第二章・パヤオ・その一
『みんな遅くなってゴメンね。そろそろ翡翠の減速が終わるから、みんな装甲艦橋に集まってね』
通信室にいる抄網媛自らによる艦内放送であった。
「シェルターデッキって何っ?」
「装甲艦橋だ。前檣楼の根本にあるから、そこの艦内通路で行けるだろう」
首を傾げる支室に答える景清。
少し歩いて砲塔基部の曲面を見て止まり、少し手前の傾斜梯子を上ると、装甲艦橋はすぐであった。
「うわあ、ガチガチだねっ!」
「この壁、叩いても全然振動しません。まるでコンクリートみたいです」
生徒たちはぶ厚い装甲版に興味津々《きょうみしんしん》である。
「この艦が見た目通りの技術レベルで作られているなら、おそらくクルップ鋼に近いものだろう」
ニッケルやクロムを配合した合金に浸炭焼き入れを施した表面硬化装甲の一種で、ケースハードと呼ばれる強度の高い装甲版である。
「戦艦三笠もこんな感じでしたね」
というか、ほぼそのままであった。
艦橋に並ぶのは羅針儀と伝声管、そして旧式極まりない艦内電話のみ。
こんな原始的な装備で三次元航行を行う弥祖皇国の船乗りには、もはや驚愕を通り越して敬意しか湧かない。
「和真部は行った事があるのか?」
「はい。触れるところは全部触りました」
乗用車や列車にはない、本物の【鋼の硬さ】を知っている、という事である。
「そうか、軍艦に興味あるとは、女子高生にしては珍しいな」
「祖父が復元計画に参加したそうです」
戦後は武装を撤去されダンスホールになって、さらに荒廃の一途を辿っていた戦艦三笠であったが、東郷提督のファンで自称弟子のミニッツ提督に発見され、激怒されての復元であった。
主砲や煙突、マストなどは複製品であるが、備砲や一部の装備は、日本で解体されたチリの戦艦【アルミランテ・ラトーレ】からの寄贈品である。
「工事中の写真もありました」
「それは凄いな。今度見せてくれ」
「いまは記念館に保存されてます」
「それは残念……」
復元中の戦艦三笠はエモすぎる。
景清でなくても、男子なら誰でも見たい写真だろう。
「……ところで、この艦は本当に悪樓釣りに耐えられると思うか?」
まだ現物の悪樓を見た事がない景清であるが、何十メートルもある魚と衝突して、どこまで耐えられるかは疑問である。
「私はまだやった事がないし、藍子や百華も、見ただけで実際にはまだみたいですけど……ここや祭儀室の天板はともかく、甲板は不安ですね」
「そうだな。戦闘艦は装甲を厚くしすぎると、重くなって身動きがとれなくなる。南北戦争で使われたモニター艦は知ってるかい?」
「いいえ」
「装甲艦とも呼ばれる、木製の艦体に重武装と重装甲を施した河川用の艦艇だ。しかし重くなりすぎて、ほぼ煙突と砲門しか水面から出ていなかった」
「それ本当に船ですか?」
「ほぼ沈没船だね」
速力と旋回性は絶望的である。
ちなみに北軍の【モニター】と南軍の【バージニア】が交戦したハンプトン・ローズ海戦では、ほぼ接弦した状態で砲撃を交わし、乗員の耳と頭がおかしくなるまで殴り合った挙句、双方ともろくなダメージを受けずに終了。
明らかに防御力過多であった。
「もちろん、その後はそうならないように発展しているよ」
「船にそこそこの装甲と武装って感じですか」
「明治維新までは、それで十分だったんだ。でも、もちろん科学と工業の発展と共に兵器は進化する」
「木の船から鉄の船になったんですね」
「そうだ。そして砲の攻撃力が向上し、それに対する防御力を向上させる必要が出た」
「砲と装甲で、どんどん重くなる……?」
「そうだ。そのうち全体を重装甲化できなくなって……」
「また沈没船ですか」
「いや、必要な部分だけを集中的に防御するようになった」
「穴が開いても沈まない場所を切り捨てたんですね」
「うん。日清戦争までは水平防御が常識だったが、大正期あたりからの大型艦艇は上面の防御力を重視するようになる」
「戦い方が変わったんですね?」
「……ほう、よくわかったな」
日本史は二年生が担当なので、一年生しかいない釣り研部員たちの成績を知らない景清であったが、和真部はなかなかいい生徒のようである。
「主砲の射程が大幅に伸びたんだ。長距離砲撃の弾体は放物線を描き、ほぼ真上から飛んで来る」
「それで上面を……そうか、だから飛行機で魚雷を使うんだ」
翡翠に最も近い日本艦艇は、日清戦争時代の装甲巡洋艦【春日】と【日進】だろう。
どちらもイタリア製の中古艦である。
そして翡翠は、搭載火器の技術レベルから防御力は水平重視、しかも帆船時代じみた至近距離での殴り合いを想定していると、景清は推測していた。
測距儀以上の索敵手段が見当たらないので、砲撃戦はレーダー照準どころか、目視による直接射撃が中心になる。
お互い空を飛んでいるので、当然ながら元々低い命中率が激減する。
そうなると、交差または並走して接近戦を行うしか致命傷を与える手段がない。
空中では魚雷が使えないし、この世界にミサイルが存在するとは思えなかった。
無誘導の飛翔体なら作れるかもしれないが、ロケット弾では長距離、しかも飛行物体への命中率は絶望的で、それなら砲撃の方がまだマシである。
有人の特攻機なら作れるかもしれないが、ロケットでは射程が短すぎ、貴重な宝珠を消耗品にするなど論外だろう
この世界で砲撃以外の対艦戦闘を考えても、せいぜい小型艦艇で爆弾を落とす程度が限界なのだ。
「そうか……この世界は平和なんだ」
空飛ぶ船を持ちながら、本格的な空中戦や対空戦を想定した武装が見当たらない。
このちぐはぐな装備の艦を見ていると、長期間戦争が起こらず経験値を稼げない状況での試行錯誤が伺えるのであった。
「話を戻そう。翡翠の装甲はアテになると思うか?」
「軍艦のままなら無理ですね。釣った悪樓が横から飛んで来るとは思えませんから」
ゴボウ抜きにした悪樓が神楽杖の竿先を支点に、ブランコのように横から来る可能性はあるが、あいにく翡翠は飛行甲板が左右に張り出しているので、艦体へのダメージはそう大きくない。
危ないのは真上からの落下である。
何百トンもある悪樓も、蕃神にとっては数キログラムに過ぎないので、潰される心配はないが、甲板が凹んだり、最悪、飛行甲板が根本から千切れるかもしれない。
「翡翠の問題は水平防御だけじゃない。ベルテッドと言っていたから、喫水線のあたりにベルト状の装甲があるだけだ」
「それは不安ですね……でも飛行甲板は先日改装されたって聞きましたよ? 垂直防御を想定して強化したなら、ある程度のサイズまでは耐えられると思います」
悪樓の骨格は自重を支える程度の剛性を持っているはずだが、金属製の砲弾より硬いは思えない。
「その【ある程度】の基準がわからない」
「あとで抄網さんに聞くしかありませんね」
「呼んだ?」
「わあっ⁉」
入り口から抄網媛がひょっこり顔を出していた。
「飛行甲板は三十メートルくらいの小物なら耐えられるよ。それ以上は妾が祝詞で浮かせて宝珠にするから大丈夫! 海面から鼻先だけ出してくれれば、ひょいと持ち上げて見せるよ!」
「……どこまで取り込める?」
驚きで心臓のバクバクが止まらない景清だったが、教師として平静を装うクセが出た。
「百メートル……は、ちょっと自信ないかな」
悪樓は百倍スケールなので、普通の魚なら一メートル程度である。
大物のブリくらいだろうか。
「実はまだやった事がないんだ」
「それなら最大値で八十メートル、安全値で六十ってところだな」
昔釣った六十センチ級のシーバス(スズキ)は、軽くても六キロ前後の重量があった。
悪樓なら百の三乗で六千トンはあるだろう。
「祝詞が途中で失敗して甲板に激突……なんてのは避けて欲しいな」
軽巡洋艦ほどもある質量が甲板に落ちて、無事に済むとは思えない。
転覆するか、あるいは轟沈か。
どちらにせよ生徒たちが空中に放り出されるのは確実である。
「わかってるって。ヘマはしないよ」
「いや念のために小物から釣ろう」
「信用ないなあ」
「ないのは実績だ。自分の実力も把握していない者に、いきなり大物は任せられない」
大魚は釣るより取り込みの方が難しいのだ。
「ひょっとして先生、釣りの経験ある?」
いつの間にか、抄網媛まで景清を先生と呼ぶようになっていた。
「昔取った杵柄だ。船で四十キロのキハダを釣った事がある」
悪樓なら四万トン。
第二次大戦期の超弩級戦艦ほどの質量である。
「そりゃ凄い。でも妾には無理だなあ」
祝詞で取り込むどころか、かかっただけで翡翠が転覆しかねない。
「でも月長ならイケるかな? あっちには玉網姉もいるし……ほら、あの白い艦」
抄網媛の指差す先、戦車のような装甲艦橋の狭い覗き窓から、純白と薔薇色の戦艦が見えていた。
「……でかいな」
戦艦三笠より二回りほど大きい。
正面なので全長は不明だが、おそらく二百メートルはあるだろう。
「……パゴダマスト?」
いまにも崩壊しそうな高い前檣楼を見て、景清は呆れた。
「空飛ぶ艦に、なんであんなものが必要なんだ……?」
昔の蕃神がふざけた入知恵をしたせいなのだが、景清には知る由もなかった。




