第四話 本当に話が進んでいましたのね
オルスタイン家から返事が届いたのは、翌日の昼前だった。
リーフェル家からの使者も、ほとんど同じ時刻に門をくぐったという。
「相談して、同時に出したのかしら」
チェリーが二通の封書を見比べる。
「たまたまかもしれませんわ」
「コッティ。昨日から、たまたまを拾いすぎ」
「可能性を最初から捨ててはいけませんもの」
「でも、拾ったたまたまが全部、向こうに都合がいいじゃない」
それはそうだった。
父は先に、オルスタイン家の封を切った。
応接室には父と母、私、レニー、チェリーがそろっている。姉のフェルはアルゲート家へ戻っていたが、返事が届き次第知らせることになっている。
父は書状へ目を通し、途中で一度、眉を上げた。
「何と?」
レニーが身を乗り出す。
「待て。最後まで読む」
父はもう一枚をめくった。
私は茶へ手を伸ばしたが、まだ熱い。カップを戻して、父の手元を見る。
「オルスタイン侯爵は、ジョナサンとアザリア嬢の婚姻を認める意向だそうだ」
「認める前に、こちらとの婚約があるでしょう」
レニーがすぐに言った。
「そこも書いてある。長年にわたり両家で育んできた縁を惜しみつつも、若い二人の真摯な思いを尊重したい。アプリコットも聡明な令嬢であるから、愛情のない結婚を望みはしないだろう、と」
「わたくしの聡明さとやらを、勝手に承諾へ使わないでいただきたいですわ」
「同感だ」
父は書状をテーブルへ置いた。
「つまり、コッティなら騒がないと思ったのね」
母の言い方は穏やかだったが、書状を見る目は穏やかではなかった。
「騒ぐつもりはありませんわ。ただし、騒がないことと、何をされても承知することは違います。わたくしが感情的に拒絶しないと見込んで、先に話を進めたのでしたら、それはわたくしを信頼したのではなく、扱いやすいと判断しただけですもの」
「その通りだよ」
レニーが書状を取った。
「まだある。婚約解消については、双方に責任を問わず、これまでの贈答品を返却することで穏便に収めたい。式や新居に関して支出した費用があるなら、明細を確認のうえ相談する、と」
「双方に責任を問わず?」
チェリーが顔をしかめる。
「向こうが別の人と結婚したいのに?」
「お兄様。続きを」
「ああ。アザリア嬢との婚姻は、できるだけ早く正式に発表したいらしい。余計な憶測が広がる前に、だそうだ」
「すでに二人で並んで、わたくしへ話をなさっていますのに?」
「だから急いでいるんだろう」
レニーは書状を父へ返した。
「やれやれ、自分たちが先に動いたことを、恋を貫いた美談にしてしまいたいんだ」
「レニー」
母が名前を呼んだ。
「言葉が強い?」
「いいえ。珍しく、ちょうどいいと思いました」
兄は少し驚いた顔をした。父がもう一通へ手を伸ばす。
「次はリーフェル家だ」
赤褐色の封蝋には、リーフェル伯爵家の紋章が押されている。父が読み進める間、今度は誰も口を挟まなかった。
「こちらは、さらに話が早いな」
「何と?」
「リーフェル伯爵は、娘の婚姻にあたり、持参金として金貨八千枚を用意する。加えて、オルスタイン領南部と接する放牧地をアザリア嬢へ譲り、両家で共同管理している川港の倉庫について、オルスタイン家の優先使用を認めるそうだ」
「まあ」
母が小さく言った。
「随分とよい条件ですわね」
私が言うと、父は私を見た。
「そうだな」
「オルスタイン家が喜ぶのも分かります。南部の放牧地については、以前から境界の入り組み方が問題になっていたはずです。リーフェル家から所有権が移れば管理しやすくなりますし、川港の倉庫も、収穫期には不足していましたもの。持参金まで合わせれば――」
「コッティ」
母が止めた。
「はい」
「向こうの利点を、そこまで丁寧に考えてあげなくていいの」
「でも、なぜ両親まで話に乗ったのかは分かりましたわ」
ジョナサン一人なら、恋に浮かれて手順を忘れたのだと思えた。
オルスタイン侯爵夫妻まで、私との婚約を残したまま次の話を進めた理由が、これで少し見えた。
――息子が選んだ女性。
――自分たちより身分は一つ下でも、家柄に問題はない。
――土地の問題が片づき、港も使いやすくなり、多額の持参金も入る。
――今の婚約者は聡明で、話せば理解する。
なるほど。ずいぶん都合がいい。
「それで、いつから話していたのです?」
「書いてある」
父が二枚目を開いた。
「最初にジョナサンから相談を受けたのは、ひと月ほど前だそうだ」
「ひと月」
私の声が少し大きくなった。
「その後、オルスタイン家から正式ではない打診があり、条件について両家で話し合っていた。まだ婚約は成立していないが、フラクタル家との縁が解かれ次第、速やかに進められるよう準備している、と」
「では、三日前のお手紙は……」
「何と書いてあったの?」
チェリーに聞かれ、私は内容を思い返した。
「来月の領地視察について相談したい、と。帰りに新しい菓子店へ寄ろうとも書かれていましたわ」
「ひと月も前から、別の人との婚約を相談してたのに?」
「そうなりますわね……」
「最低!」
「チェリー」
「お母様! これくらいは言ってもいいでしょう」
「今日は許します」
妹は腕を組んだ。
「ひと月もあれば、コッティへ話す日はいくらでもあったじゃない。それなのに、アザリア嬢を隣へ座らせるまで黙っていたの?」
「一人では話しにくかったのかもしれません」
「まだ庇うの?」
「庇ってはおりません。理由を考えているだけですわ」
「同じに聞こえるわ」
「同じではありませんわ。理由が分かることと、許せることは別ですもの」
言いながら、自分でも妙だと思った。
昨日までなら、ジョナサンがなぜそうしたのかを考えれば、最後には彼の事情へたどり着ける気がしていた。
今は違う。
理由をいくつ並べても、その先にあるのは、ひと月の間、何も知らずに領地視察の予定を立てていた自分だった。
「リーフェル伯爵は、こちらが承知していると思っていたのでしょうか」
父へ尋ねる。
「オルスタイン侯爵からは、コッティにも近く話すと聞いていたそうだ」
「近く」
「日付は書いていないな」
「……では、リーフェル家も、わたくしが知らない可能性は考えていたのですね」
「そうなるな」
「それでも条件を出し、土地の譲渡について話していた」
「ああ」
「そして昨日、ジョナサンはわたくしに『先に伝えに来た』と言いました」
テーブルの上には、二通の書状が並んでいた。
一通には、私なら理解すると書かれ、もう一通には、ひと月前から話していたと書かれている。
ジョナサンの言う「先」とは、何より先だったのだろう。
正式な発表より? 婚約式の日取りを決めるより? 世間へ知られるより?
少なくとも、家同士の相談より先ではない。
「本当に話が進んでいましたのね」
誰へともなく私は言う。母が私の手へ触れた。
「コッティ……」
「大丈夫ですわ、お母様。いえ、大丈夫という言い方はおかしいですわね。まだ何が大丈夫で、何が大丈夫でないのか決めておりませんもの。ただ、昨日の話がジョナサンの思いつきではないことは分かりました。アザリア嬢と二人だけで盛り上がって、周囲が慌てて止めているのでもありません。オルスタイン家もリーフェル家も承知して、条件まで整えている。それなら――」
「まあ、そこで一度止まろう」
父が言った。
「はい」
「お前は、もう結論まで行きそうだ」
「まだ途中ですわ」
「お前の途中は、たいてい人の結論より先だ」
チェリーが笑いそうになり、途中で口元を押さえた。
父は二通の書状をそろえた。
「こちらから、正式な会談を求める。オルスタイン侯爵夫妻、ジョナサン、必要ならリーフェル伯爵も同席させる」
「アザリア嬢は?」
「まずは今ある婚約をどうするかの話だ。彼女を入れる必要はない」
「でも、昨日は同席しておりましたわ」
「それがおかしいのだ」
父の返事は短かった。
「コッティ。お前も出るか」
「もちろんですわ」
「話が長くなるぞ」
「それは、お父様たちが適度に止めてくだされば」
「先方は慣れていない」
「ジョナサンは慣れておりますわ」
言ったあとで、少し考えた。
「……いえ、慣れていると思っておりました」
父は書状を重ね、テーブルの端へ置いた。
「では、明日の午後に来るよう返事をする」
「明日ですか」
「向こうが早く発表したいのだろう。こちらも、娘の婚約を宙に浮かせておくつもりはない」
レニーが立ち上がった。
「これも返書は僕が書きます。今回は見せる前に出したりしないから安心しろ、コッティ」
「昨日も、きちんと見せてくださいましたでしょう」
「念のためだ」
「では、会談へ持参するものもまとめます。婚約時の書面、これまでの贈答品の一覧、式に向けてすでに支払った費用、それから――」
「コッティ」
「はい、お父様」
「昼食にしよう」
「昨日と同じ止め方ではありませんか」
「昨日、効いたからな」
父が立つ。
ほかの家では、一か月前から私の婚約を終わらせる話が進んでいた。
けれどこの家では、昼食の時間まで私を置いて進むことはない。
左手の手袋を外すと、婚約指輪が、窓から入る光を返す。
「これは明日まで、つけておきますわ」
誰も、外せとは言わなかった。




