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【第一章:鞘から溢れ出す怒り(ㄧ)】

 士官や兵士たちが喧騒とともに行き交う廊下を抜け、オールドマンは会議室へと足を踏み入れた。


 演壇でのブリーフィング。


 代わり映えのしない定例訓練の報告。


 そして、退出。


 千篇一律のルーチンの中で、歳月だけが静かに流れ去っていく――。




 重なり合っていた双月が、それぞれの軌道へと別れていく。


 荒れ狂っていた海域は次第に凪ぎ、潮の満ち引きと共に、ホンヴァーシャの外港が再びその姿を現した。




 東の水平線から、朝の光がゆっくりと昇り始める。


 港務所の労働者たちが力を合わせ、重厚なウインチを回す。


 軋む音と共に、海水を湛えた水門が開け放たれた。


 吐き出される水流に乗って、漁船や軍艦が次々と外港へと滑り出ていく。




 外海へと出た漁師たちは、一斉に網を打ち始める。


 その中の一隻――群れから離れ、澄み切った海域へと船を進めた漁師が、ひとり漁の準備に取り掛かっていた。




 ふと、腰を上げたその時。


 地平線で跳ねるような眩しい陽光の中に、不自然な黒い影の群れが、彼の視界に飛び込んできた。




 好奇心に駆られた漁師は、傍らの望遠鏡を手に取り、レンズを覗き込む。




 ――見たこともない中型船。


 しかも、国旗すら掲げていない。




 そんな所属不明の船団が、陣形を組み、まっすぐに故郷へと進路を取っていた。


 得体の知れない不安が込み上げる。


 漁師は慌てて網を引き揚げ、ホンヴァーシャへと急ぎ舵を切った……。




 波に揺られる船体。


 薄暗い船倉の中では、無数の兵士たちが息を殺し、完全武装で待機していた。


 その最奥。バイ王朝の制式軍服に身を包んだ指揮官が、海図台の前に鎮座している。




 傍らで明滅する魔法水晶マジッククリスタルの光。


 照らし出された海図には、二つの航路が引かれていた。


 一つはホンヴァーシャ公国の南部軍港。もう一つは、南西に位置する『白きホワイト・ベイ』へと真っ直ぐに伸びている。




 机の片隅に置かれた勅令と作戦指令書には、こう記されていた。




『我が王朝によるホーリー・グロリア・キュリアへの北征において、ホンヴァーシャの度重なる干渉により甚大な被害が生じている。よって聖帝陛下はここに勅令を下す――。即刻ホンヴァーシャへ遠征し、これをバイの版図に収めよ。以て、今後の包囲網形成の礎とせよ』




『バイ指揮官へ:


 海洋の覇者ホンヴァーシャを前に、貴官の提言である「正面を避け、虚を突く」策を承認する。本司令官は自ら艦隊を率い、敵艦隊を封鎖。これにより、敵艦から防衛軍への支援を断つ。


 貴官が破竹の勢いで敵港を奪取し、初戦を飾ることを期待する』




 波が船体を打ち据える音と共に、漁師は這うようにして埠頭へ飛び乗った。


 左右を見回し、焦燥の面持ちで近くの港務員を捕まえると、まくし立てるように自身の発見を報告する。




 その凶報は、瞬く間に広がった。


 司令部内。士官と兵士たちが慌ただしく廊下を行き交う。


 人波を掻き分けながら歩くオールドマンは、パイプを咥え、部下から上がってくる漁師の報告と敵艦の情報を黙って聞いていた。




 険しい表情のまま会議室の前へ辿り着き、重い扉を押し開ける。


 室内では、指揮官たちが巨大なジオラマ(沙盤)を囲み、防衛網と兵棋演習について激しい口論を交わしていた。




 オールドマンは無言のままジオラマ台に近づく。


 飛び交う指揮官たちの怒号から断片的な情報を拾い上げ、部下からの報告と照らし合わせる。


 情報を一つにまとめ上げた。




 オールドマンの視線が、ジオラマの上を鋭く滑る。


 バンッ!!


 突然、台の縁を力任せに叩き、彼は声を張り上げた。




「俺にいくらかの『艦載弩砲』と騎兵を回せ。それだけで、敵のケツを蹴り飛ばして国へ送り返してやる」




 唐突な狂言。


 会議室の指揮官たちは一瞬、水を打ったように静まり返った。やがて、その中の一人が怒りを露わにして怒鳴りつける。




「貴様、何様のつもりだ!いつもは大人しい癖に!今は国家の存亡が懸かってるんだ、すっこんでろ!」




「現状は防衛線を構築し、敵軍を遅滞させるべきだ!艦隊が封鎖を突破するのを待ち、挟撃する!」


「いや!敵を深く誘い込み、一網打尽に……」




 再び机上の空論に熱中し始めた指揮官たちを一瞥し、オールドマンは鼻で笑った。


「ふん」




 そのまま踵を返し、扉を蹴り開けて部屋を出る。


 廊下に出るなり、手近な兵士の胸倉を掴んで命じた。




「おい、お前。手を止めろ。今すぐ工房へ走って、完成済みの艦載弩砲を台車に載せろ。俺の命令だと言え。走れ!」




 オールドマンの肩に掛けられた指揮官用の軍外套コートを見た兵士は、何も言い返さなかった。


 鋭く敬礼し、脱兎のごとく駆け出していく。




 オールドマンはさらに、向かってくる別の士官を睨みつけ、怒鳴りつけた。




「そこのお前も止まれ!今すぐ騎兵隊の駐屯地へ行って人を呼んでこい!『親玉ボス』が二部隊要求してると伝えろ。一部隊は工房へ向かわせ、台車を引っ張らせろ!全員、白きホワイト・ベイの丘に集合だ!俺はそこで待ってる!」




 言い捨てるなり、周囲を見回す。


 海軍の制服を着た兵士に目を留め、指を差した。




「お前!こっちへ来い。艦載弩砲の射手を何人か見繕って、白きホワイト・ベイの丘まで走らせろ」




 矢継ぎ早に指示を出し終えると、オールドマンはパイプを外し、自身も即座に白きホワイト・ベイへと歩みを進めた――。




 重い足音を響かせながら。


 バイの兵士たちは、砂浜に乗り上げた輸送船から、整然と物資や機材を降ろしていた。

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