屈折
彼らは、恵比寿ガーデンプレイスに向かった。
マルコが携帯のマップをみながら、恵比寿駅までの道を先導してくれた。
時刻は21時を回ろうとしている。
二人は、最近の映画やテレビの話をしながら歩いた。
ナオコが意気揚々と、マーベル作品について語っていると、いつのまにか目的地に着いていた。
「シャンデリアを観ようよ」と、マルコが提案した。
ビヤステーションをしり目に、電飾で綺麗に飾られた並木道をすすむ。
やがて、広場の中央に巨大なガラスケースが見えた。ケースの周辺は混雑していたため、二階から眺めることにした。
シャンデリアは、世界のすべての光を集めたように煌びやかだった。
しかしナオコは、つい透明なダイオウイカを連想してしまって、一人で笑いをこらえた。
さっきまでエイリアンや『アクアマン』が云々という話をしていたせいだ。
「きれいだけど、巨大生物が閉じこめられている感が強いね」
ついにナオコは吹きだしてしまった。
「わたしもそう思いました」
「だよね? 完全に檻だもん、これ」
二人はひとしきり笑い、あらためて、シャンデリアを眺めた。
広場にいるカップルたちの様子が、ここからはよく見えた。
肩を抱き、ささやきあう恋人たちを見て、ナオコは、自分たちもそう見えているのだろうと感慨深く思った。
思わず山田と来られたら、と考えてしまい、苦笑いをうかべる。彼がイルミネーションを観るわけがない。
「ナオコくんが、ブージャムやキャロルについて調べるのは、どうしてだい?」
いきなり話しかけられて、ナオコは驚いた。
マルコは手すりに両手をかけ、まぶしそうにシャンデリアを見つめていた。
「どうしてでしょう……」
彼女は自分の回答が、すこしだけ卑怯かもしれないと思った。
それらについて調べるのは、山田について知りたかったからだ。遠ざかる背中に指をのばす方法が、それしか思いつかなかったのだ。
「正直、ブージャムのこともキャロルのことも、わからないんです。わたしには、手にあまる話だし……いまマルコさんに説明していただいた手前、申し訳ないんですけれど」
「まあ、すぐに理解されるほうが怖いよ」と、マルコは笑った。
「信じられないことばかりだもの」
「ただ、なんと言えばいいのか」
彼女は、ゆっくりと、噛みしめるように話した。
「わたしにとっては、目の前のことが世界のすべてなので。それが信頼できる形であれば、それで大丈夫なんです」
山田がブージャムだと聞いて、動揺しなかったのは、確信があったからだ。
それまで見てきた彼の一挙一動、表情のかすかな動き、温度、なにもかもが確固たる事実だった。
目の前にある彼のすべてが、ナオコにとっての世界そのものだった。
だから、それで構わないのだ。彼女はそう思った。
「だから、うーんと、そうですね。なんで、わたし、調べているんでしょうねえ」
照れ笑いをうかべると、マルコが視線を向けてきた。
「好きだからじゃない?」
ナオコの心臓がはねた。
「なにもしないでは、いられなくなるよね。知れることに限界があっても、近づくために努力することを止められない」
「わかるよ」と、彼はほほえんだ。
「執着がそうさせる。どんなに欲しくても手に入らないものなら、なおさら」
ナオコも笑った。
やはり、なにもかもお見通しのようだ。
「そうですね。きれいな気持ちじゃない」
マルコは手すりから両手を離し、体ごとナオコに向きなおった。
美しい金色の髪の毛が、風になびいていた。
「山田くんのことが好きなんだね」
ナオコは、なぜか山田当人が立っている錯覚をおぼえた。
景色全体が輝いていて、夜空が高かった。冬が、そっとほおに息を吹きかけている。
絵に描いたようなシチュエーションだった。
それなのに、自分の心は汚かった。卑怯だった。泣き叫びたいくらい、恋しかった。
「はい」
ナオコは、小さくうなずいて、笑みをうかべた。
「好きなんです。困ったことに」
「そっかあ」
マルコは気の抜けた声をだした。憑き物がおちたような顔をしていた。
「わかった」
「わかった?」
「うん。ナオコくん」
「はい」
彼の唇が、そっと開いた。整った歯並びがのぞき、息を吸いこんだ。
しかしそれは、すぐに閉じられ、ふわりと弧をえがいた。
青い瞳は彼女をみつめていたが、温かい光がぼんやりと灯るだけで、美しいだけだった。
「なんでもない」
彼が再びイルミネーションを眺めはじめたので、ナオコもそれにならった。
夜風が強くなってきた。カップルたちが、次々と引き上げていく。
二人は、それから30分くらい、その場で話をした。映画の話、アニメの話、学生時代どんなことをしていたか。
マルコは、楽しそうにしていた。
家まで送ってもらったときには、彼はすっかり満足した表情をしていた。
「それじゃあね」
彼は別れ際、手をふった。
マンションの中に入るとき、ナオコはふりかえった。
彼のすがたは、もうそこにはなかった。取り残されたのは、冷えきった街灯の光だけだった。