【序章:オールドマン】
日没の残光が世界を染める中、半空を幾筋もの火球が切り裂いた。放物線を描いて着弾したそれは、鼓膜を震わせる咆哮と共に炸裂する。武器を掲げたオークたちが、未だ熱を帯びた巨石を迂回し、前方へと突撃を開始した――。
天を揺るがす爆発音。分裂した火球の破片が戦士たちの頭上を飛び越え、東大陸へと降り注ぐ……。
ナレーション: 「おい! 3A級ムービーの冒頭だってのに、開始二秒でなんで画面が止まるんだよ!?」
「……何? 1ドルポッキリじゃここまでだって? 0.5秒おまけしたから十分だぁ? おい! ちょっと待て、おい!?」
「……え、ええー、ハッ……。少々トラブルがありまして……。シュ、シュシュッ――プププッ! 数万の矢が空を覆い尽くし……!」
「おい! 何なんだよ! 二秒で止まって何が3A映画だ!」 「つーか誰だよお前! 講談師のパフォーマンスでも見せに来たのか!?」 「詐欺だろ! 金返せ!」 「本編でも乱入してきやがって、おかげで会話が読み飛ばされたんだぞ!前日譚でもまたこれかよ! 返金しろッ!」
ナレーション: 「違うんだ、話を聞いてくれ……。うわっ、こっちに来るな! ぎゃあああッ!」
「レット・ミー・トーク・トゥ・ユー!フーズ・ユア・ダディ!(話を聞け、俺がお前のパパだ!)」 「あがぁぁぁッ!」
「三王子が失踪されたぞ! 捜せ、早く捜すんだ!」
華麗な邸宅の外。庭園の中では、ポニーテールに結ったあどけない少年が、生垣の下の草むらに忍び足で潜り込んでいた。
少年は塀の下まで辿り着くと、深く息を吸い込んだ。息を止め、渾身の力で緩んだレンガを押し出す。レンガが塀の外へと転がり落ちると、彼はその隙間を抜けて、外の世界へと躍り出た。
少年の瞳は好奇心に輝いている。彼は立ち並ぶ建造物――民家が密集するエリアへと、軽快にスキップを踏みながら向かっていった。
活気あふれる市場。新鮮な光景に、少年は右を向き左を向き、何か新しいものを見落とすまいと目を皿にしている。しかし、道ゆく大人たちは、少年の身なりを目にすると、まるで怪物でも見たかのように顔を強張らせ、遠巻きに避けていった。
少年がキャンディの露店の前に立ち、金貨の詰まった袋を取り出した時だ。店主は顔を真っ白にさせ、口を開く暇も与えず、店に麻布を被せて家の中へ逃げ込んでしまった。
落胆した少年は、ようやく気づいた。周囲の大人たちが、自分を異質な、そして恐ろしいものを見るような目で見つめていることに。彼は鼻を啜り、静まり返った市場の中を、独りぽつねんと歩き続けた。
彷徨ううちに、少年は一箇所の裏路地に迷い込んだ。そこが行き止まりであることに気づき、大通りへ引き返そうとしたその時。背後から、子供らしい嘲笑の混じった声が響いた。
「……ひゃはは! お前、マジで救いようのないバカだなぁ。そんな貴族の格好してたらさ、誰だってビビるに決まってんだろ」
貴族の少年が振り返ると、裏路地を遮る塀の上に、同年代の「糸目」の少年が腹ばいになっていた。
「よっと……。大人たちにビビられたくないんなら、俺についてきな。いい方法があるぜ」
糸目の少年は塀から飛び降りると、ズボンをパンパンと叩き、貴族の少年に向かってニヤリと笑った。 「あ、そうそう。俺はオールドマンってんだ。お前は?」
貴族の少年はしばらく呆気にとられていたが、慌てて答えた。 「さ、三王子……だ……」
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装飾の華麗な書斎。デスクの前に座る青年の三王子は、困ったように耳のあたりを掻き、対面に座る青年のオールドマンに言った。 「……おい、相棒。お前、今回のはやりすぎだぞ。教官が直々に俺のところへ訴えてきたんだ。『海戦の対局演習で、海賊になりきって船を拿捕する奴がどこにいる』ってな」
青年のオールドマンは椅子に横向きに座り、片腕を背もたれにかけていた。彼は気にする様子もなく、肩をすくめて微笑を浮かべた。 「言ったはずだぜ、老友。俺を軍事学院なんかに放り込めば、遅かれ早かれ教官連中がノイローゼになるってな」
三王子は気怠げに背もたれに身を預け、後頭部で両手を組んだ。彼は口を尖らせてぼやく。 「相棒……。お前に最低限の箔がついてなきゃ、俺だって後の手配がしにくいんだよ……」
オールドマンは首を傾げ、笑って返した。 「老友、お前なら分かってるだろ。俺がルールに従ったことなんて、一度もねえよ」
三王子はデスクに身を乗り出し、オールドマンの糸目を真っ直ぐに見据えた。 「俺の顔に免じて、少しだけ耐えてくれ。卒業して、士官の証明書さえ手に入れればいい。頼むぜ、相棒」
オールドマンは姿勢を正し、やれやれと首を振った後、小さく笑った。 「……分かったよ、老友。お前の頼みなら妥協してやる。だが、他の奴らには一切譲らねえからな」
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灯火の明るい書斎。壮年となった三王子はデスクに座り、手元の書簡を読んでいた。やがて、彼は満足げな笑みを浮かべる。 「……またしても、完璧な防衛戦だな」
彼は演説者の口調を真似て、書簡の内容を朗読してみせた。
『――ホンヴァーシャ公国へ捧ぐ。貴国の迅速なる救援に心より感謝する。我らの協力により敵の攻勢を阻むことに成功した。聖光は明らかに我らに味方し、奇跡を示したのだ。聖光の敵たる相手方の補給路を断ち、前線の敵軍を撤退へと追い込んだのである』
朗読を終えると、彼は書簡をデスクに置いた。そして視線を対面へと向ける。 そこでは壮年のオールドマンが、微かな熱を帯びた魔法水晶を手に取り、手慣れた手つきでパイプの葉に火を点けていた。
紫煙を一口くゆらせる。軍用コートを羽織り、靴には未だ泥がこびりついたままのオールドマンは、パイプを咥えたまま不敵に笑った。 「だろ? あいつらのところの土産も少し持ってきたんだ。食ってみるか?」
「バイの方が、お前のしでかした事を知ったら、間違いなく発狂するだろうな」 三王子はそう言いながら、オールドマンがデスクに置いた麻袋を眺めた。散らばった異国の軍糧を見て、興味津々に尋ねる。 「どれがオススメだ?」
「……俺が何をしたか、世間に知れ渡るようじゃ、あんたの向かい側に座る資格はねえよ」
オールドマンは最初の問いに悠々と答えると、続けて言った。 「老友、俺は悪くないものだけを選んで残しておいてやったぜ」
室内の空気は極めてリラックスしていた。三王子は異国の軍糧を美味そうに咀嚼し、目を細めてからかった。 「まったく、お前という奴は。俺と同じように光り輝く舞台に立ち、衆人の仰望を浴びることもできるのに。……頑なに拒むんだからな」
その言葉を聞き、オールドマンは呆れたように笑い飛ばした。彼は腰を上げ、側腰に下げていた軍刀を抜き放つと、それをデスクの上に水平に置いた。 「……名刀を、こんなふうに明々と人目に晒しておけばな。いずれ誰かが研究し、錆びた箇所に気づく日が来る……」
王子はデスクの上、自分を映し出す軍刀を見つめ、眉を跳ね上げてオールドマンを盗み見た。彼は口角を上げ、玩味するように問う。 「……その振る舞い、一歩間違えれば不敬罪で首が飛ぶぞ?」
「あんたはそんなことしないさ、老友」 オールドマンはそれを受け、軽やかに笑った。彼は軍刀を鞘に収めると、淡々と言った。 「……分かってるだろ。俺はお前の匕首だ。お前が剣を向けたその先で、俺はただ、機を伺うだけさ」
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オールドマンは窮屈そうに襟元をいじり、鏡に映る礼服姿の自分を眺めた。隣でかいがいしく世話を焼く三王子に愚痴をこぼす。 「……おい、老友。どうしてもこの、窒息しそうなほど窮屈な礼服を着なきゃならんのか?」
三王子はオールドマンの礼服をパンパンと叩き、皺一つないように裾を整えた。 「相棒。子供の頃、俺がお前の平民の服を着させられた時、俺は一度も文句を言わなかったぜ? なのに今、お前が貴族の服を着る番になったらこれだ。情けないと思わないのか?」
オールドマンは初めて、心底困り果てたような表情を見せた。 「……当たり前だ。ゆったりした服のほうが、よっぽど自由でいい」
「相棒。お前の未来の義父になる男爵は、俺を子供の頃から可愛がってくれた人なんだ。俺が心を砕いて、ようやくあの男爵を説得し、お前を彼の独り娘と引き合わせたんだぞ。少しは俺の面子を立ててくれよ」
三王子は満足げにオールドマンの背中を叩き、笑った。 「相棒。我が聖光よ、見てくれ。お前、本物の貴族よりよっぽど様になってるぞ」
「……よしてくれ、老友。体が強張って、落ち着かないんだ」 オールドマンは不快そうに身を震わせ、礼服が体に張り付くのを嫌がった。
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何度も通り抜けた、あまりに馴染み深い廊下。 今、その一歩一歩が重い。刻まれた思い出が、制御を失った野獣のように次々と溢れ出していく。
暗流渦巻く王権争いの中で、三王子が敗北したという報せ。そして、三王子の従者から告げられた、死の間際の召見。
オールドマンは無表情のまま、三王子の寝室の前に辿り着き、扉を開いた。
薄暗い寝室。そこには微塵も生気が感じられなかった。壁際のベッドには、髪を乱し、顔面蒼白で激しく憔悴した三王子が横たわっていた。
彼は紫に変色した唇をわずかに開き、曇りきった瞳を、傍らに駆け寄ったオールドマンへと向けた。
三王子は残された力を振り絞り、手を伸ばした。オールドマンは片膝をつき、両手でその手を受け止める。
三王子の震え続ける唇から、無理やり笑みが溢れた。彼は、弱々しく口を開く。
「……分かっている、怒っているんだろう……相棒。兄上たちを責めるな……」
「頼む……私は身分を捨て、一人の相棒として懇願する……。お前のその怒りを、ホンヴァーシャを守るために使ってくれ。相棒……これが、俺が最後に『剣を向けた』場所だ。打ち壊すのではなく……守り抜いてくれ。俺たちの……家を……」
三王子の瞳孔は緩やかに拡散し、その眼差しは最終的にオールドマンの上で定まった。彼は口を微かに開けたまま、まるで時間がこの一刻で完全に凍結したかのようであった。
オールドマンは三王子の手を捧げ持ち、ゆっくりと立ち上がった。彼は老友の手を、その胸元へと大切に安んじた。
オールドマンは虚ろな表情で、静かに三王子の枕元に侍り、時の流れるに任せた。使用人たちが出入りし、侍医が死を確認し、死装束を整え、棺へと安置するまで。開かれたカーテンの向こう、夕暮れから夜へ、そして再び早朝の光が差し込むまで。
ついに、扉が静かに開かれた。一人の婦人が黙然とオールドマンの背後に立ち、指輪のはまった手を、彼の肩へと優しく置いた。 オールドマンはそこでようやく呼び戻されたかのように、同じく指輪を嵌めた手を上げ、彼女の甲の上に静かに重ねた。
二人はもはや往時ではない邸宅を離れ、棺に従い、白花が敷き詰められた道を進んだ。棺が深い地底へと沈んでいくのを見届け、二人はようやく、馴染み深く温かな我が家へと戻った。
玄関の扉を開けると、オールドマンは無邪気に駆け寄る子供たちを迎え入れるように腰を落とした。純真な笑顔を見つめるうちに、彼の強張った顔は自然と解け、柔らかな微笑みが零れた。
彼は厚い両手を伸ばし、自らの糸目を受け継いだ娘と、妻に似た輝く瞳を持つ息子の頭を、愛おしそうに撫でた。




