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【第五章:ダディ(一)】

 議場へと続く回廊。オールドマンはパイプを咥え、小脇に資料を抱えながら、前を向いたまま隣を歩くバイ指揮官に声をかけた。 「驚いたぜ。まさか、思いがけない『親友とも』が俺を水面下から引き摺り出してくれるとはな。あぁ?」


 バイ指揮官は顔に作り笑いを貼り付けたまま、ギリッと歯を食いしばって言い返す。 「ふざけるな! クソッ……こっちは首が飛ぶ覚悟で、統合議会に保証人として立ったんだぞ」


 オールドマンは鼻で笑うだけだった。二人が巨大な扉の前に辿り着くと、彼はふと口を開いた。 「それからな。俺は借りを作るのが嫌いな性分でね。俺の部下たちの面倒を見てくれた恩は、きっちり叩き返してやるよ……」


 言い捨てるなり、オールドマンは躊躇いなく資料の束を握りしめたまま議場の扉を押し開けた。  無数の品定めする視線、疑念、そして侮蔑。それらを一身に浴びながら、彼は階段を下り、堂々と議場の中央へと進み出る。


 まずは辺りをぐるりと見渡し、傍らの空席から我が物顔で椅子を引きずり出す。そして議場のど真ん中で、横柄に足を組んでどっかりと腰を下ろした。


 パイプを深く吸い込み、紫煙を吐き出しながら口を開く。 「さて。話を聞こうか」


 議場に響き渡る怒声。一人の政治家が声を荒らげた。 「それが軍人のとるべき態度か!」


 オールドマンは悪びれる様子もなく、肩に羽織った軍用コートを軽く引き寄せる。 「肩に引っ掛けてるこいつは、ホンヴァーシャ指揮官に支給された由緒正しきコートだぜ? 何か問題でも?」


 言葉が終わるか終わらないかのうちに、別の非難が飛ぶ。 「無礼者め! 自分が誰に向かって口を利いているのか分かっているのか!」


 オールドマンは焦る様子もなく、組んでいた足をゆっくりと組み替えた。 「同じ泥船ふねに乗ってる連中と話してるんだが?」


「貴様ッ!」 「そこまでだ!」


 オーク議長が机を叩いて制止する。蔑みの目をオールドマンへ向け、低く唸った。 「我々が貴様を呼んだのは、バイ指揮官の強い推薦があったからだ。貴様に、一体何の力があるというのだ?」


 その問いに、オールドマンは余裕の笑みを浮かべて問い返す。 「能力、ねぇ。もしあんたらのガキが、0点の答案用紙を100点に書き換えて見せてきたら――その『100点』を信じるか? それとも、実際に100点を取る実力があるのか、この目で確かめてみるか?」


「やれやれ……。我々は口喧嘩をするために集まったのではないぞ」  ハイエナ議長が立ち上がり、場を鎮める。彼女は冷ややかな視線をオールドマンに突き刺した。 「人間よ。言わんとしていることは分かる。では、お前には力があるという『証明』を見せてもらえるか?」


「一つの階級。そして一つの部隊。部下は俺自身が選ぶ。階級に関しては、前線の兵士どもが俺の命令に従うレベルであれば何でもいい」  オールドマンは満足げにハイエナ議長を見つめ、付け加えた。 「あぁ、それとな。俺が何をやろうが干渉するな。あんたらは、自分たちの計画通りに事を進めてりゃいい」


 ハイエナ議長は目を細め、探りを入れる。 「つまり、総指揮官トップの座を狙っていると?」


 途端、オールドマンは喉の奥で数回笑う。再びパイプを吸い、紫煙の向こう側で答えた。 「総指揮官? そいつは俺の柄じゃない。俺が行く先々で、兵士どもが『上官の命令』として俺の指示に従えば、それで十分だ」


 エルフ議長が顔をしかめて口を挟む。 「では、どのような部隊を望むというのです? 我々の正規軍では不服だとでも?」


 オールドマンは意味深な眼差しでエルフ議長とハイエナ議長を交互に見つめ、ニヤリと笑った。 「俺には俺の計画と選考基準フィルターがあるのさ。心配なら、こう考えてみりゃいい。同じ泥船に乗ってる俺が、わざわざ底をぶち抜く理由があるか? 死にてぇなら、とっくの昔にあの世の老友ともに会いに行ってるさ……。あんたらに見つけられる前にな」


「俺が欲しい人材は、全てここにある」  オールドマンは資料の束を掲げると、傍らで顔面蒼白になっているバイ指揮官へと視線を向けた。 「で? こいつはどうやって使うんだ?」


 バイ指揮官は片手で顔を覆いながら、もう一方の手でオールドマンの傍らにある低い卓を指差した。 「その紙を……卓の上に平らに置けばいい……」


「まずはこいつだ。このゴブリンが欲しい」


 水晶が投射したホログラムの映像。それを見た瞬間、議場の誰もが息を呑み、沈黙した――。


「狂っている! 奴が誰だか分かっているのか!? 奴は……!」 「勝手にやらせておけ。あんな狂人が言うことなど聞くはずがない。もし言うことを聞いたら、俺の首を差し出してやる」


「ふん。スパナとスタンガンを用意しな。あいつの口から、直接俺を『ダディ』と呼ばせてやるよ……」


 *


 ガチャリ。鍵穴にキーが差し込まれ、ドアノブのロックが弾け飛ぶ。  獰笑どうしょうゴブリンは自室の扉を引き開けた。


 薄暗い廊下の先。リビングの方向から、点滅するような微かな光が漏れている。  不審に思ったゴブリンが足音を殺して近づくと、椅子に座る見知らぬ人影の背中が不意に目に飛び込んできた――。


「てめぇ……グハッ――!」  ゴブリンが声を上げた直後、後頭部に凄まじい一撃が叩き込まれた。視界が暗転し、くぐもった音と共に床へ崩れ落ちる。


 再び意識を取り戻した時、視界はまだ霞んでいた。  ただ、自分の身体が乱暴に木の椅子へ縛り付けられていることだけは理解できた。


 向かいに座るオールドマンを睨みつけ、ゴブリンは虚ろな声で絞り出す。 「誰だ、てめぇ……人間……」


 パイプを咥えたオールドマン。その手には、バチバチと放電音を鳴らす電流ロッドが握られている。 「お前さんのその優秀な頭脳ブレインを、少々チューニングしに来た男さ……」


「このイカレたクソヤロォォォ!」  ゴブリンが怒鳴り終えるより早く、オールドマンは手に持つロッドを彼の膝先へ押し当てた。  強烈だが致死量には至らない電流アークが、瞬時に全身を駆け巡る。ゴブリンは椅子の上で激しく痙攣した。


「うん――。お前さんの学術的成果は確かに素晴らしい。この蓄電効率は見事なもんだ」  水晶管の中で跳ね回る蒼い電弧を眺め、金属片の間で荒れ狂うエネルギーの奔流を確かめると、オールドマンは満足げに首を傾げた。 「ダディは……ご満悦だぜ」


 ゴブリンは荒い息を吐きながら、嫌悪と不可解の混じった目を向ける。 「てめぇ……一体何が目的だ?」


 オールドマンは空いた方の手で、自身のこめかみをトントンと叩く。 「その賢い頭脳があるなら、聞くまでもないだろう? もちろん、お前さんを『家』へ連れて帰るためさ」


 傲慢極まりない返答に、ゴブリンの怒りが爆発する。 「寝言は寝て言え! ふざけんなァァァ!」


 再び言葉を遮るように、オールドマンは電流ロッドを膝へ押し当て、笑いかける。 「さぁ、『ダディ』と呼んでみろ。俺は自分の子供たちを粗末には扱わねぇ主義でね」


 ロッドが離れるや否や、ゴブリンは声の限りに怒号を上げる。 「クソ喰らえだ! このイカレたドクズがァァァ!」


「この程度の電圧じゃ死にはしねぇ。だが、その優秀な脳髄を少しばかり『調整』することはできる」  オールドマンは悪魔のように口角を吊り上げ、三度みたびロッドを押し当てた。


「ギィヤァァァァァッ!」


 絶叫を強制的に遮り、冷徹な声が降る。 「分からせる時間はいくらでもある。お前さんをここへ縛り上げられるほどの手回しができる俺の頭脳なら……俺がお前を『完全にロックオンした』って事実を骨の髄まで理解させる方法なんて、山ほどあるんだぜ……?」


 目の前にいる正真正銘の狂人。ついにゴブリンの心に本能的な恐怖が芽生えた。彼はパニックに陥りながら叫ぶ。 「分かった! ダディ! もう十分だ! クソッ、やめろォォォ!」


「いや、まだ少し足りねぇ。ほんの微調整が必要だ」  オールドマンは眉をひそめて不満げに舌を打ち、容赦なくロッドを膝へ押し付けた。


 幾度もの雷撃の洗礼。痙攣が止まらない身体。  半ば昏乱状態に陥ったゴブリンは、すがるようにうわ言をこぼす。 「ダ……ダディ……」


 完璧な答えを引き出し、オールドマンはポンポンとゴブリンの肩を優しく叩いた。 「いい子だ。俺について来な。絶対に後悔はさせねぇよ」


 *


 議場は静まり返っていた。  皆、中央に映し出されたゴブリンの惨状と、脚を組んで平然としているオールドマンを無言で見つめている。 「次は、こいつだ……」


 水晶が新たに投射したのは、斑紋ハイエナ族の映像だった――。


 かつて自らの手で追放した見知った同族の顔。ハイエナ議長は即座に机を叩いて立ち上がり、吠えた。 「狂っている! 奴は絶対に誰の支配も受けない危険分子だ!」


「首輪と肉塊をよこしな。この狂犬に尻尾を振らせて、俺を『ダディ』と呼ばせてみせるさ……」


 *


「あァ?」  泥濘ぬかるみの上をうろついていたハイエナは、前方に仕掛けられた投げ縄と、その中央に置かれた生肉の塊を見つけた。


 あまりにも滑稽な光景に、彼は鼻で嗤う。 「アハッ! どこの馬鹿がこんな低能な罠に――グハッ!」


 だが、言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。  泥濘に身を潜めていたオールドマンが跳ね起き、疾風の如き踏み込みで、ハイエナの背中へ強烈な蹴りを見舞ったのだ――。


 べっとりと張り付いた泥を払い落としながら、オールドマンはひどく訛ったハイエナ語で呟く。 「ほら。どこの馬鹿が、罠に落ちたかな?」


 脳が揺れる感覚からようやく立ち直ったハイエナ。  気がつけば、だらりと前に投げ出された両腕は、オールドマンの手によって首輪で硬く縛り上げられていた。


 ハイエナは焦るどころか、楽しげに嘲笑する。 「ハハッ! 人間! 俺より陰湿じゃねぇか! 背後から蹴り飛ばすなんてよぉ」


 早口で捲し立てられるハイエナ語。脳内で変換するのに少しラグが生じたが、オールドマンは慌てず騒がず、地面の生肉を拾い上げる。 「ああ、そうだぜ、坊主。こうでもしなきゃ、大人しく『家』へ帰っちゃくれねぇだろう?」


「家だと? この目の見えねぇ猿め! 降りたらてめぇの喉仏に風穴を開けてやる!」  ハイエナは勢いよく血塗られた大口を開け、差し出された腕へ噛み付こうとしたが、見事に空を切った。


 ぐにゃりとした生肉を握ったまま、オールドマンは素早く、かつ挑発的にハイエナの頬をペチペチと叩き、笑いかける。 「残念。噛んだのは、空気だ。気にするな、坊主。時間はたっぷりある……」


 しばらくの後。  何度も体をよじり、拘束を解こうと足掻いていたハイエナは、焚き火の準備を始めるオールドマンを横目で睨みつけた。苛立ちを隠せないまま牙を剥く。 「てめぇ……何してやがる?」


 生肉を火の傍にセットし、適当な石を運んできて悠然と腰を下ろす。 「坊主、お前には目があるだろう。俺にはねぇがな。見ての通り、肉を焼いてるんだ」


 拘束されたまま体を激しく揺さぶり、ハイエナは宙ぶらりんの状態で吠え猛る。血走った眼球がぎらついている。 「この野郎! ハッ! 降りたら真っ先にてめぇを丸焼きにして、その上でその肉を喰ってやるからな!」


「ゆっくりやれや」  オールドマンは焚き火にだけ意識を向ける。生肉から漂う芳醇な香りと、肉汁が弾けるジュージューという音が辺りを包み込んだ。


 時間が経過するにつれ、無駄な抵抗を繰り返したハイエナの体力は徐々に削られていった。  焦げた肉の暴力的な香りに胃袋を掴まれ、彼は息も絶え絶えに焚き火の前のオールドマンを挑発する。 「ハァ……ハァ……根性があるなら……その肉を寄越しな。何百回でも相手になってやるぜ……」


「そんな面倒なこと、必要ねぇよ。『ダディ』と呼びな。そうすりゃこいつはお前のものだ。一緒に『家』へ帰るなら、一つじゃ済まねぇぞ」  オールドマンは満足げに笑みを深め、一転してドス黒い声色を響かせた。 「だが、小細工はするな。俺にはお前と『遊ぶ』手段が山ほどある。……信じるか、信じないかは勝手だがな」


 その言葉に、ハイエナはきょとんとした。信じられないといった顔で疑う。 「マジかよ? 『ダディ』って呼ぶだけでいいのか?」


 オールドマンは地面に突き刺していた串を抜き、こんがり焼けた肉をハイエナの鼻先へ突きつける。 「その通り。腹いっぱい喰わせてやる。好きなだけ遊ばせてやる。心の底からな」


「ハッ、アハハハッ! いいぜ、分かったよ! ダディ!」  ハイエナは口角を裂けんばかりに吊り上げ、狂ったように笑い声を上げた。

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