があったから、山田の態度がきつくなったのだろう……そうナオコは考えていた。


「俺、山田が話しているところを見たが、たいして怒ってもいなかったぞ」


「そうなの?」


「ああ。平常通り、すかした感じだ」

 ケビンは、タバコを吸う真似をした。

「どっちかっつうと、朝は、タッカーのほうがヒートアップしていたな。どうしてシホはそう軽薄なんですか、とか、ぎゃあぎゃあわめいていたぜ」


「軽薄……」


 血の気がひいた。昨日の事件が関係している気がする。


「したらば、山田がつめたーくよ、俺がどんな態度をとろうが、君には関係のないことだとかぬかしてよ。それでタッカーはボロ泣き。オフィスは氷結。迷惑な兄妹だぜ、まったく」


 今日はケビンから離れないほうがよさそうだ、とナオコは思った。

 またリリーに強襲される可能性が、無きにしもあらず、である。


 しかし、その心配は、十一階に着いたとたんに吹きとんだ。

 エレベーターから降りようとした瞬間に、悲鳴が聞こえたのだ。


「なんだいまの」と、ケビンが顔をしかめた。


「え、リリーの声じゃない……?」


 それは、オフィスから聞こえていた。

 ナオコが、扉のガラス窓をのぞく。からっぽの机と椅子しかみえない。

 そぅっと扉をあけた。

 

「これはなんだ? ん?」と、低い声が聞こえた。


 彼らは、オフィスの一番奥にいた。

 机に腰かけた山田は、いつも通りの真顔だった。異様なのは、彼が妹の胸倉を、思いきりつかんでいることだ。

 リリーは、泣きはらした目を恐怖と動揺で見開き、

「シホ、話を聞いてください」と、あえいだ。


「ああ、聞いている。だから俺の話も聞け」


 彼の手には、ちいさな小瓶が握られていた。中に、液体が入っているようだ。


「これはなんだ?」


 再度たずねる声は、ぞっとするほど冷淡だった。

 胸倉をつかむ手が、ぎりりと締まり、リリーが小さく悲鳴をあげた。


「おい!」

 とっさにケビンが声をかけた。

「あにやってんだよ、おまえら」


 山田は、ケビンを見て、ついでナオコに目をとめた。リリーをねめつけて、手を離す。

 乱暴に妹の腕をつかみ、引きずるようにオフィスを出ようとする。

 ナオコは、とっさに扉のまえに立ちはだかった。


「山田さん、どうしたんですか」


 リリーは見るからに怯えていて、黙って見すごせる状況ではなかった。

 彼は、口をひらいて、それから閉じた。まるで物を見るかのような視線をリリーに向け、

「状況を把握してから、後ほど報告させてくれ」

 と、述べた。


「シホ」と、リリーが呼んだが、彼は妹をかえりみようともしなかった。


 オフィスから出ていく後ろ姿をみながら、

「どうしちゃったんだよ、あいつら」

 と、ケビンが呆気にとられたようにつぶやいた。

「家庭内DVか?」


 ナオコはショックを受けて、

「山田さんがそんなことするわけないでしょ」と、反論した。


「でも、いま、現場を見ただろうが」


 彼らが去った方向に目をむける。

 ケビンが「行くぞ」と、親指をたてた。


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