1話 勇者召喚
「加治木りょうじ様のギフトは……む、【村作り】です……」
神官服に身を包んだ男の声が、妙に間延びした響きを伴って謁見の間に落ちた。
その瞬間、広間を満たしていた空気が、ぴたりと音を立てて凍りつく。
誰もが口を閉ざし、誰もが次の言葉を探している。
――ああ、これはやってしまった空気だ。
俺の名は加治木りょうじ。
ごく平凡な日本のサラリーマンであり、三十路を越えたばかりの、どこにでもいる疲れ切った大人だ。
そんな俺が、どういう運命の悪戯か、異世界に召喚されてしまっていた。
いわゆる、勇者召喚というやつだ。
剣と魔法、女神と魔王、そういう類の世界なのだろう。
この世界に呼び出されたのは、俺を含めて四人。 男子高校生が二名、同じく高校三年生の女子が一名。
そして――晩酌の缶ビールを買いに来ただけの、くたびれた会社員が一名。
どう考えても、浮いている。
浮きすぎている。
なぜ自分のような、取り柄もなければ冒険心もないアラサーが勇者召喚などという大仰な出来事に巻き込まれたのか。
しばし考えて、俺はすぐに結論に辿り着いた。
――これは、完全に事故だ。
思い返せば、召喚される直前の記憶はひどく現実的だった。 仕事帰り、いつものコンビニ。 店先にたむろする高校生たちを横目に、晩酌用の缶ビールを手に取った。
それが、次の瞬間には――。
蛍光灯とも蝋燭ともつかぬ薄明かりの下、石造りの地下室に立っていた。 足元には複雑な魔法陣。鼻をつく香の匂い。理解が追いつく前に、やけにテンションの高い声が響いた。
「おおっ! 勇者様が四人も召喚に応じてくださったぞ!」
「……おかしいな。古文書には、召喚される勇者様は三人のはずなのだが……まあいいか」
――まあよくない。
内心でそう叫んだが、当然声にはならなかった。
そんな軽い一言で片付けていい話ではないはずなのに、俺たちは流れるように地下室を出され、半ば観光客のような扱いで謁見の間へと通された。
そして現在に至る。
女神から授かった“ギフト”――すなわち勇者としての能力を鑑定した結果が、これだ。
俺のギフトは【村作り】。
ちなみに、 高梨くん(高三)は【剣聖】。
沖田くん(高三)は【聖槍】。
間宮さん(高三)は【聖弓】。
……うん、並べると余計にひどい。
伝説級の称号がずらりと並んだ末に、【村作り】である。 剣も槍も弓も振るえず、戦場にも立てず、できるのは――村を作ること。
そりゃあ、あの沈黙にもなる。
俺が王の立場でも、神官の立場でも、きっと同じ表情を浮かべたに違いない。
――いや、違うな。
一番戸惑っていたのは、他ならぬ俺自身だった。
「素晴らしい! そなたたち三勇者が居れば、我が国も安泰である!」
玉座から響いた朗声は、やけに晴れやかだった。 その声が、俺をきれいさっぱり数に入れていないことを、これ以上ないほど明確に物語っている。
なるほど。
どうやら俺は、最初から「居なかったもの」として話を進めるらしい。
勝手に喚び出しておいて、それはさすがに虫が良すぎるんじゃないか。 そう思って、抗議の言葉を絞り出そうと一歩、身を乗り出した、その瞬間だった。
「あんたはこっちだ」
低く、感情の籠もらない声。 気づけば、やけに背の高い衛兵が左右に立ち、俺の腕を無造作に掴んでいた。
抵抗する暇もなく、俺は謁見の間から半ば引きずられるように連れ出される。
振り返ると、三人の高校生勇者たちは、困惑した顔でこちらを見ていた。
だが、それも一瞬。
重厚な扉が閉じる音が、その視線ごと遮断した。
通されたのは、簡素な別室だった。
石壁は冷たく、窓はない。
あるのは古びた椅子と、沈黙だけ。
「ここで待て」と言われた通り、大人しく腰を下ろしていると、やがて軋む音を立てて扉が開いた。
入ってきたのは、口髭を蓄えた恰幅のいい男。 先ほど、王の傍らに控えていた人物だ。
確か――この国の大臣だったはず。
「加治木りょうじだったな」
「はい、そうですが」
事務的な確認のあと、男は懐に手を入れ――
「ほれ」
無造作に投げ渡してきたのは、小汚い革袋だった。 受け取った瞬間、ずしりとした重みが掌に伝わる。
「そこに金貨十枚ある」
「はあ……」
……え。
それだけ?
説明が続くものと思って待ってみたが、大臣は厄介な書類でも見るような目で、こちらを一瞥するだけだった。
どうやら、これで話は終わりらしい。
仕方なく、こちらから口を開く。
「……あの、私はこれからどうなるのでしょうか」
「生きていくしかなかろう。そのために金貨をくれてやったのだ」
吐き捨てるような口調だった。
「先に言っておくが、我が国の財政は厳しい。それ以上の援助はできんからな」
つまり――。 金貨十枚やるから、あとは勝手に野垂れ死ね、ということか。
胸の奥で、何かがひび割れる音がした。 喚び出したのはそっちだろう、と叫びたくなったが、ここで声を荒げればどうなるかは火を見るより明らかだ。 最悪、牢に放り込まれて終わりだろう。
――大人だ。 俺はもう、感情だけで動ける年齢じゃない。
悔しさを喉の奥に押し込み、別の問いを投げかける。
「……私は、元いた世界に帰れるのでしょうか」
大臣は、わずかに眉を動かした。
「前回、勇者召喚が行われたのは数百年前のことだ。その時、召喚された勇者が元の世界に帰ったという記述は残っておらん」
「……つまり、帰れない?」
「わからん」
即答だった。
「帰っていないという記述も、また存在しない。ひょっとすれば、すべての魔王を討ち果たした時、勇者たちは元の世界へ帰ったのかもしれん」
そこで、男はわざとらしく一拍置く。
「――勇者でない貴様が、その中に含まれるかどうかは不明だがな」
なるほど。
最後まで、実に丁寧な嫌味である。
「すまんがな」
そう前置きしながら、大臣はすでに踵を返していた。
「勇者様たちのほうが心配なのでな。失礼する」
謝罪の言葉ひとつもなく、男は部屋を出ていった。 残されたのは、冷たい石壁と、金貨の入った小袋だけ。
ほどなくして現れた兵士に促され、俺は城の外へと連れ出された。
重い門が背後で閉まり、乾いた音が響く。
こうして俺は、異世界に―― 何の肩書きもなく、何の保障もなく、放り出されたのだった。




