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勇者召喚された俺のギフトは村作り~無能と追放されたので辺境に最強の村を作ります。  作者: 葉月


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21話 ドライアド

 翌日もいつもと同じように畑を見回り、ベンゾウと労務管理の話をして、ガザと子供たちの様子を見て回った。


 特に大きな問題はない。

 村は平和だった。


 だからこそ、その夜の異変は唐突だった。


 ――カンッ! カンッ! カンッ! カンッ!


 村にけたたましい半鐘の音が鳴り響いた。


「なっ、なんだ!?」


 耳をつんざく金属音に飛び起きた俺は、寝巻きの上から慌てて上着を引っ掛け、自宅を飛び出した。


 夜の冷たい空気が肌を打つ。


 村のあちこちで灯りが点き始め、住民たちが何事かと家から顔を出しているのが見えた。


 だが、それを気にしている余裕はない。

 半鐘が鳴るということは、ただ事ではない。


 俺は物見櫓へ向かって全力で駆け出した。


 櫓には夜間警備を担当していたホムラがおり、金づちで何度も半鐘を叩いていた。


「起きろぉおお! みんな起きるんだぁあああ!」


 静まり返った夜の村に甲高い金属音が響き渡る。ホムラは喉が張り裂けんばかりの声で叫び続けていた。


「ダークゴブリン部隊、戦闘準備だ! 何か来るぞ!」


 ホムラは櫓の上から北の方角――死海を睨みつけている。


 何かいるのか。

 だが、地上からでは何も見えなかった。


「ホムラ! 何があった!」


 俺は梯子を駆け上がりながら叫ぶ。


「村長! 死海から何か飛んでくる!」


 俺はホムラの横へ並び、死海へと目を凝らした。


 そして息を呑む。


「……なんだ、あれ……!」


 遠くの夜空を覆うように、巨大な黒い塊がこちらへ向かっていた。

 暗い霧のようにも見える。


 だが違う。


 霧よりも濃く、重く、どこか生き物めいた不気味さがあった。


 黒い靄は形を歪ませながら空を漂い、まるで意思を持っているかのように真っ直ぐ村へ向かってきている。


 見ているだけで胸の奥がざわついた。


 得体の知れない嫌悪感と本能的な恐怖が込み上げてくる。


「村長殿!」


 振り返ると、ダクネたちダークゴブリン部隊が武器を手に続々と集まってきていた。


 既に全員が完全武装だ。


 突然の警報にもかかわらず、その動きに無駄はない。


「ドライアドは恐らく、瘴気に侵されていない村の畑を狙っている!」

「ドライアド!? あの黒い靄みたいなのがそうだっていうのか!」


 俺はもう一度黒い塊へ目を向ける。


 何度見ても靄にしか見えない。

 木の精霊だとか妖精だとか、そういう想像とはあまりにもかけ離れていた。


「そうだ! あれは瘴気に侵され、我を忘れたドライアドで間違いない!」

「大将! ダクネの話が本当なら、鬼人族の連中がいるアパートはやべぇんじゃねぇのか!」


 腕を組みながら死海を睨んでいたガザが口を開いた。


 その声で俺もすぐに気付く。


 村の畑は家屋の裏手に作っていた。

 つまり、現在鬼人族が暮らしているアパートの真裏だ。


「誰でもいい! すぐにマツナさんにこの事を知らせるんだ! それと、住民全員を詰所へ避難させてくれ!」

「了解!」


 警備隊の中から数名が飛び出し、アパートへ向かって走っていく。


 子供たちのことはマツナさんたちに任せるしかない。


 今の俺がやるべきことは一つ。

 村長として、この村を守ることだ。


「レタ! すぐに結界の設定を住民以外立ち入り禁止にしてくれ!」


〈ふわぁ〜……設定を切り替えました〉


「こんな時にあくびするな!」


〈夜中ですので〉


 ぐうの音も出なかった。


「念のため結界の手前まで移動するぞ!」


 ホムラの号令が飛ぶ。


「了解!」


 ダクネ率いるダークゴブリン部隊が一斉に動き出した。


 ホムラ隊の四人しかいなかった頃とは違い、その光景は圧巻だった。


 武器を手に走るダークゴブリンたちの姿は、まさに軍隊のようだ。


「四人だけだった頃とは違い、なんだか心強いっすね」


 マドカが感心したように言う。


「ウキウキわくわくしている場合じゃないネ!」

「サイハの言うとおりですわ。マドカはもう少し緊張感を持つべきですわよ」

「おや、そうかい? オレは変に辛気臭くなるよりかは、よっぽどいいと思うがねぇ」


 かしまし娘たちの会話に割って入ったのは、さすらいの風来坊ガザだった。

 だが、その顔に浮かぶ笑みとは裏腹に、腰の曲刀には既に手が添えられている。


 歴戦の戦士らしく、いつでも抜ける構えだ。


「おっ! さすが村長のダチ公! 話がわかるっすね!」


 マドカが嬉しそうに声を上げる。


 その横でサイハとルイはあからさまに唇を尖らせていた。

 そんな二人の様子に、ガザも思わず苦笑する。


 だが次の瞬間、その視線は再び北の空へ戻った。

 黒い靄は、先ほどよりも確実に大きくなっていた。


「全員、陣を組め!」


 警備部隊隊長ダクネの号令が夜空に響く。


 ダークゴブリンたちは即座に散開し、結界の前で迎撃陣形を整えた。


 槍兵が前列。


 その後方に弓兵。


 さらに左右へ戦士たちが展開する。

 その動きに迷いはない。


 さすがは死海を生き抜いてきたダークゴブリンたちである。まさに歴戦の猛者揃い。


「相手は森の守護者たるドライアド! 村長殿の結界に頼ることなく、戦士としての矜持を持て! 油断や慢心は戦士の恥と知れ!」


「「「応ッ!!」」」


 夜の村に野太い声が轟く。


 さすが一度結界を突破しただけのことはある。


 ダクネは最初からレタの結界を当てにしていなかった。


 結界はあくまで保険。

 戦うのは自分たちだという覚悟が、その背中から伝わってくる。


「リョウジ様、あれを!」


 シズナの声に顔を上げる。


 黒い靄は先ほどよりもはっきりと輪郭を持ち、一直線に村へ向かって飛来していた。


 近付くにつれ、その異様さがより鮮明になる。


 鳥でもない。


 魔物でもない。


 ただ瘴気だけを凝縮して形にしたような、得体の知れない存在だった。


「慌てるな! まだ村長の結界がある!」


 動揺する仲間たちを落ち着かせようと、ホムラが叫ぶ。


 その言葉に何人かが頷いた。


 誰もが同じことを考えていたのだ。

 最悪の場合でも結界がある。

 村は守られる、と。


 しかし――。


 黒い塊が音もなく結界へ到達する。


 そして次の瞬間、何の抵抗もなく、本当に何事もなかったかのように……。

 黒い塊は結界の内側へ滑り込んだ。


「な――!?」


 ホムラが目を見開く。


「結界を……通り抜けた……ネ?」


 サイハの呆然とした声が漏れる。


「ど、どうなっていますの!?」


 ルイが後ずさる。


 俺の背筋にも冷たいものが走った。


 結界は確かに存在している。

 見えないだけで、そこには壁がある。


 それなのに黒い塊は、まるで結界そのものが存在しないかのようにすり抜けてきたのだ。


「どうもこうもないっす! 村長の結界があのモクモクには効かないってことっすよ!」

「どうやらそうみてぇだな。で、どうする大将」


 ガザが肩に担いだ曲刀を握り直す。


 どうすると言われても――。


 俺は勇者じゃない。

 余命一年を宣告された、どこにでもいる元サラリーマンだ。あんな化け物と真正面から戦えるはずがない。


 だが――。


 村長として逃げるわけにもいかなかった。


「くそっ! あれをこれ以上村に入れるのはまずい! 戦えぇぇぇ!!」


 ホムラが歯を食いしばりながら叫ぶ。


 最初に飛び出したのも彼女だった。


「人の村に、許可なく入るなぁああああああ!!」


 地面を蹴り、鬼人族らしい膂力で一気に跳躍する。


 巨大な鬼棒が夜空を薙いだ。


 ぶんっ、と空気を裂く轟音。


 まともに受ければ大の大人ですら軽々と吹き飛ぶほどの一撃だった。


 だが――。


 ――スカッ。


 手応えはなかった。


 鬼棒は黒い塊を素通りし、そのまま空を切る。


「――ッ!?」


 着地したホムラの顔に驚愕が走る。


「すり抜けたネ!?」

「ど、どうなっていますの!?」

「物理攻撃無効とか反則っすよ!?」


 マドカの悲鳴じみた声が上がる。


 そして、黒い塊がぴたりと停止した。

 空中で、まるで何かを確認するように、その場に静止している。


 周囲の空気が重くなる。


「こ、こっち見てるネ……?」


 サイハが息を呑んだ。


 顔などないはずなのに、視線だけははっきりと感じる。

 何かが俺たちを見ていた。


「実は効いていたりするんでしょうか?」


 シズナが希望的観測を口にする。


 そうであってほしいとは思う。だが恐らく違うだろう。嫌な予感しかしなかった。


 黒い塊はゆっくりと蠢き始めた。まるで泥が人の形を真似るように渦巻く瘴気が収束し、徐々に輪郭を形作っていく。


 やがて、一人の女の姿が現れた。


 長い髪のような瘴気を揺らしながら、白く細い腕と人間と変わらない体躯を持つ女。しかし、その顔だけは異様だった。虚ろな黄金色の瞳には理性も感情も存在せず、ただ底知れぬ絶望だけが沈殿している。


「あれが……ドライアド……ですか」


 シズナが掠れた声で呟く。


 本来なら神秘的で美しい存在なのだろう。


 だが今の姿は違う。


 全身から漏れ出す瘴気のせいで、完全にホラー映画の亡霊だった。


 昔見た貞◯そのものだ。


 思わず鳥肌が立つ。


 近付きたくない。


 触れたくない。


 本能がそう警告していた。


 その時だった。


 ドライアドが口を開く。


 いや、正確には叫んだ。


「ァァァァァァァァアアアアアアッ――――!!」


 空気が震えた。


 先日森で聞いた叫びとは比べ物にならない。


 怨嗟。


 絶望。


 悲嘆。


 狂気。


 あらゆる負の感情を無理やり混ぜ合わせたような絶叫が夜空を引き裂く。


 鼓膜を通して聞こえているのではない。


 叫びそのものが頭蓋骨の内側へ直接流し込まれてくる。


「ぐ……っ!」


 サイハが膝をついた。耳を塞いでいるにもかかわらず苦悶の表情を浮かべている。


 ダークゴブリンたちも次々によろめいた。中には白目を剥いてその場に倒れる者までいる。


「な、なんすか……これ……!」


 マドカが武器を取り落としそうになりながら必死に踏み留まる。


「気を、確かに……!」


 ルイも顔を青くしながら剣を構え直した。


 戦意そのものをへし折るような咆哮。


 恐怖ではない。


 絶望だ。


 聞いているだけで生きる気力を奪われる。


 俺自身も全身から力が抜けていくのを感じた。足は震え、呼吸は浅くなり、膝まで笑い始める。立っているだけで精一杯だった。


 それでも視線だけは逸らせない。


 ドライアドは宙に浮かびながら、黄金の瞳でこちらを見下ろしていた。


「大将! 耳を塞げぇッ!」


 最初に動いたのはガザだった。


 怨嗟の叫びに顔を歪めながらも、自らの頬を拳で殴りつける。

 バシィッ、と乾いた音が夜に響いた。痛みで無理やり意識を引き戻したのだろう。


 ガザは血の滲んだ口元を拭い、曲刀を構えて駆け出した。


「ガザ、待て――!」


 俺の制止は届かない。

 いや、届いたとしても止まらなかっただろう。

 あの男はそういう男だ。


 ガザは一直線にドライアドへ迫り、鋭い踏み込みと共に曲刀を振り抜く。

 銀色の軌跡が夜空を走った。


 だが――。


「ちっ……!?」


 曲刀はドライアドの身体をすり抜けた。


 ホムラの時と同じだ。まるで濃い霧を斬ったかのように、何の抵抗も手応えもない。


 ガザの顔が歪む。


「攻撃が……まるで効かねぇ……!」


 愕然とした声を漏らした、その瞬間だった。


 ドライアドの背後で瘴気が蠢く。


 次の瞬間、黒い蔓が何本も飛び出した。


「がっ――!」


 あまりにも速い。


 ガザが反応するより先に、一本の蔓が右腕へ巻き付いた。


「ガザ!」


 俺は思わず叫んだ。


 蔓が脈打つ。


 すると、その表面を黒い液体のようなものが這い始めた。


 それは蔓を伝い、ガザの体内へ流れ込んでいく。


「ぐ、ぁあああっ……!」


 ガザが膝をつく。


 右腕を押さえた指の隙間から黒い筋が浮かび上がっていた。


 皮膚の色がみるみる変わっていく。まるで墨汁を流し込まれたように、腕が黒く染まっていった。


「ガザ……待ってろ! 今助ける!」


 頭が真っ白になる。


 だが、俺より先に動いた者がいた。


「ガザさんを離しなさいッ!!」


 シズナだった。


 地面を蹴った彼女は迷いなく飛び込み、短刀を振るう。


 閃いた刃が蔓を断ち切った。


 ブツリ、と嫌な音が響く。


 切断された蔓は力を失い、黒い泥のように崩れ落ちた。


「はぁっ……はぁっ……!」


 解放されたガザが地面へ倒れ込む。


 右腕を抱え込みながら苦悶の声を漏らした。


「く、くそ……腕が……燃えるみてぇに熱い……!」

「ガザ! 無事か!?」

「これが無事に見えるかい……?」


 冗談を言う余裕だけは残っているらしい。


 だが、その顔色は悪い。

 右腕は肘の辺りまで黒く変色していた。


 それでも意識はある。


 会話もできる。


 今すぐ命を落とすような状態ではなさそうだった。


 少しだけ胸を撫で下ろす。


「下がっていろ、シズナ! お前では相手にならん!」


 ホムラが前へ出る。


 その横からサイハ、ルイ、マドカも飛び出した。


「数で押すネ!」

「わたくし達もおりますわ!」

「今度は当てるっす!」


 三人が同時に攻撃を仕掛ける。


 だが結果は同じだった。


 サイハの槍。


 ルイの細剣。


 マドカの戦斧。


 どれもドライアドの身体を通り抜けるだけ。まるで幻影に向かって武器を振っているようだった。


「効かない……! 全く効かないですわ……!」


 ルイが顔を青くする。


 剣先は確かに胴体を貫いている。それなのに傷一つ付いていない。


「斬っても刺してもダメなんすか……!?」


 マドカも叫んだ。


 その時だった。

 ドライアドの背後から再び蔓が伸びる。


 真っ直ぐシズナへ向かって。


「シズナ、危ない――!」


 俺は叫んだ。


 しかしシズナの反応が一瞬遅れた。


 蔓が足首へ絡み付こうとした瞬間――。


「させん!」


 ホムラが横から飛び込み、鬼棒を振り抜く。


 轟音と共に蔓が弾け飛んだ。


 シズナは寸前で難を逃れたものの、その顔は真っ青だった。もしあと一瞬でも遅れていたら、ガザと同じように瘴気を流し込まれていただろう。


「化物め……どうすれば……!」


 ホムラが吐き捨てるように呻く。


 誰も答えられなかった。


 攻撃は通らない。近付けば蔓が襲い掛かり、距離を取ればあの叫び声が精神を削ってくる。戦士たちの表情からは次第に余裕が消え、戸惑いと焦燥、そして恐怖が広がり始めていた。


 物理攻撃は無効。さらに精神を蝕む咆哮に加え、触れれば瘴気まで流し込んでくる。ゲームなら間違いなくボス級の相手だ。それも、初見では対処法が分からない類の。


 そんな絶望的な状況の中で、ただ一人だけ冷静さを失っていない男がいた。


「村長殿」


 低い声が響く。

 戦士長ダクネだった。


「ここはオレに任せてはもらえないか」


 背負っていた大剣を引き抜きながら前へ出る。


「何か策でもあるのか?」

「策というほど大したものではない。ただ、我々ダークゴブリンは死海生まれだ。瘴気に耐性のない彼らとは違う」


 なるほど。


 死海は瘴気に満ちている。

 そこで生まれ育った彼らだからこそ、ドライアドの瘴気に耐性があるのだ。


「我らに瘴気は効かん。元より瘴気に侵されているようなものだからな」


 ダクネが不敵に笑う。


「我々ならば、(あれ)に掴まっても侵食されることはない」


 希望が見えた気がした。


 だが――。


「攻撃が当たらなければ意味はないぞ!」


 ホムラの言葉が現実を突き付ける。


 確かに、そうだ。

 耐えられることと倒せることは別問題だ。


 瘴気攻撃が効かなかったとしても、攻撃そのものが当たらないなら勝ち目はない。


「むぅ……!」


 ダクネは踏み込み、大剣を振り抜いた。

 だが結果は同じ。

 大剣はドライアドを素通りする。


「くそ……!」


 初めてダクネが舌打ちした。


 その姿を見て、俺は強く拳を握る。


 考えろ。

 今の俺にできることは戦うことじゃない。頭を使うことだ。少しでも仲間の役に立つことだ。


 加治木りょうじとして三十数年生きてきた知識を総動員しろ。


 思い出せ。

 ゲームでも漫画でも小説でもなんでもいい。こういう物理攻撃無効の敵は何度も見てきた。


 その時はどうやって倒していた?


 魔法だ。


 物理が駄目なら魔法で倒す。

 それがRPGの定番だった。だが、この場に攻撃魔法を使える者はいない。


 ならどうする。

 俺にできることは――。


「そうだ。まずは相手を知ることだ」


 俺はドライアドへ向けて【鑑定】を発動する。


 何か。


 何でもいい。


 手掛かりになる情報が欲しかった。


 視界に文字列が浮かび上がる。


【名称:ドライアド(凶暴化)】


【状態:精神汚染(瘴気由来)/実体は霊体に近い状態のため、刃や打撃などの物理攻撃は無効】


【本体:宿り木(樹)。瘴気により著しく弱っている】


 くそっ……。知りたかった弱点などの情報はどこにも記載されていなかった。


「このままではジリ貧だ! せめて押し返すことさえできれば……!」


 ホムラが奥歯を噛み締める。


「……押し返す……」


 だがその言葉を聞いた瞬間だった。俺の頭の中でパズルのピースが組み合わさったような閃きが走った。


 本体は霊体に近い。

 だから斬れない。


 だが――押し返すことはできるんじゃないか?


「ダクネ!」


 俺は叫んだ。


「斬るんじゃない! 吹っ飛ばすんだ!」

「吹き飛ばす……?」

「お前の剣の重さなら風圧だけでも十分な威力になるはずだ! 実体に当てる必要はない! 衝撃波を叩きつけろ!」


 一瞬、ダクネが目を見開く。

 そして次の瞬間には口元を吊り上げていた。


 どうやら伝わったらしい。


 俺は思い出していた。

 初めてダークゴブリンたちが村へ攻め込んできた時のことを。


 あの時、櫓の上にいた俺はダクネの振るった大剣の余波だけで転びそうになった。


 あれはもはや風ではない。

 立派な攻撃だった。


「……なるほど。理屈は分かった」


 ダクネが大剣を肩に担ぐ。


 その体がゆっくりと沈み込む。

 獲物へ飛び掛かる猛獣のような構えだった。


「皆、離れていろ!」


 その声にダークゴブリンたちが一斉に散開する。


 ドライアドは動かない。

 虚ろな黄金の瞳でこちらを見つめているだけだ。


「オラァァァァァァァッ!!」


 ダクネの咆哮が夜を揺らした。


 巨大な大剣が横薙ぎに振り抜かれる。


 轟音。


 空気そのものが悲鳴を上げる。


 次の瞬間、目に見えるほど濃密な風の塊がドライアドへ襲い掛かった。


「――――ッ!?」


 初めてだった。


 初めてドライアドが反応を見せた。


 その身体が大きく揺らぐ。


 瘴気で構成された輪郭が乱れ、強引に後方へ押し流される。


 そして――。


 ドゴォォン!!


 吹き飛ばされたドライアドが住居の壁へ激突した。


 家屋が震える。

 木材が軋む音が辺りへ響いた。


「効いている……!」


 ホムラが目を見開く。


「効いてるぞ!!」


 絶望しかなかった空気に、一筋の光が差し込んだ。


 ダクネも確信したのだろう。

 その顔に獰猛な笑みが浮かぶ。


「もう一発だ、ダクネ!」

「言われなくてもッ!」


 再び大剣が持ち上がる。


 ドライアドは体勢を立て直そうとしていた。


 黒い蔓が蠢く。

 怨嗟の叫びを放とうとしているのが分かった。


 だが、その前に。


「うぉおおおおおおおおッ!!」


 二撃目が放たれた。


 圧縮された暴風が真正面から叩き込まれる。


 ドライアドの身体が大きく歪んだ。


 黒い瘴気が千切れ飛ぶ。


「ァァァァァァァァアアアアアアアアッ――!!」


 今までで最も大きな悲鳴が夜空に響き渡った。


 しかしそれは、先程までのような怨嗟の叫びではなかった。


 どこか。


 ほんの僅かに。


 苦痛から解放されたような響きが混じっていた。


 そして、ドライアドの身体が崩れ始める。


 黒い輪郭がほどけ、全身を覆っていた瘴気が剥がれ落ちていく。やがてその姿は無数の淡い緑色の光へと変わり、まるで蛍の群れか、あるいは夜空へ帰っていく星々の欠片のように静かに舞い上がった。


 誰も声を出せなかった。


 ダークゴブリンたちも、鬼人族たちも、そして俺も、ただその光景を見上げていた。


 荒野の夜空を埋め尽くす無数の光は不思議なほど美しく、それでいてどこか寂しい。やがて最後の一粒が夜空へ溶けるように消えると、村には静寂が戻り、聞こえるのは風の音だけになった。


「……終わった、のか?」


 誰にともなく呟くと、ダクネは大剣を地面へ突き立て、大きく息を吐いた。


「ああ。終わったようだ」


 その言葉を聞いた途端、全身から力が抜けた。知らないうちに肩へ力が入っていたらしい。


 俺は慌ててガザの元へ駆け寄る。


「ガザ! 大丈夫か!?」

「あー……腕はまだジンジンするけどな」


 ガザは苦笑しながら黒ずんだ右腕を持ち上げた。まだ変色は残っているものの、先程より色は薄くなっている。


「そんな顔すんな、大将。これくらいどうってことねぇよ」

「そんな腕で説得力あると思うか?」

「ねぇな」


 そう言ってガザは笑った。


 その言葉に周囲からも小さな笑いが漏れる。極度の緊張から解放されたのだろう。


 誰かがマツナさんとシゲ爺を呼びに走り、二人はすぐにガザの治療へ取り掛かった。


「シズナも大丈夫か? 怪我してないか?」

「はい。少し擦り傷を負った程度です」


 シズナはそう答えたが、服のあちこちが破れている。かなり無理をしたのだろう。それでも命に別状はない。本当に良かった。


 周囲を見回せば、皆疲れ切った顔をしていた。傷を負った者もいるし、壁は壊れ、村も荒れている。それでも誰一人として命を落としてはいない。それだけで奇跡のような結果だった。


「しかし、なんだったんすかね、あれ……」


 マドカが夜空を見上げながら呟く。


 誰も答えられなかった。


 死海から現れたドライアド。瘴気に侵された森の守護者。

 そして最後に見せた、あの光。結局、俺たちは何一つ理解できていない。


 ただ一つ分かったのは、死海の脅威が俺たちの想像より遥かに深いということだけだった。


 その夜は結局ほとんど眠れなかった。



 ◆



 翌朝。


 寝不足の頭を抱えながら、俺はいつものように畑へ向かった。


 昨夜の戦いの爪痕は至る所に残っている。


 崩れた壁。


 抉れた地面。


 切り落とされた蔓の残骸。


 村人たちは朝早くから後片付けに追われていた。


「ん……?」


 畑の一角へ差しかかった時だった。


 俺は思わず足を止める。


 そこには見覚えのない小さな苗木が一本生えていた。膝丈ほどしかない若木だが、瑞々しい緑の葉を付けている。


「こんなの……あったかな?」


 近付いて確認するが、記憶違いではない。昨日までここに木なんてなかった。そもそもここは死の荒野であり、【村作り】で生み出した作物以外に植物など存在しないはずだ。


 それなのに、その苗木だけは生命力に満ちていた。朝日に照らされた葉先はきらきらと輝き、まるで最初からそこに根付いていたかのように静かに佇んでいる。


「……」


 俺はゆっくりと北へ目を向けた。


 死海――その先には黒い森が広がっている。今もどこかで瘴気に蝕まれながら立ち続ける大樹があるのだろう。


 昨夜のドライアドは、本当に村を襲いに来たのだろうか。


 畑を狙ったのは事実だ。だが、もしあれが助けを求めるための行動だったのだとしたら、俺たちは最後までその声を理解できなかったことになる。


 答えはもう分からない。


 ドライアドは消えてしまったし、真実を知る術もない。


 それでも俺はしゃがみ込み、苗木の葉をそっと撫でた。


 柔らかく、温かい。


 確かな命の感触だった。


「……大切に育てるか」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 すると風が吹き、小さな苗木がかすかに揺れた。


 それはまるで、返事をしたように見えた。

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