第六話 元婚約者の妹は怖いと言った
ジョナサンの妹、キャサディ・オルスタインが訪ねてきたのは、婚約解消の確認書へ署名した翌朝だった。
先触れもなく、供には年配の侍女が一人だけ。
玄関で迎えた母へ、キャサディは深く頭を下げた。
「急に申し訳ございません。アプリコット様に、どうしてもお話ししたいことがあって参りました」
「昨日のことなら、あなたが謝る必要はありませんよ?」
「兄の代わりに謝りに来たのではありません」
キャサディは顔を上げた。
「もっと早く、私が申し上げるべきだったことです」
母が私を見た。
「コッティ。お部屋へお連れしては?」
「ええ。こちらへどうぞ」
私の居間へ案内すると、キャサディはいつも座っていた長椅子の前で足を止めた。
これまでなら、私の隣へ座っていた。
「どちらへ座ればよろしいでしょう」
「お好きなところへ。昨日までと何も変わりませんわ」
「でも、兄との婚約は」
「あなたと婚約していたわけではありませんもの」
キャサディの口元が、わずかに緩んだ。
「では、こちらへ座ります」
私の隣へ腰を下ろし、持っていた小さな鞄を膝へ置く。
侍女が茶を用意する間、キャサディは鞄の留め金を何度も触っていた。
「キャサディ。まずお茶を飲みましょう」
「はい」
「急がなくても、午前中は空いておりますわ。午後にも大した予定はありませんし、昨日まで予定していたことがいくつかなくなりましたので、むしろ時間はあります」
「その言い方をなさると、やっぱり兄が腹立たしくなります」
「もう十分に腹を立ててくださったのでしょう?」
「足りません!」
即答だった。
茶が運ばれ、侍女たちが部屋を出る。
キャサディは一口飲んでから、ようやく鞄を開く。中から取り出したのは、小さな革張りの手帳だった。
「これは?」
「私が気づいたことを書いたものです」
「まあ」
「コッティ様は、すぐに順序や日付をお尋ねになりますから。覚えているだけでは、途中で分からなくなると思って」
「よく分かっていらっしゃいますわね」
「長いお付き合いですもの」
少し寂しそうに言ってから、キャサディは手帳を開いた。
「最初に気づいたのは、去年の春です。コッティ様が青い羽根飾りをお使いになった次の夜会で、アザリア嬢もよく似たものをつけていました」
「羽根飾りなら、流行しておりましたわ」
「はい。私もそう思いました。次は、髪です。右側を細く編んで後ろへ回す結い方」
「それも髪結いが勧めたのでしょう」
「その次は、手袋の釦でした」
「釦?」
「真珠ではなく、薄い貝を四枚並べたものです。コッティ様がご自分で図を描いて、職人へ頼んだとおっしゃっていたでしょう」
思い出した。袖口を留めるための小さな釦で、四枚を花のように並べていた。
「アザリア嬢も、同じものをつけていたの?」
「形は同じでした。大きさが少し違っていましたけれど」
「わたくしが仕立屋を紹介したからかもしれませんわ」
「ええ。ですから、その時も何も言いませんでした」
キャサディが頁をめくる。
「それから、コッティ様がお読みになった本。お使いのインク。手紙の端へ、日付と用件を小さく書く癖。お菓子を選ぶ時に、甘いものと酸味のあるものを一つずつ頼むこと」
「そんなことまで見ていたのですか」
「私ではなく、アザリア嬢がです」
キャサディは手帳から一枚の紙片を抜いた。
以前、アザリア嬢からキャサディへ送られた手紙らしい。
右上には日付。その下に、小さな文字で「春の音楽会について」とある。
私も手紙を書く時、あとで探しやすいよう同じ位置へ用件を記していた。
「偶然では済まないと感じたのは、これを受け取った時です」
「いつですの?」
「三か月前です。それまでは、服や髪を真似したいほどコッティ様へ憧れているのだと思っていました。でも、手紙の書き方まで変える必要があるでしょうか」
「便利だと思ったのかもしれません」
「コッティ様」
「はい」
「そうやって理由を探すところも、あの方は真似していました」
返す言葉が止まった。
「誰かが失敗すると、アザリア嬢は以前ならすぐに『困った方ですわね』と笑っていたんです。それが最近は、『そうするだけの事情があったのかもしれません』と言うようになりました。兄は、思いやりのある方だと褒めていました」
「それは、よい変化なのでは?」
「言葉だけなら」
キャサディは手帳を閉じかけ、また開いた。
「コッティ様は、理由を考えたあとで、その人が何をしたかも確かめるでしょう。アザリア嬢は違います。兄が間違えた時だけ、事情があったと言うんです。使用人が同じことをすると、きちんと叱ります」
「ジョナサンへ気に入られたかったのなら、あり得ることですわ」
「はい。私も、そう思おうとしました」
キャサディの指が、頁の角を押さえた。
「でも、あの方は兄を見ていません」
「見ていない?」
「兄とお話ししている時より、《《コッティ様のお話をしている時のほうが楽しそう》》なんです」
声が少し低くなった。
「兄が領地の話をしても、途中で退屈そうにしています。でも、『コッティならこう言うだろう』と口にすると、急に身を乗り出すんです。何とおっしゃるのか、どうしてそうお考えになるのか、今は何をお読みなのか。兄が知らないと答えると、がっかりして」
「わたくしへ直接尋ねればよかったのでは?」
「尋ねていました」
そうだった。
アザリア嬢は何度も、読んでいる本や仕立屋、菓子店について尋ねてきた。
私もそのたびに答えた。
「それでも足りなかったのだと思います」
「何がですの?」
「コッティ様のお話を聞くだけでは」
キャサディは一度、唇を湿らせた。
「兄の隣にいる時のコッティ様を見て、あの場所へ座れば、自分も同じようになれると思ったのではないでしょうか」
「同じように?」
「皆に頼られて、家族に大事にされて、兄から結婚を約束されているコッティ様に」
「キャサディ。それは少し話が飛んでおりますわ」
「分かっています。証拠があるわけでもありません」
「なら、決めつけるのは――」
「でも、怖いんです」
キャサディの手が、閉じた手帳を強くつかんだ。




