表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その幼女、化け物につき  作者: ハモニカ
6/7

第六話 共謀者


「初めまして、お嬢さん」


 第一印象は最悪。その一言に尽きる。


 トーシャに我が身の大失態を掃除してもらってしばらくすると、コリンが真黒な服に身を包んだ初老の男性を連れてきた。聖職者、神父とか、牧師とかそういう類の存在であることはすぐに分かった。人間界には様々な宗教があるそうだが、大抵の場合、天界の羽付き達が人間界を支配するために少しずつ布教していったものだ。人間たちは自分たちが敬い、奉っている相手が誰とも知らずに頭を下げているわけである。ミアからすれば、縊り殺して見せしめに木の枝に首を吊るしてやりたい連中堂々の一位タイである。


 無論、魔界は勢力拡大の対抗措置として自分たちを信奉するような宗教を世に放った。しかし、時すでに遅し。神や天使を頂点に置く宗教が広まりつつあった人間界においてそれらは邪教と認識され、忌むべき対象として迫害を受けることとなってしまった。さらに、頭のネジが抜け落ちた狂信的な愚か者がしでかした事まで悪魔崇拝と決めつけられ、対抗措置は完全な失敗に終わった。もはや宗教的な手段によって人間界における影響力拡大は見込めなくなってしまったのだ。


 悪魔からすれば、人間界における宗教家は商売敵のような存在というわけだ。対応が後手に回った結果、その地域における客層を丸ごとライバル会社に持っていかれたような感情が彼女の中に渦巻くが、問題はそんな奴が何故ここにいるかと言うことだ。


「迷える子羊がいると聞いてね。神の声を聞いてみないかい?」


 御免蒙る。


 そもそも彼らが信じる神とは天使を自称する羽付きだ。そんなものを信奉する者の言葉など耳が腐るだけである。ことこの世界においては、「信じる者は救われる」なんてことは万に一つもあり得ない。


 掬われるのは足元だけだ。故に相手がそんな奴であることを良いことに思いっきり睨みつけることにする。どうせ身動きは取れないから、できる事と言えばそれくらいしかない。


 ただ、どうやら神父はミアの考えを見抜いたようだった。にこやかな笑顔を崩さぬまま、彼はベッドの横に座り、おもむろに「聖書」と書かれた分厚い本を取り出し、膝の上に置くとパラパラと頁を捲り始める。


「いや、これは失敬。ここに入れてもらうにあたっての建前は崩したくなかったのでね」


 本をポイッと放り投げ、神父は「こんな物に用はないんだ」と言いたげな笑みを浮かべた。その表情は、人々を教え導く神父のそれではなく、重箱の隅を突くのが趣味の陰湿な屑のそれだ。


「お初にお目にかかる。レディ・フェリーノ。いや、今はただのフェリーノとお呼びした方が宜しいか?」


 この男は自分の事を知っている。それすなわち、魔界或いは天界の手の者ということになる。そして彼の恰好から考えれば、十中八九天界の回し者だろう。戦死者を弔い、迷える子羊の救済をしに来たわけではなく、目的は他でもないミア自身のようだ。


「はね、つき……」


「魔界では我々をそう呼ばれているとは存じておりましたが、いざ面と向かって言われると良い気はしないものですな。まあ、それは置いておきましょう。いかにも私は天使、マッコーダハル。人間界における布教活動とスカウトの仕事をしております」


 前者については予想がついていた。しかし、後者は聖職者としてのそれではない。


 魔界と天界の間では人間界を巡る勢力争いが活発だ。魂の回収を行うために両陣営から多く人間界に入り込んでいることはお互い周知の事実だ。上空で行われる魂の回収は若干競争じみていて白熱しているようだが、地上ではそうもいかない。お互いに勢力を伸ばすために権謀術数を働くこともあるし、何より天変地異で大飢饉を起こすのと違い、戦争を意図的に勃発させるのは極めて困難だ。どれだけけしかけたところで、本人たちにやる気がなければ起こることはない。戦争は人間たちの政治の延長であり、突然今日から戦争、というものではないのだ。


 故に、目の前の男の様に人間に化け、人間社会に浸透している者が数多くいる。術計、奸計、策謀、手を変え品を変え、様々な方法で人間を戦争へ導こうとする者たちだ。これを神の使いと敬っている人間たちの気が知れないと言うものだ。人間を唆して戦争へ向かわせる、これを悪魔の所業と言わずなんと言おうか。


 そして、戦争の下準備を整えるだけでなく、悪魔は天使を、天使は悪魔を自分たちの陣営にヘッドハンティングすることがある。相手の内情を知っている者をスパイに仕立て上げたり、完全に自陣営に引き込んでしまうというのはよくある事だ。実際、魔界でやたら綺麗好き、かつ外見が化け物じみてない者はだいたい元天使だ。その逆もしかり、天界でやたらと化け物じみている連中がいれば、かつての同胞たちだろう。


 そんな事をしている者がここに来たと言うことは、どこからかミアが人間界に追放されたことを聞きつけたのだろう。爵位を持っていた悪魔を味方に引き入れることが出来れば、彼にとっては大手柄だろう。


「はい、おそらく考えていることは正しいかと。それで、どうでしょう? 私と共に来てもらえないでしょうか。待遇は保証いたします。元男爵となれば、それなりの地位も確実かと」


 当たり前だ。こちとら序列だけで行けば上から数えた方が断然早いのだ。それをその辺の雑用係のような悪魔と同じにされては困ると言うものだ。


 けれども、何か違和感を感じる。この世界で既に四年間も這いずり回っていたのだ。リクルーターをしている天使に見つかっても不思議はない。違和感の正体はミアを見張っているであろう悪魔が彼の接近に対して何ら行動を起こさなかったことだ。当然、魔界の連中も天使がミアに接触する可能性を考えたはずだ。もしや、この天使が排除したのだろうか。そうだとしたら、少々きな臭いことになってきた。


 また、彼の提案には一つ大きな問題点がある。ミアは死ぬことを許されぬ身だ。言ってしまえば、魔界と天界の両方に対して無期限の出禁を喰らっている身だ。たとえ彼の申し出に乗ったとしても、天界に行くこともできないのであれば人間界で使い潰される未来しか見えない。復讐の為なら何でも使うつもりであるが、過度に使われる気はない。ましていわんや、天使の手駒となって酷使されるのだけは我慢ならない。


「貴女の考えは正しい。確かに今の状態ではあなたを天界にお呼びすることもできません。しかし、魔界が下した決定を破棄することはできます」


「な、に……?」


 永久追放の決定を白紙にできる、とこの男は言ったのか。それはいわゆる内政干渉に当たる行為ではないか。そんなことをすれば魔界と天界との緊張が高まり、何千年ぶりかという直接戦争に発展しかねない外交問題が生じる。それを分かって言っているのだろうか。


 しかし、ふと先ほどと同じような違和感を感じた。内政干渉など一介の天使が許されるものではない。この羽付きの背後にはより上位の者の影が見え隠れしている。上層部が接触を命令し、その際の取引条件として先の提案をしたとするならば、そもそも天界はレディ・フェリーノの魔界永久追放に関知していた可能性がある。


(嗚呼、やはり頭が一つになった影響は大きかったか)


 考えてみれば当然の帰結。


 死を禁止したとはいえ、魔界のみで決定を下せるのは魔界への転生のみ。天界への転生を禁止するためには羽付き連中の許可がいる。


 どうやら、魔界のゴミ虫共は羽付きに大きな借りを作ってでもミアを人間界に棄てたかったようだ。


 表面上では魔界の申し出を受けて貸しを作りながら、裏では追放された彼女を自陣営へ引き込もうと画策していたのとしても不思議ではない。魔界の老害共にミアが天界に靡かないという確信があったのかどうかは定かでないが、もしそうなら、今ばかりは自らの性格に対する認識の正しさにわずかばかりの称賛をくれてやることにしよう。


 答えはノー。何が悲しくて羽付きの手駒にならねばならない。


 そして、魔界からの追放に関与していたと言うのなら、羽付きもまた敵である。個人対世界という状況を復讐に塗れた頭脳が楽しもうとしていた矢先、個人対世界×二だったことに気が付かされて内心苛立ちを禁じ得ないが、『システム』の作り出す秩序を破壊する上で羽付き共に一片の同情も必要なくなったことには素直に感謝する。もし、無関係であれば、とんだとばっちりを受けた彼らに社交辞令的な謝罪の一つもしておくつもりだったが、共犯者ならその必要もない。何の躊躇いもなく『システム』と共に生ゴミを捨てることができるというものだ。


 嗚呼、これほど心躍る経験はそうできないに決まっている。二つの世界を相手にたった一人で立ち向かうなど、正気の沙汰ではない。ありとあらゆる敵意をこの一身に集めるなど、どんな大罪人にだってできることではない。『システム』の脅威に対する拒否反応、その強さが窺い知れるというものだ。


「……どうやら、良いお返事ではないようですね」


 それでもなお、笑みを崩さないのは自らが優位であると信じて疑わないからだろう。


「しかし、それも想定内です。神は寛大にも自らに仇なす者であっても受け入れましょう。その心に友愛が宿るまで、語り掛けるでしょう」


(ハッ、正体を現したな、羽付き)


 言葉だけは綺麗にまとめているが、つまりは頭の中を弄繰り回して洗脳するということだ。死ぬことが出来ぬ身であっても洗脳を受ける程度には生き物らしいところを残しているだろう。だが、この憎しみを奪われてはたまったものではない。


 魔界を追放された時、記憶を消されなかったのはあのジジイが「もったいない」精神を発動させたからだろうか。そうでもなければ生と死の狭間とも言えるあの駅のホームで言葉をかけるわけもない。あの時にでも記憶を消せばよかったのだ。そうすれば、或いはこんな事態には陥らなかったかもしれない。


 油断、慢心、驕り、自惚れ、高々一人の悪魔―――今や人間であるが、それが『世界の理』とまで豪語する存在に敵うはずがない。それこそ、ミアのそれを自惚れと評し、嘲笑っているに違いない。そのすまし顔が驚愕と恐怖に歪む様を実現できれば、なんと心が透く気持ちになれるだろうか。


 そして今、羽付きも「棄てるには惜しい」と判断していることが分かった。あいにく、私はそれほど大層な存在ではない。買いかぶり過ぎである。利益を齎すどころか、その秩序を破壊する怪物となろうとしているのだ。それを理解させてやる必要があるようだ。


 神父の皮を被った羽付きはおもむろに立ち上がり、小さなミアの体を強引に抱き起そうとする。


 なるほど、このまま教会に連れていくとでも言って頭にメスを入れるつもりか。ならば、大人しくしている道理はない。そして彼は気が付いていないが、状況は極めてミアに有利であった。


 社会的、身体的弱者が絶対的な弱者でないことを思い知らせてやろうではないか。


「嫌あああっ!! 離してええええっ!!!」


 こんな甲高い声を出したのは初めてかもしれない。耳を劈く様な悲鳴は防音措置が施されていない地下室の扉を突き抜け、地上にまで響き渡った。


 神父が目を丸くし、見るからに動揺している。天使を自称したところで、別に瞬間移動や不可視になれるわけでもない。今この場に彼が隠れられる場所はないのだ。


 被害、若干プライドに傷。


 して、その効果は如何に。


「な、何事だッ!」


 駆けつけたのは件の三人組に、初めて見るその他大勢。さて、彼らはミアと神父を見て何を思うだろうか。


 包帯でグルグル巻きにされた幼女を神父が押さえつけ、行為に及ぼうとしているとしか見えない光景だ。その光景を前にして、最初に動いたのはトーシャであった。


「この、痴れ者があッ!」


 銃を撃たなかっただけでも彼女の理性を称賛すべきだろう。聖職者だろうが何だろうが、決して許されない行為を今まさにしようとしていた初老の神父に対してトーシャは銃床の一閃を放っていた。鳩尾に一発、腹を抱え、前のめりになったところで今度は顔面に一発、やたらと手際のよい動きで神父は床に叩き伏せられる。


 だが、それで終わるわけもない。状況を理解した男どもが神父を徹底的に殴りつけ始めた。中には馬乗りになって顔面を左右から殴打する者もいる。神父が必死になって助けを求めているが、神の名のもとに婦女暴行を働く輩に慈悲はない。歯が折れ、血と一緒に宙を舞う。それでもなお、殺さないのは情けなのだろうが、あいにくそのまま放り出されるのは癪だ。こいつには敗北者という看板をぶら下げてあの世に還ってもらわねばならない。


 放り出された銃に手を伸ばし、その重みに眉をしかめつつも薬室に弾丸を送り込む。よもやこんなところで敵軍の中で数年を過ごした成果を感じるとは思わなかった。銃の基本構造はどこの国もあまり変わらないようだ。


 とはいえ、小柄な体では構えることもできやしない。ベッドの上で銃を持ち上げると、当然ながら支えきれずに銃の先が持ち上がらない。けれど、それでいい。床に向いた銃口の先にはあの羽付きがいるのだから。


 最初にそれに気が付いたのはトーシャだった。慌ててミアに抱き付き、引き金から指を引きはがそうとするが、既に遅い。トーシャの叫び声に馬乗りになっていた男が驚き、自分の方に向いている銃を見て飛びのいた瞬間、銃口と神父の間に遮る物は何もなかった。


 恐怖、死を前にして生命が見せる最後の感情。それを目に浮かべた神父の顔を見て、笑みを零さずにはいられない。


「や、やめ……」


 あっちの世界で上司に詫びることだ。そして、これは宣戦布告でもある。しかと伝えよ。


 直後、乾いた音が地下室に響き渡った。



☆☆☆



 切り崩しは失敗した。もとより、天界を毛嫌いしていた悪魔であるため、そうなることは予想がついていた。しかし、魔界を永久追放された悪魔、それも極めて有能な者となれば、もしや取引に乗ってくるのではないか、という希望的観測があった。


 結果は最悪。派遣した天使は殺され、天界に送り返されてきた。おまけに、婦女暴行の現行犯としてその場で射殺された、と表現しても差し支えのない最悪の手土産まで持ってきてくれた。彼の役目は人間界における悪魔のヘッドハンティングもあるが、第一義的には神と天使に対する信仰の拡大、つまりは布教活動である。その先鋒となるべき肩書を持った者が最も忌むべき犯罪の一つに手を染めたと人間界に広まれば、少なからず人間界における前線基地―――教会の権威は失墜する。スカウトの失敗は想定されていたことであるため、不問に付されても良かったが、土産は必要なかった。


 魔界の支配者たちに貸しを作り、意気揚々と今後の人間界における影響力拡大を目論んでいた矢先の出来事だ。冷や水を浴びせられたと言っても過言ではない。おまけに、あの悪魔の態度は勧誘に対する拒否では済まされないものだ。明らかな敵意、『世界の理』に背き、その罪で追放された彼女は同じ理を是とする天界にすら牙を向く気である。それがどれほど愚かで、無鉄砲なものか彼女ほどの者が理解できていないはずがない。もしや、本当に天界と魔界を相手取って戦う算段があるというのか。


「速やかな緊急対策会議の開催を求めます」


「天使長の申し立てを認める」


『世界の理』の恩恵を預かっているのは何も魔界だけではない。天界もまた、その秩序に依存している。


 だが、人間界に放逐された彼女を直接的に無力化するには如何するべきか。魔界ですら、対応に苦慮した挙句、天界に借りを作り、『世界の理』から外れた決定を下した。果たして、それ以上に有効な対策を講じることができるものだろうか。あまり派手に動けば人間界における天使と悪魔の存在が明らかにされてしまう恐れがある。もしや、それを狙っているというのか。


「元男爵、フェリーノの処遇について」


「飼い殺しは失敗のようですな」


「交渉の余地無しか。では、どこかに監禁でもするか?」


 殺せないというのがこれほど歯がゆいものとは思わなかった。彼女に対する措置を解除すれば、力を取り戻し、目的を達成するまで止まらぬ暴走特急となり果てるだろう。


「人間界においてか。あの世界では我々も制約を受ける。そのようなことが可能か」


「罪をねつ造し、終身刑にしては?」


「齢四歳の幼女に如何なる罪を擦り付けるのだ」


 侃侃諤諤の議論。未だかつて、これほど個人に対する議論で白熱したことがあっただろうか。フェリーノと言う元悪魔はもはや魔界だけでなく、天界でも少なからず注目を集めるようになっていたのだ。とはいえ、どこか真剣みが薄い。意見は出るが、どれもこれも周りが笑って却下するような愚策ばかりだ。


「諸君、少し冷静になろうではないか。要はそのフェリーノなる悪魔が『世界の理』に盾突く暇を与えねばよいのではないか?」


「他の事に忙殺させる、と?」


「うむ。幸いにして人間界は収穫期にある。当面は、これを最大限有効活用できるのではないかね」


 待て、それは危険だと脳内が警告を発する。けれども異議を申し立てるだけの自信と確信が持てない。


「現地工作員を使い、戦争の長期化を図るのだ。元悪魔とはいえ、今はただの人間。世界の流れというものには逆らえるはずもない。激流で飲み込み、二度と浮かび上がれぬよう水底に沈めるのだ」


「既に現地時間で五年も収穫しておる。いつかは終えねばなりませんぞ」


 その先はどうする、と疑問を呈する者が現れる。


 幾ら長引かせても人間が戦う気を失えば焚きつけても無駄だ。その頃合いを見計らって収穫を終えるのが常だが、今の発言はまるで永遠に戦争を続けろ、と言っているようなものに聞こえる。


「そろそろ、我々は二つ目の牧場を持つべきだとは思わんかね?」


 議場がどよめく。


「しかし、『世界の理』が示したのは天界、人間界、魔界の三つの繋がりのみです。今のところ、新たな世界の発見はできておりません」


 その通り、仮説としては無数の世界が存在し、そこに至る余地はあるとされているが、具体的にその手段が見いだせていない。かつて『世界の理』が三つの世界を結び付けて以降、いかなる世界とも接点を持てていないのが実情だ。


「で、あるから。今ある繋がりを大切にしようではないか」


「それは……、まさか」


「魔界も良い牝牛が育つ環境にできないものかね、諸君」


 一同が騒然とする。それはつまり、ここ数千年間続いた天界と魔界との暫定的な平和状態の終焉を意味する。再び二つの世界が直接殺し合う時代への突入を示唆したのだ。


「……フッ、冗談だ。無論、そうなれば素晴らしいことだが、な」


 一瞬張りつめた空気が、苦笑いと共に僅かに緩んでいく。冗談にしてはあまりに強烈だ。


「さて、話を戻すが……。君ならどうするね、天使長」


 やはり、と思いながらその場の全ての視線が自分に集まったことにため息の一つも付きたくなる。いくらこの会議の開催を申し立てたとはいえ、これだけお偉方が集まっている前で考えを述べよ、と言われて歓喜できるほどの度胸は持ち合わせていないつもりなのだ。だが、黙っていては考えなしと捉えられることは間違いない。折角ここまで上り詰めたのだ。そう易々とこの席を明け渡す気にはならない。


「短期的には収穫期であることを利用する案に賛成です。ですが、やはり長期的には封印という手段が必要かと思います」


 封印、と言ってもそのやり方は多種多様だ。物理的なやり方もあれば、権能を用いたものまである。とはいえ、いずれの手法を選ぶにしても、死ぬことを許されていない相手に対しては物理的に身動きを取れなくすることが大前提となるだろう。だが、封印というのは時の経過と共に劣化する。また、外的要因によって封印が解かれてしまう事態が起こり得る。想定される問題を全てクリアするには既存の封印技術では不十分だ。何しろ、そこまで大層な封印が必要となる事態に今まで陥ったことがないのだから。


「故に、恒久的な封印技術の開発を最優先課題とし、天界及び人間界の技術を結集させるべきです。『世界の理』に、万に一つも傷を付けさせないためには、今からでも全力を出す必要があります」


「そもそも、人間界に放逐された者がいったいどうやって『世界の理』に近づくというのか。従来の方策を徹底すれば事足りるのではないかね?」


 楽天家はどの世界にでもいるものだ。そしてたいていの場合、楽観的観測は悲惨な結果を招き寄せる。


「それは誰も『世界の理』に盾突こうなどと考えないからです。我々は人間や悪魔の侵攻から身を守る術は備えていますが『世界の理』を破壊しようとする者に対して明確な対処法を持ち合わせていません。アレが何なのか、我々でさえ全容を知らないのですから」


 太古の昔、誰かが作ったということは分かっている。それが天界と魔界にとって極めて有益な『システム』であろうこともだ。しかし、それを司っている物は何なのか、どこにその中枢があるのか、それを知る者は誰もいない。三つの世界とはまた違う別世界にあるのか、この世界のどこかにあるのかもしれない。自然の摂理ではなく、誰かが作り上げた『システム』だからこそ、そこには破壊される余地が付きまとうのだ。


「守るのではなく、害成す者を遠ざけるのが現段階では最良だと考えます」


 重鎮たちの反応は鈍い。彼らの中ではせいぜい「元悪魔のせいで人間界政策が狂うのではないか」程度の認識しかない。まさか、本当に『世界の理』に矛先を突き立てることができるとは誰も思っていないのだ。何しろ、未だかつて個人が世界に喧嘩を売ったことなどなかったのだから、ある意味でこの反応は当然なのかもしれない。


 だが、あの悪魔は明確な敵意を天界と魔界、そして『システム』に向けている。


 危険だ。この場における彼女に対する認識は彼女の本質を捉え切れていないように感じる。


「では天使長。その方にこの一件は一任するとしよう。人間界における権能を以て、かの悪魔を封ぜよ。我々がそれを成せば、魔界の連中にさらなる貸しを作れる」


 案の定、その結果に至ってしまったか、と落胆する。一任されるのは構わない。やるからにはできる事はしよう。


 しかし、「人間界における権能を以て」ということは基本的に天界は関知しないと言うことだ。「良きにはからえ」と言ってもらえたは良いが、責任は全て自分の肩に伸し掛かった上、腕を縛られたようなものだ。


 それでも、言われたからにはやらねばならない。


「承知いたしました。このジエン=ドーブリにお任せください」


 畜生、最悪だ。無能な上司ほど恐ろしいものはない。

 命の尊さを説きながら、神の名の下にあらゆる行為が正当化されると宣う連中ほど性根の悪臭に顔を背けたくなる連中も少ないのではないか? 閉鎖された秩序は時として常軌を逸する凶行を是認し、さもそれが当然のように受け入れられる。宗教は麻薬、とはよく言ったものだ。


 諸君、傾注せよ。後書きだ。


 牧師と神父の違いを最近まで知らなかった駄作者に代わり、本日もこの場を治めるとしよう。


 従軍宗教者というのは社会における宗教の多様化の中で部隊、兵士の精神的支柱として神の存在を刷り込もうとした連中だ。神の名の下に人殺しを容認し、むしろ推奨する。


 だが、果たしてそれは本当に彼らの事を想っての事だろうか。彼らにはあまねく世界に神の教えを広めるという使命がある。戦争に勝ち、領土が広がれば、彼らにとっても新たな門戸が開放されるわけだ。いわば、市場だ。


 近代になってしまえばその地に住む者たちもある程度の知識を身に着け、手放しに彼らを歓迎するわけでもないが、それ以前は無知につけ込み、布教することなどザラであった。むしろ、無知でなければ面倒極まりない。


 かつて、ある国にやってきた伝道師を前にして小さな村の住民はこう言い放った。


「信じる者しか救わないなんて、お宅の神様は心が狭い」


 信じる者が救われるのは当然。全知全能の神を名乗るならば、なぜ信じない者を救わないのか。


 まったくもって、宗教家からすれば腹立たしいこと極まりない反論である。


 諸君には信じる神はいるか?


 その神は本当に信じるに値するか?


 隣人を信じるのも難しいというのに、何故人間は会ったこともない神を信じるのだろうな。


 それとも、私の知る自称"神"以外にも、誰かいるのか。


 誰が何を信仰しようが自由だが、押し付けがましい連中に碌な奴はいない。いつの日か諸君の家の戸口に彼らの同業者が訪れることもあるだろう。その時はせいぜい喉を使い潰させてから追い返してやるがいい。奴らの徒労に満ちた表情は、私にとって安物の前菜程度には価値がある。


 では諸君、またどこかで会おう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ