第二章・パヤオ・その二
和真部が普段よりよく喋っていると気づいた景清であったが、腕にしがみついて離れない小雨と目が合った瞬間、突然黙り込んだ。
「……………………」
「……………………」
景清の腕から離れる小雨。
そして和真部の後ろについて、無言で装甲艦橋を去って行った。
「……小雨?」
「行かせてやってね」
呼びかけようとする景清だったが、抄網媛に止められた。
「ええと、常世ではお花摘みって言うんだっけ?」
常世とは普通、あの世を意味する言葉であるが、この国では蕃神の住む世界を差すと聞いている。
「ああ、そうか……」
和真部は小雨が我慢しているのに気づいて、無言で連れて行ったのだろう。
「ひょっとして、相手によって口数を変える子なのか……?」
授業を始めた教師の前では、よい生徒に。
無言の子には無言で。
「小雨とはウマが合う子だと思っていたが、向こうが合わせてくれていたのか」
調子に乗って講釈を垂れていた自分が恥ずかしい。
教えるつもりが、逆に教えられた景清であった。
「もう甲板に出ても大丈夫だよ」
翡翠の減速が終わり、トイレに行っていた小雨と和真部が戻ったのを確認してから、抄網媛が生徒たちを引率する。
「ところで抄網媛……」
歩きながら話しかける景清。
抄網媛は長身で、百八十センチ近くある景清より五センチ低い程度で、目線が同じで話しやすい。
「抄網でいいよ。ここじゃ皇族より蕃神様の方が格上なんだ」
とてもそうは見えない態度だが、フレンドリーなのは色々と都合がいい。
ただし、いつ生徒たちを口説き始めるかわからない、というリスクはあるが。
「先生、普段は髪紐を使っているんじゃない?」
抄網媛が差し出したのは、ちょっと豪華な赤い飾り紐。
「ああ。いまそれを話そうと思っていたんだ」
景清が髪を気にしていると気づいての提案であった。
さすがは女好きで女誑しの抄網媛、女性の機微に敏感である。
いや景清の中身はオッサンなのだが。
「……いつから先生呼ばわりされるようになった?」
「先生は先生でしょ? みんなそう呼んでるし、体は若くても知識人っぽいし」
そう言いながら景清の髪を纏める抄網媛。
「……………………」
この娘、早くも口説きの仕込みに入ったらしい。
一気に間合いを詰められた気がして、景清は恐怖した。
油断していると、親子ほど年齢の離れた娘と朝チュン、なんて結果になりかねない。
しかも女同士でナニをするというのか。
「…………ん~っ!」
トイレから帰って再び景清の腕にしがみついていた小雨が威嚇した。
「しまった、こっちを先に攻略しないと駄目か」
「それは僕が許さん。たとえ男でハンサムで金持ちで権力者だったとしてもだ」
景清には小雨がいる限り、小雨に景清がついている限り、難攻不落の父娘であった。
「見て見てっ! みんな外に出てるよっ!」
月長の甲板に磯鶴高校釣り研究部の一同がいるのを発見し、指を差す支室。
景清も装甲艦橋から出て目視確認する。
この体は視力も抜群だが、さすがに顔まではよく見えなかった。
「動乱に単眼鏡が入ってるよ」
抄網媛の指示でベルトポーチをまさぐる一同。
「……顔が見えん」
単眼鏡を覗く時、月長チームもまた単眼鏡でこちらを覗いているのだ。
いや、両手を振っている子供が二人いる。
「親戚の簗と……あれは八尋くんかい⁉」
抄網媛が目を剥いていた。
「八尋……? 彼は蕃神じゃなかったのか?」
背格好の似た子供たちが同じ服を着ているので、どちらが八尋かわからない。
そして何より、二人ともネコミミとネコシッポが生えている。
「うっわー三毛猫八尋くん可愛いっ!」
支室の発言で、ようやく見分けがつくようになった。
となると、もう一人のサバ柄頭が簗だろう。
「なんでネコミミが生えてるんでしょうかね?」
「あの子は何でもアリだからねっ!」
可愛くても問題児のようである。
「本当に何があったんだろうね。あとで玉網姉に聞いてみないと……」
「抄網君、とりあえず涎を拭け」
興奮を隠せない女子一同であった。
「……………………‼」
小雨も興味深々のようで、単眼鏡から目が離せない。
「確かにあれは、うちの子に欲しい……ん?」
いまの台詞を誤解されたのか、景清の腕を掴む小雨の力が強くなった。
「そのうち改めて磯鶴との共同合宿を企画しよう。うまく誑し込んで婿にしなさい」
そう言ったらポカポカ殴られた。
「ん~~~~っ‼」