祈りの後の不穏な空気
事務所に戻ると、私はすぐに女神様に祈りを捧げた。
堕ちてしまった、黒い影。もう私には出来る事は何もない…そう思った。だけれど、だからと言って何もしないと言う事はない。
私には関係ないかもしれない。領地の借金もまだ残っている。カエル問題だって、解決していないのだ。余計な事をしている時間は本当に無いのかもしれない。
それでも。
私はネックレスを握りしめた。
「強くなりたい」
力の無い私に出来る事は無かった。そう。それでも。
ネックレスを握った瞬間、頭の中に自分の名前が浮かんだ。『フレイヤ』。
『貴女の名前はね。美しく、豊穣の女神とされている、フレイヤ様から頂いたのよ。自然を愛し、動物を愛し、そして豊さの象徴なの』
お母様譲りの真っ赤な髪を撫でられながら聞いた。
『勿論、このあなたの赤い髪。この髪の色の意味もあるけれどね。女神様が持っている優しい蝋燭。あの蝋燭は優しい灯りの事をフレイヤって言う事もあるの』
「フレイヤ様」
私はネックレスを握りしめ、祈りの為に深く息を吸い込んだ。
目を瞑り、自分の中にある力を感じ、そして女神様の力を感じるように、心を落ち着かせた。
自然を愛し、多くの動物を愛したという、私と同じ名前のフレイヤ様。
私は強い光にはなれないかもしれない。でも、優しい灯りに慣れるように頑張るんだ。言葉を頭に浮かべながら、私はフレイヤ様に必死に祈りを捧げる。
「愛の女神、美の女神、豊穣の女神のフレイヤ様。いつも愛をお与えになり感謝いたしております。どうか、私の声に力をお貸しください。小さな魂、弱き者を助ける力を。どうぞ」
女神様に理不尽な願いは出来ない。日常の感謝こそすれ、大きな願いをする事は烏滸がましい。
だけれど、少しでも私に女神様の力を分けて頂きたい。
………。
私は祈りを捧げ続け、そして、太陽が顔を出す頃に少し眠りについた。
「ドン!!!!ドン!!ドン!!!!」
「フレイヤさん!!!」
ドアが破られるような大きなノックの後にすぐにダリアさんが部屋に入ってきた。
「ダリアさん?」
身体を起こそうとしたが、瞼は重く、背中も強張っていた。遅くまで祈りを捧げていたせいか、頭も重い。
それでも、今までにないダリアさんの様子に私は身体を起こした。
「フレイヤさん!急いで下へ!!所長の所へ!オゥルソさんはスベンさんのテントに行っています!」
「え?」
「早く起きて!!」
「は、はい!!」
顔を洗うと少し頭はスッキリした。まだ、身体のこわばりは取れないが、急いで着替えて下に降りると、所長は手紙を書き終え、私にお茶を飲むようにポットを指さしながらも早口で用件を告げた。
「昨日、王宮事務の方にも話を流した。ダリアが早速証拠をいくつも持ってきていた。騎士団にも証拠はもう渡したが、摘発にはちょっと弱い。今日にでも、無理やりに理由を付けて監査という名目で騎士団が入る予定だったが、ブラックのテントで急に暴れ出した人間がいて、怪我人が出た」
「え?」
「魔物が逃げたとの情報もある」
「魔物が?」
「暴れ出した人間は騎士団や自警団が取り押さえたようだが、半狂乱状態だ。黒い魔物を大勢が見たらしい。王都の大通りは封さされ、自宅から出ないように通達が来ている」
「黒い魔物?」
「ああ、狼の様だったという者もいるらしいが…。ダリアが遠目で見る限り、レイスじゃないかと言っていた」
「レイス…」
死霊の代表各と言っていい魔物。レイス。朽ち果てた教会や、あれた墓等によく出るといわれている。王都の中で出るなんて聞いた事はない。レイスに身体を通過されると、正気を保てなくなるとも聞く。私はおかしくなったことは無いけれど、レイスに狙われた事はある。
死霊や、それに近い魔物は光によってくると、お母様は言っていた。
だから、絶対に情けをかけては駄目だとも。
『フレイヤ、貴女は貴女の力を過信しては駄目。自分の出来る事。そして自分を守る為だけに力を使いなさい。相手を助けよう、導こう、なんて考えては駄目。自分の力を上手くコントロールするのよ』
正しい事はとても辛い。
「私は行きます」
「フレイヤ。騎士団が祭り会場は封さした。勝手に入る事は出来ない」
「ええ。大丈夫。勝手には入りません。所長、すぐに王宮事務のスミス様に連絡を。あと、リンドール侯爵家にも」
「…。今すぐにか?」
「ええ。リンドール侯爵様から、借りは返すと言われています。すぐに返して貰いましょう。私に会場に入る権限を与えて貰います。そして、王宮事務のスミス様にも動いて貰います。必要ならダガン伯爵にも。私が使える札は全部切りましょう」
「総動員だな。分かった。すぐに動く」
所長は魔道具を出すと、サラサラと手紙を書いて窓を開けて手紙を飛ばした。すぐに手紙は鳩の形になり、それぞれの場所へと飛んで行く。
「緊急時には使っていい、と言われている。フレイヤの事で使うのならば、問題ないだろう。それに、またこの件で俺は新しい物を貰えるだろうしな」
部屋に戻るとすぐに返信用の魔鳩が届いていた。
「フレイヤ。少し待て。この手紙を持っていけ、スミス様からとリンドール侯爵様からの許可証だ。騎士団にも話を通してくれるらしい。二人はお前の力が必要だろうと言っている。俺は何も聞かんが、俺が協力した事はよく覚えておけ」
「はい。では、行って来ます」
「ああ、気を付けろ。フレイヤ、命は掛けるなよ。仕事に命を懸けるな。自分の命を軽く考えるなよ。いいな」
「…」
私は黙って頷くと、急いで探偵事務所を飛び出した。
街に出た瞬間、嫌な空気が街を包んでいた。
重く粘った空気。町全体が薄く靄が掛かった様に一瞬見えた。目を閉じ、開けた時にはその靄は消えていたけれど、粘つく空気は消えていない。生ぬるい風が吹いている。強くもないのに、風が窓や、扉を撫で、「カタカタ」と嫌な笑い声を立てていく。皆が家に閉じこもり、行きを潜んでいるのが分かる。
「静かね…。何も聞こえない…。耳が痛い…急がないと」
私は口元をスカーフで覆うと急いで祭り会場へと走った。




