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第五章・引き金魚・その二

「ほら、あれが今回の魔海」

 抄網媛すくみひめの指差す先には、前回と比べてはるかに小さな魔海が広がっていた。

 いや、広がるという表現すら違和感を感じるほどの小規模ぶりである。

 直径は数百メートルくらい、深さもそれほどではない。

「だが大物が潜んでいるかもしれないだろう? 下手に近づかず様子見から始めた方がいいな」

 規模が小さいので大型回遊魚の棲息せいそくはありえないが、海底にひそむ根魚であれば話は別である。

 特に南海のカサゴ目やブダイ科は大型化の傾向があり、下手をすればメートル級、悪樓あくる換算なら百メートルクラスの可能性だってある。

「まあ、ちょっとずつ近づいてから小魚の宝珠で偵察ってところだろうね」

 翡翠しょうびんの戦闘艦橋で双眼鏡を構えながらつぶやく抄網媛。

 艦長を始めとする艦橋要員の将官たちは下階の羅針艦橋に、小雨こさめや生徒たちは一番下の装甲艦橋でダラダラしている。

 ……おとなしくダラダラしていればいいのだが。

「それにしても、八尋やひろくんがいないと本当に一夜を越えられるんだね。姉上の言った通りだよ」

「トラブルメーカーなんだな、あの子は」

 教師経験の長い景清かげきよには、なんとなく理解できた。

 一見無害だが何をしでかすかわからず、無自覚、あるいは何もしなくても騒動を起こす生徒は、どこにでもいるものである。

「八尋くんはちょっと特別だからね。それが他の蕃神様がたの滞在時間を乱してるみたいなんだよ」

 本来なら最大三日はつ蕃神召喚だが、八尋を一緒に召喚すると、なぜか翌日までに全員帰還してしまうのであった。

 しかし今回の八尋は磯鶴いそづる高校釣り研究部の召喚をは別枠、しかも自力での異世界転移である。

 そのせいか、八尋が元の世界に帰っても他の部員たちはいまだ健在、月長はいまごろこう州で魔海釣行の真っ最中らしい。

「そのくせ八尋くんだけ帰れなくなったりするし、ほんと訳わかんないよね」

「それは聞いてない!」

「あっしまった」

 秘密事項だったらしい。

「本当に大丈夫なのか異世界召喚……いや僕は大丈夫なのか?」

「八尋くんは玉網姉たまみねえが召喚したから知らないけど、先生はちょっと特別だったんだ。妾も初心者だったし」

 抄網媛は少し考える素振そぶりを見せてから話を続ける。

「本当はね、七人召喚するつもりだったんだ。わらわが前にやった時は四人だったから、ちょっと冒険するつもりでね。でも……」

「僕が三人分だった?」

標識まあかあに使ってるお守り一つに三人が固まってたから変だなあって思ってたけど、まさか一人とは思わなかったんだ。変だよね?」

 変なら手を出さなければいいのだが。

「興味本位でやってしまったと」

「バレたか。でも何で? 先生は心当たりがあると見たんだけど」

「ほう……」

 やはり気づいていたかと感心する景清。

 洞察力のある生徒は好ましい。

「僕は母の胎内で三つ子が合体したヒトキメラだ」

「そんなのあるの? いや合体して一人の人間になれるもんなの?」

「胎児がカタチになる前に起こる現象らしい。それ以上は専門知識になるから僕にはわからないが……」

 しかも双子と思っていたのが三つ子だった。

 一卵性のキメラは判別が不可能なので、異世界召喚がなければわからなかっただろう。

「じゃあ先生の魂魄は三人分あるんだ」

「そうだな……それはともかく、僕はちゃんと帰れるんだろうな?」

 異性一卵性双生児でXXY染色体を持つ八尋とは仕掛けこそ異なれど、召喚で性転換してしまう体質には違いない。

「さ~てね。八尋くんは白和邇しろわに、いや白龍にもらった歯を常世とこよ側の標識にして帰ってるけど、先生はまだなんの保証も持ってないからね」

「龍ってどんな生物だ?」

 話の端々《はしばし》に出るものの、具体的な説明まだ聞いていない。

「でっかい蛇みたいなやつ。全長はキロメートル単位」

途方とほうもないな」

「宇宙生物って話だけど、わらわにはよくわからない」

 この世界の技術は、まだ宇宙進出にいたっていないため、本来なら仏教用語の【宇宙】を話題に出されても想像できないらしい。

「壊れた星の神気が固まって生まれるって八尋くんの供述きょうじゅつ書にあったけど、先生わかる?」

「わかる訳がないだろう。こっちの人類はまだ月までしか言った事がないんだ」

「こっちは対流圏より上に行けないんだからマシな方じゃん」

「浮揚機関と酸素ボンベがあれば、成層圏くらいは行けるんじゃないか?」

「成層圏に神気が満ちてるのは確認されてるけど、宝珠が嫌がって登れないんだよ」

 海の魚に空を飛ばせるだけでも十分無理がある。

「まあ、どちらにせよ龍はわらわたちの想像がおよばない生物なのは確かだよ。レンちゃん……いま月長に分身を寄生させてる龍だけど、中心から千切れても生きてるし、形態も自由に変化させられるみたいだよ」

 レンは体表から腕を何本も生やして見せ、白和邇は頭部をヒラシュモクザメに準じた形状に変化させている。

「千切れて落ちた方はどうなった?」

「分身作れるくらいだし、どこかでつながって元通りになったんじゃないかな?」

 魔海の神力中和で失った分の質量は回復が難しそうだが、それでも大したダメージになっていないのではと抄網媛は推測している。

「そんなバケモノから歯をもらわないと、僕は確実に帰れる算段がつかないのか……」

「先生はまだ帰れないと決まった訳じゃないよ?」

「召喚失敗しただろうが! 海女あまさんたちがいなかったら僕はおぼれ死んでいたぞ!」

「そういえばそうだったねえ。八尋くんも最初の召喚で海に落ちたらしいし」

「まるっきりダメダメじゃないか。次からの召喚は考えさせてもらおう」

「でも生徒ちゃんたちは召喚するからね」

「それじゃ僕も来ないといかんだろう」

 生徒たちに磯鶴神社のお守りの携帯を禁じても無駄だろう。

 隠れて異世界召喚されるより、隠れてやっているのではと心配するより、リスクを承知で引率した方がはるかにマシである。

「帰れなくなったら妾が面倒見るよ?」

「僕が妻子の面倒を見れなくなっては困る……いや、それより本来の肉体はどうなるんだ? こっちの世界で死んだ蕃神はどうなる?」

「わからない。死者を出した前例もないんだ」

 数々の大物悪樓を回収しながら死傷者ゼロは称賛しょうさんあたいするが……。

「でも魂魄が三人分あるなら、常世に残った分だけでも生きて行けるんじゃないかな?」

 蕃神召喚は三魂七魄さんこんななはくのうち一部だけを引き抜くので、魂魄が元々多い景清ならなんの問題もない……はずである。

「こっちで得た記憶はどうなる?」

「残らないと思うよ? また召喚できるかはわからないけど」

「そうか……」

 昨晩の記憶が消えてしまったら、小雨はどう反応するだろうか?

 それは異世界にある本来の肉体が経験する災厄なので、こちらの景清にはどうしようもない。

「減った魂魄はいずれ回復するにゃ……たぶんにゃけど」

こしきちゃん⁉」

 いつの間に隼瑪の目を盗んで翡翠に忍び込んだのか、甑が戦闘艦橋の天井にりついていた。

「まるで忍者……いやニンジャだな」

 神力を使った吸着は初歩の初歩なので、いまさら驚いたりはしない。

「先生気づいてたでしょ! ちゃんと言ってよ!」

 甑にたちまち抱きつかれ、よろける抄網媛であった。

「入り口から堂々と入って来たから抄網君も知ってるもんだと思ってた」

 正確には景清の背後に隠れ、抄網媛の視界に入らないようにしての侵入である。

「君は武道者のくせににぶいな」

「これでも殺気には敏感なんだよ……って、また魂縛こんばく⁉」

 金縛かなしばりで抄網媛はピクリとも動けなくなったが、口だけは達者であった。

「魂魄のおはにゃしにゃらお任せなのにゃ」

「そうかそうか。で、僕は確実に元の世界に戻れるのか?」

 抄網媛はアテになりそうもないので、わらにもすがる思いで甑に聞いてみる景清。

「わからにゃいにゃ」

「話にならん。海に落とせ」

 密航者は即追放が海のセオリーである。

「にゃっ⁉ ちょっと待つにゃ! わっち(・・・)役に立てるにゃ!」

「ほうほう。どんな風に?」

「召喚術を覚えちゃら、応用でなんとかにゃるかもしれんにゃ。具体的にはまだわかんにゃいけど、ひょっとしちゃら戻せるかもしれにゃいにゃ」

「そうか……うん、もしもの時は頼んだぞ」

「任せときにゃ!」

 不確実ではあるが、ないよりははるかにマシな保険であった。

 帰還した蕃神は元の時間に戻る仕掛けなので、時間はいくらかかっても問題ない。

 こちらで何年過ごそうとも、次からも召喚される小雨たちと何度会おうとも、帰れさえすればいいのである。

「ここここ甑ちゃん、そろそろほどいてくれないかな?」

 魂魄を縛られた抄網媛は、少し息苦しそうであった。

 ただし景清に色気をアピールしようとでも思ったのか、わざとらしくあえいでいるので、本当に苦しいのかは怪しい。

「もうちょっとしちゃらにゃ♡」

 甑がいれば抄網媛は生徒に手を出すすきがない。

 いいおさえ役ができたと満足する景清であった。

「さて、魔海にだいぶ接近したようだな。偵察を始めようか」

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