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【第一章:鞘から溢れ出す怒り(二)】

 バイ指揮官が兵士たちを怒鳴りつけて急かす。


「もっと早く動け!どんどん荷を降ろすんだ!一刻の猶予もないぞ!」


 


 言い終えると、彼は軍帽を押さえ、潮風に吹かれながら真っ先に設営された仮設テントへと向かった。


 天幕をめくる。


 中には簡素な野戦机が置かれ、島内の地形図と市街図が広げられていた。


 


(――敵が混乱から立ち直る前に、まずは内陸へ向けて防衛線を構築する。その後、別働の突撃部隊を一気に港へと突入させる……)


 


 地図を睨みつけ、敵が布陣し得るポイントを推測していると、斥候がテントへと転がり込んできた。


 


「報告!敵の単独騎兵部隊が、我が軍の陣地に向かって突撃してきます!」


 


 それを聞いたバイ指揮官は、鼻で嘲笑した。


 即座に下命する。


 


槍兵スピアマンを向かわせて制圧しろ。まずは簡易的な防衛線を張り、残りの者は運搬作業を急がせろ」


 


(――ホンヴァーシャの陸軍指揮官は、どいつもこいつも無能揃いか。騎兵を囮にして我々の進軍を遅らせるつもりだろうが……)


(――俺が、そんな見え透いた手に……)


(――引っかかるものか)


 


『騎鳥』に跨がり、白きホワイト・ベイの丘に立つオールドマン。


 パイプを握り、ゆっくりと紫煙を吸い込む。


 


 彼の視線の先では、同じく騎鳥に跨がった騎兵たちが、あからさまな挑発のように堂々と敵軍へ向かって行進していた。


 対する敵陣では、瞬く間に槍兵が集結し、強固な方陣ファランクスを組んで迎え撃つ構えを見せている。


 


 オールドマンは満足げに頷き、傍らの海軍兵士へ向かって、顎で敵陣の方をしゃくった。


 指示を受けた兵士は手旗を握り、後方へ向かって激しく振り下ろす。


 


 丘の後方で陣取っていた艦載弩砲の射手たちが、旗の合図に合わせて射角を調整する。


 限界まで引き絞られた弦。鋭利な巨大矢ボルトが、正確に砂浜へと向けられた。


 


 一方、騎兵たちは高く掲げていた長槍を騎鳥の体高に合わせて寝かせ、鳥の腹を蹴り上げて突撃チャージを開始する。


 迎え撃つ槍兵たちは深く息を吐き、地面に突き立てた大盾カイトシールドの上に長槍を架け、迎撃態勢を固めた。


 


 ――両者が激突する、正にその瞬間。


 


 騎兵たちが手綱を強く引き絞り、騎鳥の頭を強引に捻った。


 急旋回。


 槍兵の方陣を軽々と迂回し、彼らは立ち止まることなく、そのまま敵陣の奥深くへと駆け抜けていく。


 


「なっ……!?」


 


 槍兵たちが反応するより早く。


 瞬く間に、数筋の真っ直ぐな黒い影が空気を切り裂き、丘を越え、美しい弧を描いて方陣へと降り注いだ。


 


 ズガァァァンッ!!


 


 太く頑丈な翼状の重弩矢が、大盾を粉砕する。


 盾持ちの肉体を貫き、さらに背後の槍兵をも一撃で縫い付ける。


 的を外れた弩矢でさえ、凄まじい余波を伴いながら、斜めに深く地面をえぐり取った。


 


 凄惨な絶叫が、天幕の外から波のように押し寄せる。


 バイ指揮官は作業の手を止め、眉間を寄せて天幕を荒々しくめくった。


 


「何をしている!?今は戦争中だぞ、貴様ら……」


 


 だが、目の前に広がる阿鼻叫喚の光景に、彼は言葉を喉の奥で詰まらせた。


 


 敵の騎兵が目の前で大暴れし、恐慌状態に陥った自軍の兵士たちを次々と蹂躙している。


 再集結しようとした槍兵は易々と散らされ、弓を引こうとした射手は単機で突っ込んできた騎兵に跳ね飛ばされ、残った弓兵たちはただ逃げ惑うことしかできない。


 


 我に返ったバイ指揮官は、慌てて角笛を吹き鳴らし、張り裂けんばかりの声で怒鳴った。


 


「槍兵は左翼へ集結しろ!体勢を立て直せ!弓兵と盾兵は直ちに右翼へ集結だ!急げぇっ!」


 


 角笛を下ろし、軍刀サーベルを引き抜く指揮官。


 生き残った兵士たちが、命令に従って指定された位置へと必死に走り始める。


 


 しかし、その時すでに敵の騎兵部隊は陣地から離脱していた。


 敵の意図を図りかねていると、遠方で壊滅した槍兵たちが、武器や防具を投げ捨てて陣地へと逃げ帰ってくるのが見えた。


 


 ヒュオォォォンッ……!!


 


 再び、空から風を裂く音が響く。


 数発の巨大な弩矢が陣地のど真ん中へ情け容赦なく突き刺さり、運の悪い兵士たちを文字通り串刺しに変えていく。


 


 飛び散る血飛沫。


 嘔吐を催すような残酷な光景を前に、かろうじて持ち直した士気は完全にへし折られた。


 野営地は、再び狂気の混乱へと叩き落とされる――。


 


 敵陣で繰り広げられる惨劇を見下ろしながら。


 騎鳥に跨がったオールドマンはパイプを咥え、細く、淡い煙を吐き出した。


 


 ザッ、ザッ、ザッ。


 背後から、統率の取れた足音が近づいてくる。


 


 音のする方へ振り返ると、そこには司令部の命令に従い、防衛線を構築するためにやって来た都市防衛歩兵たちが整然と列をなしていた。


 


(――想定外のプレゼントだな。この茶番を終わらせるには丁度いい)


 


 眼下の状況を前に呆然としている歩兵たちを見て、オールドマン自身も予想外の展開に、口角を歪めてニヤリと笑った。


 傍らの海軍兵士へ命じる。


 


「射撃中止」


 


 指示を受けた兵士が大部隊を迂回し、後方の弩砲兵たちへ向けて旗を振る。それを見届けると、オールドマンは歩兵たちに向かって声を張り上げた。


 


「全軍聞け!前進し、俺を基準にして布陣せよ!」


 


 混乱の極致にあった敵陣。


 生き残った兵士たちとバイ指揮官は、敵の砲撃が止んだことに気づき、一斉に歩兵が集結しつつある高台へと目を向けた。


 


 バイ指揮官は、無惨に破壊された自陣を見回し、そして高台にズラリと並ぶ敵軍を見上げる。


 先程までの戦闘のディテールが、脳裏でフラッシュバックする。


 


 ――そこで、彼はようやく悟った。


 この奇襲は、敵が「何も知らなかった」わけではない。


 奴らは全てを把握した上で、罠を張り、獲物が死にに来るのを待っていたのだと……。


 


 魂が抜けたように、バイ指揮官はフラフラと高台の方へ歩み出る。


 そして、ありったけの声を振り絞って叫んだ。


 


「降伏する!」


 


 予想通りの結末。


 オールドマンは満足げに頷き、都市防衛歩兵たちに後を追うよう指示し、捕虜を縛り上げるよう命じた。


 そして自ら騎鳥を駆り、歩兵たちを引き連れて敵陣へと乗り込んでいく。


 


 兵士たちが次々と敵軍を後ろ手に縛り上げていく中。


 オールドマンは騎鳥から飛び降り、パイプを咥えたまま、ゆっくりとバイ指揮官の隣に腰を下ろした。


 


 パイプを取り外し、軍靴の踵でコンコンと灰を叩き落としながら、流暢な交易語で口を開く。


「お噂はかねがね、バイの指揮官殿」


 


 バイ指揮官は、見ず知らずの老軍官を冷たい目でにらみつけ、交易語でこう返した。


「俺を辱めるために来たのなら……」


 


「そんな義務も趣味も持ち合わせちゃいねぇよ、指揮官殿。ただの世間話さ」


 オールドマンはどっこいしょと尻をずらし、腰に下げていた煙草入れから葉をパイプに詰め直す。


 


「あんたの直接指揮……実に見事な奇襲だった」


 


 言いながら魔法水晶を取り出し、パイプに押し込む。数度吸い込み、煙が立ち昇り始めたのを確認してから、淡々と吐き捨てた。


「だが惜しいな。そいつは、俺がとうの昔に遊び尽くした手口やりかただ……」


 


「よく聞け。この手の専門分野じゃ、俺が『ユア・ダディ』なんだよ……」


 


 パイプを咥え、残敵掃討と後片付けをしている兵士たちを眺める。そして彼らを指差し、続けた。


 


「見な、あの歩兵ども。あいつらが現れたのは俺にとっても想定外だった。だが、お前らの士気を完全にへし折るには最高のタイミングだったな」


 


 バイ指揮官がギリッと拳を握りしめ、骨の鳴る音が響く。


 オールドマンは口角を吊り上げ、とどめを刺すように言った。


 


「種明かしをしてやろう。実際にお前らが相手にしていたのは、あの騎兵部隊と、後方に控えていた艦載弩砲の射手だけだ」


 


 押し黙ったままのバイ指揮官を見下ろし、オールドマンは立ち上がる。パンパンと尻の砂を払い、通りかかった自軍の兵士を呼び止めた。


 


「おい、お前。騎兵どもに艦載弩砲を一台引いてこさせろ。ついでに騎鳥も一羽連れてこい」


 


 半日が経過。


 兵士たちは手分けして、遺体と捕虜を輸送船に乗せ、さらに艦載弩砲と騎鳥も船倉へと運び込んだ。


 


 乗船しようとしているバイ指揮官の前に、オールドマンが立ち塞がる。


 普段の飄々とした目をカッと見開き、冷酷な声で言い放った。


 


「帰れ。その艦載弩砲と騎鳥を持って帰り、上の連中にこう伝えろ」


「この『オールドマン』は……たったこの二つだけで、お前らを壊滅させたとな。今後また、他人の庭を荒らしに来るつもりなら――せいぜい、よく考えてから来ることだな」

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