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第一章・なんで異世界《ここ》に先生が⁉・その七

【魔海】、それは古くから局所的に発生する異空間……以下略。

 翡翠しょうびんの士官室で悪樓あくる釣りの説明を受ける景清かげきよであったが、釣り研部員たちは先ほど同じ話を聞いたようで、後ろで授業中のようにコソコソとおしゃべりをしていた。

 そして抄網媛すくみひめが悪樓専用の釣り道具である神楽杖かぐらづえを出したところで……。

『媛様、じきに月長げっちょうが到着します。至急、羅針艦橋なびげえしょんぶりっぢにお越しください』

 伝声管からの呼び出しである。

「ゴメンね、ちょっと用事ができちゃった。あとは藍子あおこちゃんよろしく!」

 そう言って抄網媛は、艦内通路へと飛び込んでしまった。

「わあちょっと抄網さん⁉」

「ついでに第二祭儀室の案内も頼むよ!」

 はかますそをドレスのように持ち上げながら走り去る抄網媛。

「なんてフットワークの軽い子なんだ……」

 高校を卒業するかしないかの年齢に見えたが、判断と行動の速さは生徒たちにも見習わせたいものである。

「では榎原えのはら、続きを頼……おっと」

 景清がそう言ったところで、艦内がガクンとれ始めた。

 月長と合流するために進路を変更したらしい。

「丁度いいから神力の練習しようよっ!」

 支室しむろがよくわからない事を言い出した。

「神力?」

「ちょっとした超能力だよっ! 丹田たんでんに力を込めて、足の裏に集中するとピッタリりつくんだよっ!」

「……こうか?」

 やってみると案外簡単に吸着した。

 あっさりすぎるぞ超能力。

「これは面白い……だが気をつけないと足を痛めるな」

 足首を固定した状態で無理に力を加えるとポッキリ。

 昔はこの原理で、よくスキーを楽しむ観光客が骨折したものだ。

 ただし最近はスキー靴が改良され、転倒事故による負傷率は軽減されているらしい。

「あと何十メートルもジャンプしたりできるけど、そっちはまだやってないよっ!」

 さすが異世界、きっちりチート能力も装備されているようだ。

「艦が安定するまでばない方がいいな」

 少なくとも艦内でできる練習ではない。

 翡翠は重い主砲塔を撤去したせいで、元々早い船足が、さらに伸びていた。

 旧式だが駆逐艦相当の小早するうぷである玉網媛たまみひめの【霜降雀しもふりすずめ】や、政府専用艦の【帯枯葉おびかれは】に迫る速度を出すトンデモ関安宅べるてっどふりげえとと化していたのである。

 その最高速度は時速百十七キロ。

 今は巡航中とはいえ、とても甲板に出られる状況ではない。

 揺れが収まった時、吸着の訓練はすでに終わり、神楽杖の説明も済んでしまっていた。

 これ以上のレクチャーは、翡翠が停止するのを待つしかない。

「そういえば祭儀室がどうのと言っていたな」

 景清はふと、抄網媛の捨て台詞ぜりふを思い出した。

「すぐそこですよ。行ってみましょう」

 士官室の艦首側を見ると、巨大な円筒状の物体の前に小さな部屋らしきものがあった。

 円筒は、おそらく元は第二主砲塔が入っていた砲郭ほうかくであろう。

 小部屋に入ると脱衣所になっていた。

「まるで浴室だな」

 八角形の祭儀室は半分近くの面積が浴槽になっているが、今はひのきの浴槽に湯が張られていない。

「新品だな」

「先日改装したばかりなんです」

「風呂場で異世界召喚か」

蕃神ばんしん三魂七魄さんこんななはくの一部を召喚するだけで、体は海水を原料にするんです。だからみんな全裸で召喚されるんですよ」

 普通なら異性に全裸の話など禁物だが、景清の性欲が失われているのを知っているせいか、生徒たちは性の話に遠慮がない。

「道理で服がないと思った」

 おぼれた時に脱げたとばかり考えていた景清であったが、どうやら最初から裸だったようである。

「そうか、それで抄網媛は失敗がどうとか言ってたんだな」

 海水を原料にするため、召喚に失敗すると、浴槽ではなく海に出現する。

 とんでもない大ポカだが、空から落ちる訳ではないので、それほど危険な訳ではない。

「前に一人、嵐の海に出ちゃった子がいたみたいで、回収が大変だったそうです」

 前言撤回。

 やはり異世界召喚には、それなりの危険がともなう。

「僕が女性化した原因の一つはこれか……」

 こちら側で肉体を作るのなら、どんな姿になっても不思議ではない。

 なぜならここは猫人間が支配するファンタジーワールド、ラノベ的異世界なのだから。

「本当は女性、しかも未成年しか召喚できないそうです」

「男性が必ず女性化する、という訳ではないんだな?」

「例外はありますけど女性だけです」

「僕がその例外か」

 その時、長話に退屈したのか、支室しむろが妙な事を言い出した。

「先生って双子だったんですかっ?」

「双子?」

「蕃神って基本、女子しか召喚できないそうですけど、先生の他にもう一人、こっちに来れる子がいるんです」

 榎原が詳細を説明してくれる。

 抄網媛の話にも出ていた、磯鶴いそづる高校の稲庭八尋いなばやひろという少年の事らしい。

 小学生のように小さく可愛らしく、景清同様、弥祖皇国に召喚される希少な男性(?)の蕃神。

 嵐の海でおぼれたというのも、きっとその子に違いない。

「元が男性だと召喚が難しいのか……?」

 八尋はカナヅチという話なので、今回の召喚失敗が自分でよかったと思う景清であった。

「その子が双子だったのか?」

 話がれたので強引に進路修正する景清。

 教師として、生徒たちの保護者として、異世界関係の情報は集められるだけ集めておきたい。

「なんでも異性一卵性双生児だそうで、XXY染色体を持ってるとか」

「クラインフェルター症候群か……」

 一卵性双生児の片割れが、もう片方のⅩ染色体を奪ってしまう現象である。

 そのため奪った方の性染色体はXXYに、奪われた方はX染色体を一つしか持っていない。

 この場に抄網媛がいないので、遺伝子が魂魄こんぱくにも影響するのかは断言できないが、確か三魂七魄は中国の道教思想が原型で、魂魄には人と猫しか持たない陽の気であるこんと、万物ばんぶつが持つはく……人間の場合は肉体が持つ陰の気が存在すると、何かの本で読んだ覚えがある。

 そして召喚されるのは、対象となる人物の魂魄を、全部ではなく一部だけ。

 その魂魄を、たまたま女性の要素だけ抜き出してしまったのが、景清と八尋が女性化した原因なのだろう。

「知ってたんだ……博識ですね」

「ネットで調べた事がある。だが僕は一人っ子……いや、心当たりはあるな」

「あるんですか⁉」

 驚く榎原。

 すぐに答えが出るとは思っていなかったらしい。

「僕はね、ヒトキメラなんだ」

「キメラ……? ファンタジーとかに出て来るアレですか?」

 キマイラやシーメールの名で知られるギリシャ神話の怪物である。

「伝説から名前を取っているが、少し違う。ヒトキメラはね、二卵性双生児の片割れが母親の胎内で死亡した時、もう片方に肉体ごと吸収される現象なんだ」

 二十世紀半ばに発見された症例で、極めてまれな、そして発見されにくい現象であった。

 複数の血液型を持つ、体細胞を採取する位置によって遺伝子が異なるなど、人によって様々な例が確認されている。

 双子が合体する真正ヒトキメラは、二卵性または三卵性だからこそ発見できるだけで、一卵性の場合は判別の手段すら存在しない。

 血液キメラだけなら、先天性だけでなく、輸血や体組織の移植でも起こる。

 そして景清は二卵性の真正ヒトキメラであった。

「高校時代に献血しようとして血液キメラが判明したんだ」

 輸血あるいは体組織移植の経験者を含むヒトキメラの血液は、輸血に適さず、献血を断られた経験を持つ景清である。

 そのくせめずらしいケースだからと、赤十字社への登録と採血だけはキッチリ行われ、損ばかりで得をした覚えが一切ない。

「でも真正だとわかったのは交通事故で入院した時だ」

 その際は大量出血にも関わらず、輸血を受けられなかった。

 脊椎損傷による性機能不全も、普通の体なら移植で快復できかたもしれない。

「おかげで体中調べられて大変だったよ」

 真正ヒトキメラは肉体のどこに混ざっているかわからないので、全身からサンプルをる必要があるのだ。

「それって、お姉さんか妹さんになったかもしれない人が混ざってるって事ですか?」

「そうだな。そうか……この体は僕のきょうだいのモノなのか」

 景清は士官室を見渡し、指揮官が身だしなみを整えるための大きな鏡を見つけた。

「うん、ずっと顔を見たいと思っていたんだ。生きているうちに見られるとは幸運だな」

 本来なら、あの世でしか会えない肉親の姿である。

 細面ほそおもてでスラリと長身。

 なかなかの美人、いや美少女であった。

「でもおかしくないですか? 確か先生って四十代でしたよね?」

「僕は二人で一人の存在だ。年齢が半分になっても不思議はないだろう?」

「それでも二十代じゃないですか」

 鏡に映る景清は、どう見ても十代の半ばくらいである。

「そうだな。少しばかり若すぎる気がするな……」

 その時、だまっていた和真部わさなべが声を上げた。

「私は今回が初めての召喚で、異世界のお話はよくわかりませんが……ひょっとして先生は双子ではなく三つ子だったのではないでしょうか?」

 和真部咲新(さあら)は身長が高めで色黒、そしてファッションに興味がなく、あまりしゃべらず目立たない子だ。

 いや場の空気をよく考えて、まとめるように話すタイプの生徒であった。

 そのせいか小雨とは気が合い、よく教室で一緒に弁当を食べているのを見かける。

「そうか、四十五を三で割れば十五才か!」

 これで計算が合った。

 そして生徒たちに実年齢がバレてしまった。

「この体に、もう一人いるのか……」

 生まれなかった姉か妹が一卵性双生児だったのか、それとも景清に一卵性双生児の片割れがいたのか。

 もはや性別すらわからないが、その存在だけでも知る事ができたのは、蕃神召喚があってこそである。

「無宗教の僕も、さすがに神の存在を信じたくなるな」

 事故をきっかけに、会った事もない双子がいたのは知っていたが、まさか三つ子とは思わなかった。

「そしてうらみたくなる」

 きょうだいを二人も、しかも生まれる前にうしなったと知れば、信仰と怨恨えんこんが同時に生まれても仕方がない。

 そしてもう一つ……。

「次回からの召喚を断れなくなってしまったな」

 この体は意識こそ景清のものだが、弥祖皇国やそみくには、生まれて来れなかったきょうだいが生きられる唯一の世界かもしれないのだ。

 そう思うと、異世界召喚をこれっきりにする訳には行かない。

「しかし、この姿はあと数年しか見られないんだな」

 年齢制限の壁がある。

「いえ、先生なら少なくとも十年は大丈夫だと思いますよ?」

「何だって⁉」

 和真部の発言に仰天する景清。

「年齢が三分の一になっていますから、加齢も三分の一だと思います」

「そうか、この体は産毛うぶげが濃いから中学生かもしれない……」

 長い教師生活でつちかった眼力は伊達だてではない。

「それなら十五年は続けられそうだな」

 少しだけ安心した。

 うまくすれば成人した姿をおがめるかもしれない。

「あと次回からは僕だけ別枠で召喚して欲しいものだ」

 長く召喚され続けるのは一向に構わないが、全裸の女子高生たちと一緒に呼び出されてはたまらない。

 召喚を断る、という選択肢はすでに消えているが、生徒たちを保護者なしで釣りをさせるのは、教師として抵抗がある景清であった。

「それと小雨、そろそろ離れなさい」

 まだ景清の腕にしがみついていた。

 そしてしかめっ面に『召喚も一緒がいい』と書いてあった。

 幼少時に省吾が長期入院したせいで、小雨には父親と風呂に入った記憶がないのだ。

「わかった。今度、家族風呂のある温泉旅館に行こう」

 教師は夏休み中も研修などで忙しいが、それくらいの時間は作れそうだ。

 だがしかし、娘との入浴は……性欲はともかく不正本能が耐えられるか、正直言って自信がない。

 実父で景清の親友だった省吾への遠慮もあり、一緒の風呂をけていたら、足踏あしぶみをしているうちにスクスクと……。

 そろそろ小雨も大人になる頃合いだ。

 夏休み中にケリをつけねば手遅れになりかねない。

「…………んっ」

 家族旅行と聞いて、小雨は納得してくれた模様。

 抄網媛に頼んで、景清に内緒で強引に共同召喚してしまえば簡単だったのだが、思わぬ収穫にホクホク顔の小雨であった。

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